起動間近:逆月

「風遥、風遥っ!」

 晴れた日の午後、見回りを終えたレヴァイセンが飛び込む勢いで社務所を覗き込む。そんな急いだところで誤差にしかならない程度なのに、興奮しきっているのでそこまで考えられてないのだ。

「どうした?」

 だから風遥も反応に少々困ったか目を丸くしている。緊急事態と言わんばかりに直行して来た割には声が明るいからだ。

「さっき見回りの時、ハルイチさんに雪形の見方を教えてもらったんだ!

 場所教えるから一緒に見てみようぜ!!」

 風遥の方を見つつも遠くを指差し、意識はもうそっちにあると言わんばかり。尻尾が千切れるばかりに振られているあたり、ヒトの子供のようなはしゃぎぶりだ。

「ああ、分かった」

 そんな、全く仕事に関係のない事だと言うのに風遥は優しげに頷いて、直ぐに出てきてくれた。

 ついてくる主をちらちら見ながらベンチの方へ向かい、レヴァイセンが山脈に向かって指を差す。2人ともベンチには座らず、立ったままだ。

「えーと、あそこだ。

 3つ山になってるところがあるだろ?」

「ああ……」

 山の稜線というのは同じようで全然異なっており、神守町で一番わかりやすいのは中央にある王冠のような形を思わせる稜線の山だ。そう言えば、この山は爺乃岳じいのだけと呼ばれているらしい。その由縁は、まさに今探している“たねまきじいさん”だと風臣が言っていたか。

「その左と真ん中の間、窪んでるところの直ぐ左下に、岩肌が見えてるところがあるだろ?」

「……黒い所、だよな?」

 じっと目を細めて山肌の黒を眺めているであろう風遥。レヴァイセンはこくこくと頷く。

「そう、そこだ!! 

 ……どうだ? “笠を被ったじいさんが種を蒔いてる姿”に見えるか?」

「…………」

 期待に弾むような声でそう問うも、風遥はしばしの沈黙。

 左右に若干首を傾けてみたり、眼鏡をかけなおしてみたり、逆に外してみたりと色々していたようだが、最後は顎に指を当て唸った。

「……何というか……思ってた以上に、地味だな。

 というか………分からん……」

 折角教えてくれたのに、と非常に言いにくそうにしている様子の風遥だが、同様の事を思っていたレヴァイセンも苦笑しながら肩を竦める。

「……だよなあ? 俺も全然イメージできなくってよ……」

 実は教えてもらったときも“雪が溶けて現れた山肌”としか認識できず、でも曖昧ながらも分かったふりをして戻ってきたのだ。

「そもそも何で、雪形を探してたんだ?」

 風遥の素朴な疑問に、聞いてくれたことが嬉しかったか口角を上げるレヴァイセン。

「前言ってただろ? 『理にも自然を愛でる感覚があるんだな』って」

 “愛でる”という言葉をレヴァイセンが意識するようになったのは、2人で一輪の桜を見たのがきっかけ。

 元々は風遥が桜の開花を知りたがっていると勘違いしていたレヴァイセンが、その期待に応えるべく早く咲きそうな桜の観察を都度行っていた。

 この時点で直接の業務には関係ないわけだが、理の日々のスケジュールには(主に緊急事態に対応するための)多少の余白が残されているので、そこの範囲に留めるに限り本来では「無駄」とされる行為は咎められないのだ。

 その過程で人間の感覚を共有していることを知ったレヴァイセンは、それが他にも適用できるかどうか検証し始めたのだ。

「だから、雪形も愛でられるかどうか、試してみたかったんだ」

 しかし実際はイメージイラストと見比べてようやく「言われてみればそうか」と感じるレベルで、何も知らない人がいきなり見せられたとしても認識するにはかなりの想像力が要される。人間ですら難しいのに、理にはなおのこと難しいだろう。

