長い一日の終わりを見つめる、黒檀と橙色

 遠ざかっていく神守町の景色を、後部座席から眺める。

 太陽は山の向こうに消えた夕焼けの空、道まばらに灯りだした電灯の数は、道崎に比べると道を明るく照らすにはやや頼りない。

 一方山々は影のように黒色を深め、まるでオレンジ色の空の上から貼り付けたかのようにくっきりとしたシルエットが連なっている。

 全ての光を遮断し吸収しているかのような山並みの黒は、あと1時間もすれば夜空の黒に溶け込むのだろうか……。

「……智秋さんも、“神主”なんですよね?」 

 視線はそのまま窓の外に向けつつ、静かに問う。勿論この神主と言うのは、普通の神社のそれを差しているわけでは無い――“神の遣いと手を組んで異形の存在と戦っている”という事への言及だ。だから、神主、を強調した。

「はい。神守町の隣町、真見町の“神主”を務めています。

 ……もちろん、貴方が意図している通りの」

 そして予想通りの答えが返ってきた。この瞬間、カウンセラーの本業が明かされたのだ。

「僕たちの神社は一般的な神社とは異なり特定の神様を祀ってはおらず、各種祈願も原則行っておりません。

 代わりに、世界の調和を乱す存在――“あらたま”を浄化することを生業としています」

 璞が調和を乱す存在という事については深く頷ける。人の心を乱し、悪い意味での衝動的な行動をとらせているのはよく見てきたからだ。

 ただ、道崎にそのような特殊な神社があっただろうか? 全く意識したことが無い。景色の一つとして鳥居があったところで、それが何の神を祀った神社で、まして参拝するに至るまでの興味など無かったのだ。

「その浄化の協力関係にあるのが……レヴァイセン達、“ことわり”です」

「理……」

「彼らは璞を浄化する事で、この世界を守る事を使命としています。

 この世界の神に仕えている訳では無いようですが、狛犬や龍など神の眷属としてなじみ深い生物の姿を模っているところから、神の遣い、と称する人もいますね」

 当然、あの黒い塊と対を成すような存在がいたことも今日まで知らなかった。ただ確かに言われてみると、璞が無尽蔵に増え続けていたら今頃世界はさぞカオスになっているはずだ。そうならないように、人知れず増えている璞を、これまた人知れず浄化する存在がいたのだ。

 ……そう言えばレヴァイセンは光球になって控えていた。なるほどあの姿なら、一般の人間は余程意識しない限りそこに何かいるという事には気づかないだろう。

「じゃあ、智秋さんもその……理と手を組んで、戦っている、と?」

「ええ。と言っても、“戦う”という程でも無いですね。あの璞はかなりの例外で、基本的にはこちらが一方的に浄化している形になります」

「はあ……」

 釈然としない溜息を一つ。自分が人として例外である自覚はあるが、関わってくる存在までもが“例外”なのは嬉しくない。

 追われていた時の恐怖を思い出すと未だ背筋が凍る……嫌な感覚だ。あの時は、聳える山々ですらハクトに迫ってくるような息苦しさと圧迫感があった。

(あれ……?)

 ……そう言えば、例の青白い光球はどこに行ったのだろうか。神器を継承した後から見かけなかったのですっかり忘れていたが、あれも理ではないだろうか?

「智秋さん、あの……」

「どうしました?」

「今思い出したんですが……あの時、“霜月ハクト”と呼んできた理がいました。レヴァイセンと同じような光球だったので、多分、理のはずです。

 そいつに神社まで誘導されたのですが……心当たり、ありますか?」

 そう智秋に尋ねると、ちら、とバックミラー越しにこちらを見たが、また直ぐに視線を前に戻す。

「……ええ、大いに。僕がよく知っている理かもしれませんね」

「そうですか。それは好都合ですね。言いたい事が山ほどある」

 あの理には礼と――文句を言わなければならない。誘導や助言をしてくれたのはありがたかったが、そもそも璞を浄化するのが使命なら何故もっと踏み込んで助けてはくれなかったのか、と。さっさとあの璞を浄化してくれればそれで済み、ハクトへのトラウマも最小限で抑えられただろうに。

 ハクトの選択を尊重すると言っておきながら、なんやかんやで神器を継承させたかったのではないか? と疑いたくなる。

「いずれ会う事もあるでしょう、是非その時に」

「はい、そうします」

 再び窓の外を見る。右折待ちの車のライトに璞が照らされているが、よく見れば影が無い。そこを対向車線の車が次々轢いていくがどれもすり抜け、璞に変化はない。なんとなくそこを通過するのは憚れるが、こちらが曲がる前に道路の中に溶けこむようにして消えた。

