第40話 泣き下手と決着の瞬間


 俺は足を止め、振り返る。千波さんが目を覚ましていた。彼は起き上がってリングサイドに歩み寄る。慌てて相原さんが脇を支えた。

 彼女の手助けをやんわりと拒否し、千波さんはリングサイドに立った。


「乱場カイト。お前さんの所業は見させてもらったよ。どれほど危うい精神状態なのかも、な」


 千波さんの言葉に、カイトは何かを言い返そうとした。けれど、単に口元を歪めただけだ。ダメージは大きい。


「ワシの声はしっかり聞こえているようだ。よろしい。君の所属事務所『グロリアス・プロモーション』には、この件について正式に抗議する。そのつもりでいなさい」

「なん……こ、の……!」


 カイトは悪態をつこうとして失敗する。それでも彼は荒い息のまま、俺や千波さんに対して「ぶっ殺すぞ」などと短い暴言を繰り返しぶつけてきた。

 紛う事なき脅迫である。


 リングサイドでは相原さんが青ざめていた。ただ、俺が託した小型カメラはしっかりと構えている。

 千波さんの腕、そして小型カメラをそれぞれギュッと握った彼女は、声を張り上げた。


「も、もうしらばっくれても無駄ですからね! あなたがやったこと、台詞、ぜんぶカメラに収めましたからっ!」


 精一杯、勇気を振り絞る相原さんを、カイトは血走った目で睨んだ。

 それから手を突いて立ち上がろうとするが、グローブが汗で滑ってうまくいかなかった。彼はイライラした様子でグローブを外そうとする。それも手が震えて叶わない。


 小口君にグローブを外してもらった俺は、ゆっくりとカイトに歩み寄った。リングに膝を突いたままの彼を見下ろす。

 自分でも正直驚いていた。

『情け』や『容赦』の感情が欠片も浮かんでこないのだ。


 カイトの前にひざまずくと、彼のグローブを手に取った。

 一瞬、不快そうに眉をひそめるカイト。

 

 ――グローブは使い古しである。

 細かなキズも多い。くたびれてもいる。手首の付け根辺りに、小さな破け目までできていた。

 俺はそこに指を掛ける。


 そのまま、一気にグローブを引き裂いた。


 耳障りな音とともに内部の衝撃吸収剤が舞った。そのまま強引に手首からグローブを引き抜く。カイトが歯を剥き出しにした苦悶の表情になる。

 構わず、もう片方の手も同じように引き剥がす。


 手首が外れるかとでも思ったのだろう。しばらく痛みに耐えていたカイトが、顔を上げる。

 そして表情を強ばらせた。

 使い物にならなくなったグローブを掲げ、瞬きもせず睨み続ける俺と――目が合ったからだ。

 ここに来て初めてカイトが戦慄した。俺に気圧されたのだ。


 この瞬間、勝負は付いた。


 俺はゆっくりと口元に笑みを浮かべながら、努めて穏やかな声を作って、宣告した。


「乱場カイトさん。お帰りはあちらだ」


 沈黙が降りる。

 しばらく視線をかち合わせていた俺たち。やがてカイトが「ちっ」と短く舌打ちし、先に視線を外す。

 そして震える足腰で立ち上がると、鈍重な動きでリングを降りた。

 ヨロヨロと頼りない足取りで出入り口に向かい、出ていった。自動ドアがゆっくりと締まって、ようやく、ジム内の空気が変わる。


「お……終わった、の?」

「……勝った。やった、勝った、勝ったんだ! 能登サンのKO勝ちだいやっふぅうーッ!!」


 カイトが去ったことを理解した小口君と相原さんが喝采かっさいをあげる。

 小口君はリングに上がり、俺に抱きついた。そのまま、プロボクサーとそのセコンドのように俺を持ち上げようとする。「重!?」とすぐに彼は諦めた。そこそこ失礼である。


 だが、こんなやり取りができるのはプレッシャーから解放された証拠だ。


 小口君が興奮してまくしたてる。


「能登サン、めっちゃ強かったっす!! 俺カンドーしました! パンチ全部見きって、最後にボディ2発でダウン! プロの試合でも見れない光景ですって! すげー! 能登サンすげー!!」

「本当、一時はどうなることかと思いました! おめでとうございます、能登さん。それと、ありがとうございます! おかげで私もスッキリしました!」


 相原さんも俺を持ち上げてきた。

 キラキラした憧れの視線を向けられ、俺は苦笑した。


(……ちゃんと笑えてるかね)


 あれほどブチ切れた経験は記憶にない。もしかしたら、泣く子も黙るどころか大人が泣き出す顔のまま戻れないんじゃないかと、少し不安だった。

 けれど、杞憂だったようだ。


 悪行を働いたカイトは成敗した。今はとりあえず、それを誇ろう。


「あ。そういえばカイトが付けてたグローブ、俺のだ」

「……ごめん。弁償する」

「いえ、記念に取っておくっす。ウチのジムにはこんな超人がいるんだぞって自慢してやります」

「それはやめて。マジでやめて」


 真顔で応えながら、残骸になったグローブを小口君に手渡す。

 入れ替わりに相原さんが近づいてきた。


「カメラ、お返しします。能登さんに頼まれてた記録、しっかり撮れてると思います。私、頑張りました」

「ありがとうございます。無理を言って申し訳ありません」

「いえいえ! ……それにしても、今回のことではっきり幻滅しました。乱場カイトって、あんな人だったんですね」


 自分の二の腕を抱きしめ、相原さんが呟く。


「そういえば、能登さんとお知り合いのようだったんですが……前からあんなだったんですか?」

「どう、だろうね。会ったのはずいぶん昔だったから」


 俺は言葉を濁す。

 確かに昔からチンピラなところはあった。

 だが今日の彼は、そのレベルを遙かに超えて、別の人間になってしまったように感じた。

 暴力そのものの信奉者になった、というべきか。


 千波さんは事務所に直談判すると言っていたが……これで本当に大人しくなるだろうか。

 とても――そうは思えなかった。







【40話あとがき】


勝剛圧巻のパフォーマンスで戦意喪失――というお話。

素手でアレはヤバいと思いますよね?

カイトの後始末はどうなるのか?

それは次のエピソードで。

実はヤバさ具合では勝剛が上では……?と思って頂けたら(頂けなくても)……

 

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