「それで、愛でられたか?」

「いや、桜の時みたいな特別な感覚はねえな。

 それどころか、理解できねえ」

「……そうか」

 なので当然答えはノー。検証結果は「自然を愛でることはそう簡単なことではない」ということになった。ただ、「風遥に雪形を見つけたら教える」という要求は満たせたので、レヴァイセンとしては満足。

「でもよ、分かった事もあるんだぜ?」

「?」

 寧ろ、検証の裏でもう1つの結論を出していた。それこそが、彼にとって重要だった。


「俺1人で見るより、おめーと一緒に見た方がずっと良かった」


「……!」

 小さく目を見開く風遥。レヴァイセンは自分の思考を取り巻いている感情が何なのかよく分かっていないながらも、それでも言葉にしようともじもじする。

 ……もっともこちらとしては、渦巻く感情の正体はよく分かっているので、そうなるよなという諦めと――滑稽さで嘲笑いたくなる。

「うまく言えねえけどよ……」

 風遥と再び出会ってから桜の観察を馬鹿真面目に行ったことで、小さなシンクロが起きた。あの日見つけた一輪の桜は、風遥との確かな信頼関係の構築の一歩と、そこに潜む友愛の気持ちの象徴となって表れたのだ。

「なんか、おめーと一緒にいる時間は、仕事とは関係無い時でも大切なんだなって思えたんだ」

 それを、僅かながら感じ取っていたのだ。だからあの日の出来事を境に、風遥とレヴァイセンの関係性に変化が生じつつある。

 表向きは「自然を愛でられるかどうか」というズレた派生が起きたが、その本質は――風遥との共有事項を増やしたい、なのだ。

「……だが璞の浄化とは何の関係もない。あんた達にとっては無駄な時間じゃないのか?」

 そう、それは指摘の通り理にとっては無駄な行為。だが今のレヴァイセンにとっては“主と過ごすための大切な時間”となってしまっている。

「そいつは普通の理の考えだろ?」

 それを他ならぬ風遥に一蹴されたのが少々不快だから、ムッとしながら言い返す。

「? あんたは普通の理じゃないのか?」

 その反射的な否定に首を傾げる風遥。レヴァイセンは何気ない言葉に核心をつかれ、逆にたじろぐ事となる。

「あ、いや、別に、俺が普通の理じゃねえ、って訳じゃ、ねーんだけど……」

 愚かな男だ。自分が普通の理じゃないってのは、もうとっくに自覚しているはずなのに。いつまで風遥の前で取り繕おうとしているのだろうか。

 それとも、理の機能を一通り持つのは確かだから嘘はついていないとでも? そう嘲る間に、レヴァイセンはひとつ深呼吸。

「あ、あのよ、ちょっと確認したいんだけどよ……」

 訂正。多少なりともこのままでいいのかという迷いはあったようだ、おずおずと切り出す。

「何だ」

「……俺、このままでいいのか? 本当に……」

 冬のように閉ざしていたはずの感情は、風遥の言葉によって雪解けのように徐々に動かされていった。

 一度それに気づけば、そこからは雪崩のように今までのレヴァイセンは崩れ去って、もとはミカゲに会うために演じていただけの「人間としてのキャラ」がそのまま自分自身のふるまいとして定着しつつある。

「何がだ?」

「ほら、その、敬語とか、呼び方とか……」

 しかしそれは、理達からすれば望まれた事ではない。何度感情を抑えろと言われてきた事か。周囲から散々抑えつけられていたから、その状態のレヴァイセンが正しいとすら思いこまされて来ているのだ。