 ……この、異世界からの侵入者を、これからは相手にしていかなければならないのか……と、思わずふーっと息をつく。

「……もし俺が神守町に行くことを拒否していたら、どうしていたんですか?」

「勿論、それを尊重しますよ。無理矢理連れて行く訳にはいきませんから」

 あの日、神主という特殊な家系についての詳細に加え、あのような璞に襲われる可能性があると説明されていたら、どうしていただろうか。未知への不安と恐怖、何よりも面倒さが先行して断っていた可能性が高い。それを知っていたからこそ、智秋もまず観光兼ねて現地に行くという提案をしたに違いない。

「ただ……少なからず、神守神社は、貴方だけを待っていたのは確かなようです」

「え?」

 思わず智秋の方を伺い見る。

「神守神社は長らく人が立ち入るのを拒絶していました。僕のような他地域の神主は勿論、神守町の住人も。

 先々代神主、つまり……貴方のおじいさんですら入る事は出来ませんでした」

「入れなかった……?」

「ええ。鳥居を抜けても森林しかなく、進んでも進んでも何も現れてこないのです。なのに、後ろを振り向けば鳥居があって……」

「……!!」

 息を呑む。あの、廃墟同然になっていた神守神社は、自分だけにしか訪ねる事が出来なかった――本当に神がかり的な力が働いていたという事ではないか!

「先代である貴方のお父さんのご遺志なのか、それとも……神そのものの意思なのか……」

「……神の、意思……」

「ただ先程申し上げた通り、特定の神では無いので実態や個性はありません。集合的無意識、というのが近いのでしょうか。

 いずれにせよ、貴方がこうして戻ってこなければ、神守神社、ひいては神守町の時は止まり続けていた事でしょう」

 暗い車内。智秋はこちらを見てはいないけれど、バックミラーには嬉しそうな、安心したような笑顔が映っていた。

「ですから……来てくださってありがとうございます、ハクト君。

 先々代神主に代わりまして、お礼申し上げます」

「……いえ」

 熟考する前に神森の宿命を背負わされた以上、気持ちとしては複雑だ。けれど、不思議と悪い気はしなかった。


 やがて街灯の数が増え、車の数も増え、雄大な山並みの代わりに中階層の建物がずらずらと……道崎の光景、いつもの景色に戻ってきた。

 ひなた園に到着したので、智秋に「ありがとうございました」と一声かけてから車を降りると、智秋も一旦車を降りた。

「ひとまず、こちらを渡しておきます」

 手渡されたのは、一般的な神社でよく見かける群青色の巾着タイプの小さなお守り。ただ文字は何も縫われていない。

「お守りですか……?」

「ええ、発信機のようなものです。

 理に対し、この持ち主は特別に気にかけておくべき人間である、という目印になってくれるのですよ」

 気休めかと思ったが智秋の口調からするとしっかりとした作りのようだった。つまり、期待できる効力は……

「じゃあ、もしもあの璞がまた現れたとしても……」

「ええ、道崎市を守護する理が即駆けつけてくれますよ」

 とすれば道崎での残りの生活を安心して過ごすことが出来そうなので、有難く頂戴しておくことにした。

 他の人間には見えない存在に襲われるという事の恐怖は、大人に説明するのは面倒だし、幼いきょうだい達は一生知らなくていい。


「ハクト君。今日を境に、貴方の世界は一転していくと思われます。

 もう、何も知らなかった頃には戻れないでしょう」


「………」

 頷く。実際に既にそれは感じており、夜なのにやたらと暗がりの中の璞の姿が目に付いてしまう。以前は気にも留めなかったというのに。

しかし一方で、あの瞬間確かにあったはずの「力」の余韻は、今はもう記憶の中でしかない。

「ですが、今日のこの決断をいつか良かったと言える日が来るよう、僕も全面的にサポートさせて頂きます」

 そう言って、智秋が手を差し出してきた。まさか卒業後も関係が続くだなんて思ってもいなかったが、今となっては心強い。

「よろしくお願いします、智秋さん」

 そうして人間の肌の表現として適切な智秋の「白い手」に、文字通りの白……幽霊のような色の手を伸ばして握手に応じる。ただ、こちらの方が手は温かい。

 ハクトの手は色こそ不自然だが、決して血が通っていないというわけでも無い。怪我をすれば赤い血がちゃんと出るし、病気になれば熱も出る。

 ヒトの機能としては正常だが、何故かその血色や熱が肌色として反映されない。その理由は医学では解明されなかった。

 ただ――今日、自分の身に起きた非現実な出来事の数々を考えると、この白色の原因や、風遥としての色や記憶を取り戻せる方法は、やはり科学で解明されていないところにあるようだ。


 霜月ハクトは、神森風遥。

 自覚の領域にそれはまだいない。しかし確かに今日、自分は神森風遥を受け入れた。

 

 ――世界が、変わろうとしている。

 

 そんな狂言じみた壮言も、今なら許される気がした。

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