第5話 泣き下手とジムのお仕事


 双子姉妹の登校を見届けた後、俺は自分の職場へ向かうため駐車場へ。

 愛車はスモーク付きの高級車だ。

 双子のマネージャーから『紅愛と白愛を送り迎えするときにも使うので、できるだけ外から中が見えない車にしてください。いっそのこと裏稼業っぽい見た目でもいいです』と言われたので、こうなった。

 ついでに運転席でサングラスをかければ、立派なその道の者ヤクザのできあがりである。


 周りからどう見られているか考えると、毎回泣きたくなる。


「……んふぅ」

「ひぃっ!?」


 たまたま近くにいた奥様にめっちゃビビられ、俺はそそくさと車に乗り込んだ。

 泣きたい(泣けない)。


 しかし何故なにゆえか、娘たちにはえらくご好評を頂いているこの格好。

 育ての親として、将来悪い男に引っかからないか心配で仕方がない。

 念のため申し添えるが、俺はその筋とは無縁である。


 ちなみに、双子姉妹の登下校は基本的に自分たちでさせている。

 スケジュールによっては俺やマネージャーさんが送迎することもあるが、原則は自主自立。

 幸い、学友には恵まれているようで、これまで登下校中にトラブルになったという話は聞かない。

「学校のみんなが気を遣ってくれてるの」とは紅愛の言葉だ。


 いや、心配は心配だよ?