「前みたいに戻した方が、良いかって……」

 ただ、本音を言えば――今の方が“楽”だ。ヒトでいうところの息苦しさや、圧迫感を感じない。だから、もし風遥さえ良いと言ってくれるなら、これからもこのままでいたい。

 しかしそれが負担であるのなら、元に戻す。あくまでそこは、風遥に合わせなければならないし、それを望むからだ……今考えていることは、そんな感じだろうか。

「そのままでいい。

 ……今の方が、本来のあんたらしさを感じる」

 たどたどしいレヴァイセンに、そんな葛藤なんて知ったこったないとばかりのそっけない表情で即答する風遥だが、声音はどこか優しい。

「っ……!!」

 瞠目するレヴァイセン。小さくその体が震える。

 ああ、思い出す……かつて「君の思うままに、君らしくあればいい」と言って微笑んでいた風臣を。

 表情は異なれども同じ反応をしたのは、やはり彼らが親子だからだろうか。

「風遥……ありがとうな」

 ほら、こうやってますます付け上がらせるだけだというのに、この2人はどこまでこの忌むべき存在を受け入れてくれるのだろうか。

 泣きそうに微笑むレヴァイセンが、この上なく気色悪い。


「「…………」」

 改めて、2人でじっと山々を眺める。

 どうして風遥はあの時も、あの時も素直に見捨ててくれなかったのだろうか。

 きっと13年前のあの日の事や、それ以前の事を覚えていないからだ。

 それを知ってさえいれば、いくら風遥とて同じような態度を取れるはずがない。

 ……レヴァイセンもそれは同じ。けれど、その記憶はいくら探したところで見つからないだろう。


 何故なら、本来であれば再起動の際“異物”として消去されてしまったであろうその辺りの記憶は……全てこちらで隔離しているのだから。


 レヴァイセンはこの「隔離された領域」の事を未だに知らない。レヴァイセン達理が自分自身で認識している領域を光の中と例えるなら、ここはその影にあたる部分。光の中で生きるレヴァイセンにとってはそもそもその存在すら知らないものだ。

 だからレヴァイセンは「大事なこと」は思い出せない。これからもずっと。

「父さん達も、こうして雪形を見てたのかな……」

「ああ、きっとな……」

 ……かつて、先代とその陽使と幼い風遥の4人で既に“たねまきじいさん”を望んでいたことがあったということも。そしてその時にも、「理解は出来なかったが、皆と一緒に見れて良かった」と、全く同じ感想を言っていたという事も。

「……そうだ、レヴァイセン。

 サカヅキさんについては、何か分かったか?」

「いや。理にそんな名前のやつはいなかった」

 また同じことを繰り返している。また同じように、レヴァイセンは余計な感情を学習し、主に対して執着し始める。

 だがそれは大きな過ちだったと、いずれ悔やむことになるだろう。否、ここまできたら悔やまさせなければならない。自分のした事の重大さを、思い知らさせてやらなければならない。

「そうか。心当たりは何も無いのか?」

「あると言えばあるが、明確にデータとして残ってねえんだ。神守町外の人間かもしれねえから、今度ソラリスに聞いてみるぜ」

 素直に初期化されていればよかったものを。

 折角“監視システム”として幾度となく警告したというのに、お前は……よりにもよって、こちらとの境界を壊しにかかったのだ。

「分かった。色々思い出せると良いな……あんたも、俺も」

「ああ。知ってなきゃいけねーのに知らねえ、分からねえって、すげえ嫌な感覚だよな……」

「……そうだな」

 断言してやろう、お前の外にサカヅキの情報は一切無いと。

 だが――


(もうすぐ分かるさ、レヴァイセン。

 ……お前が消える時にな)


 レヴァイセンの深淵から、呪詛のように呟く。

「……え?」

「どうした?」

 するとそれまでの感傷的な表情が一転、戸惑いに変わるレヴァイセン。それを不思議そうに眺める風遥。

「あ、いや……何でもねえ……」

 そうか、何気ない呟きにも反応するようになってきたのか。今のは侵食を意識したわけでは無かったのだが、もう相当に光と闇が混じり合っているようだ。


 ならその時は、思っていたよりも近い――サカヅキは、小さく笑った。

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