 けれど、俺が送迎するとこれ見よがしに引っ付いてくるので、とてもじゃないが人前に出られないのだ。

 俺は心を鬼にしなければならない。

 ヤクザと付き合っているなんて噂が立ったら、娘たちの将来が危ういのだ。


「……やっぱヤクザに見えるよなぁ。んふぅ……」


 軽く落ち込みながら車を走らせることしばらく。

 6階建ての、とあるオフィスビルの地下駐車場に車を止めた俺は、ビルの最上階に向かう。

 最上階とそのひとつ下の階を丸々を占めているここは、『スポーツジム・セントヴィクトリー』。

 プロのスポーツ選手も所属する大手ジムであり、俺の仕事場である。

 プールや浴室、サウナまで備えた、本格的な施設だ。


 前にセントヴィクトリーのパンフレットを見た紅愛が、目を輝かせて言っていた。


『ここでパパは道場破りを返り討ちにしてるんだね! わあカッコいい!』


 違います。

 俺はただの雑用係です。というかいつの時代の話だよ。

 紅愛はほんわかした見た目と言動なのに、ときどき脳内が武に染まる。

 パパは悲しいぞ。


「……おっと。泣いちゃいけない。気を引き締めて――皆さん、おはようございます」

「おはざっす!」


 ジム内に入ると、所属選手や一部の常連さんが挨拶を返してくれる。


「皆さんお早いですね。ご苦労様です」

「あざっす!」


 ……繰り返すが、俺はただの雑用係である。

 視察に来た大御所アスリートではない。


 フロアの掃除をするため、職員用の更衣室に向かう。その間も、後ろからコソコソと声が聞こえてくる。


『やべー。今日も雰囲気パネェな能登サン』

『昨日は何人病院送りにしたんだろうなぁ』

『バッカ。能登さんがそんなわかりやすいシメ方するかよ。一度ぶつかったら最後、やられたことすら気づかず気持ちよく昇天されられるに決まってるだろ』


「……んふぅ」


 俺、何かやったか?と毎朝思う。心当たりはいつもない。昨日は卵焼きをちょっと焦がして泣きそうになったことくらいしか印象に残っていない。

 サングラスか。やはりサングラスがまずいのか。


「やあ。おはよう勝剛君」


 いかにも好々爺といった感じの穏やかな声に、俺は振り返って挨拶をする。


「おはようございます、千波ちなみさん」


 千波火賀志かがしさん。このセントヴィクトリーの所長だ。

 御年おんとし64歳。

 かつて姉さんの所属していた芸能事務所の元社長さんでもある。


 そういえば12年前の葬儀の時、俺の顔が怖いってズバッと言ってくれたのも千波さんだった。今朝、夢で見たから思い出した。

 姉さんがいなくなって芸能事務所を畳んでからも、何かと俺たち親子を気にかけてくれている。こうして俺が働けるのも、千波さんが俺の人柄を買ってくれたから。

 俺たち親子の恩人だ。


 事務所を畳んで、すぐにこんなでっかいジムを経営できるのだから、千波さんは本当に凄い人だ。

 そんな凄い人に「顔が怖い」と言われる俺って……。


「……んふぅ」

「おお、今日も快調に怖い顔だね」

「世界で俺だけしか当てはまらないような嫌な確認方法やめてください」


 あっはっはと朗らかに笑い飛ばす千波さん。


「褒めてるんだよ。相変わらず良い威圧感だとね。結構結構。ウチの若い連中も程よい感じに引き締まってるよ。その調子でドンドン脅してやってくれ」

「……んふぅ。はい……」


 仕方なくうなずく俺。

 サングラス通勤を提案してきたのも千波さんだ。

 強さを勘違いした輩が集まりやすいジムにおいて、俺の存在が良い抑止力になるらしい。


 時には効果がありすぎて、「ちょっとスパーリング、いいっすか?」と腕っ節自慢の新人君から挑発されることもあった。

 そういうときは、とりあえず『警備係』としての職務をまっとうするようにしている。

 警備係の働きも含めて、今のところ仕事はきちんとこなしているつもりだ。

 ジム内は平和である。役割が果たせて嬉しい。


「さてと、気を取り直してお仕事しますか」


 動きやすい制服に着替えてフロアに出る。さすがにサングラスは外す。常連さんはともかく、ご新規さんをビビらせてはいけない。

 一度、マジで回れ右されたからなあ……。悲鳴付きで。

 あれ? 俺、ここ以外の職場だと割と詰んでない?


 ジムの常連さんたちに改めて声をかけながら、俺はフロアの清掃を行う。時々、トレーニングについてのアドバイスを求められたりミットを持ってくれと頼まれたりもした。


 繰り返すが俺はトレーナーでもコーチでもなく、雑用係である。


 ふと、休憩中の若い男性選手に呼ばれた。


「能登サン! これこれ、見てくださいよ。この前のMスタ。涼風姉妹が出てたんですよ」


 そう言って、スマホの動画を見せてくれる。

 そこに映っていたのは、ネットバラエティー番組で司会者から質問を受ける紅愛と白愛だった。


「紅愛ちゃん、可愛いですよねー。ほんわか癒やし系で、これぞアイドルって感じで。グループの他の娘も捨てがたいんですけど、やっぱり頭一つ抜けてるっす。あ、紅愛ちゃんの日めくりカレンダー、俺買っちゃったんすよ」

「そうなんだ」

「ファンとしての務めっす。あー、マジ癒やされるー。能登サン、今度紅愛ちゃんたちのライブ、一緒にどうっすか? めっちゃアガること間違いなしっすよ!」


 スパーリングで青あざがついている顔を緩めて、男性選手が言う。

 俺は苦笑しながらやんわりと断る。

 すると今度は、常連の女性会員さんが後ろからのぞき込んできた。


「アタシは断然、白愛ちゃん派だなあ。キリっとしてカッコいいですもん。あの子」


 ウチのジムでは女性専用スペースもあるが、割と男女入り混じって和気藹々わきあいあいとやっている。

 不埒ふらちを働く輩は許してないので。


「この前出てたドラマ。めっちゃ良かったですよー! ほらほら、アタシの髪型、ドラマの白愛ちゃんの真似なんですよ! 『あなた、つまらない男ね……』どう? 似てます? 似てます?」


 グイグイくる常連さんに対しても、俺は曖昧に笑ってうなずいた。


 紅愛はアイドルグループのセンターとして。

 白愛は実力派女優として。

 それぞれ売り出し中の芸能人だ。

 姉さんの血は、芸能スキルの面でもしっかりと受け継がれていた。


 そして俺は、彼女たちの育ての親であることを内緒にしている。

 名字が違うことを邪推されて、あらぬ騒ぎが起こってもいけない。

 職場で俺たちのことを知っているのは千波さんくらいだ。


 どうしても説明しなければいけない場合は、事務所の関係者か、もしくは家族から依頼された世話係と言うようにしている。どちらもまったくの嘘ではない。


 ただ、うっかりミスは起きるものだ。例えば、紅愛や白愛の出演スケジュールにやたら詳しいことがバレてしまったり、コアなファンしか知らないような癖を把握していたり……。


 そのせいか、俺はどうやら同僚や常連さんから涼風姉妹の熱心なファンと見られているらしい。

 超強面な能登勝剛が、超可愛い双子姉妹にゾッコンなのはギャップがあって、むしろ親しみやすい……とか、何とか。


 12年間ずっと一緒に暮らしてきたことがバレたら、どんな顔をされるだろうか……。


「あ、例のドラマ。やっぱり再放送するんですね」


 ふと、動画の合間に流れる宣伝広告を見て女性会員さんが言った。


「やっぱ相変わらずカッコいいなあ」

「お前、カッコいい俳優に目がないよな。ドラマの内容はアレなのに」


 黄色い声をあげる女性会員と、それに呆れる男性選手。

 休憩の邪魔をしてはいけないと俺が踵を返したときだ。


「だぁって、カッコいいもんはカッコいいじゃん。特に主演の乱場カイト!」


 乱場カイト。

 その名前が耳に入り、俺は無意識のうちに足を止めていた。









【5話あとがき】

クセ強姉妹に愛されている勝剛は、職場でも愛され(怖がられ)ているというお話でした。

とりあえず主人公泣きすぎと思いませんか?

話題の俳優と勝剛にはどんな因縁があるの?

それは次のエピソードで。

勝剛のキャラは哀愁を誘うと感じて頂けたら(頂けなくても)……

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