第39話 泣き下手と強者の一撃
「そう思うならもっと打ち込んでこい。俺はまだ余裕だぞ」
俺は小声で告げた。ブラフでも何でもない。紛う事なき本心。
まだ殴り足りないなら、かかってこい。
そう目線で挑発する。
カイトはさらに強く頭を突きつけてきた。超至近距離にもかかわらず、彼は手招きする。
「せっかくこっちが気持ちよく打ち込んでるんだ。あんたも打ってこいよ。その方が気持ちいい。あんたのクソ真面目な挑発はつまんねえよ」
興奮した口調。
俺は無言を貫く。意思表示の代わりに、もう一度がっちりと防御姿勢を取った。
カイトが舌打ちする。
「ああそうかい。よーくわかった――よっ!」
「むっ!?」
左足首に衝撃が走る。
体重を乗せていた前の足に、カイトが踵をぶつけたのだ。足払いである。
重心がずれ、俺の身体が傾く。そのタイミングで、今度はショルダータックルをぶつけてきたカイト。
俺は無様に尻餅をついた。小口君や相原さんの悲鳴が重なる。
カイトは顎の汗を拭った。それからサルのオモチャのように両手のグローブをバンバンと叩く。
あからさまな挑発だった。
「はははハハハハッ!!」
舌を出し、まるで子どものように嘲笑を上げるカイト。そこに俳優としての面影は
(こちらが本性か)
俺は思う。左足の具合を確認しながら立ち上がった。
「ら、乱場カイトさん! あなた卑怯よ! 今、能登さんの足を引っかけたでしょう!?」
相原さんの抗議に、カイトが笑みを引っ込める。
彼はツカツカとコーナーへ近づくと、怯える彼女の目の前でコーナーポストを殴りつけた。
「黙れ」
「ひッ…!?」
萎縮する相原さん。なおも拳を振り上げるカイトを、俺は止めた。肩を掴んで、無理矢理リング中央に戻す。
また例の笑いを見せるカイト。
だが、俺が
俺はじっと奴の目を見る。
だんだんと理性を失いかけている。さっきは本当に女性を殴りつけて黙らせようとしていた。
乱場カイトが、ここまで暴力性を露わにする理由を俺は知らない。
知ろうとも思わない。
確かなのは、ひとつ。
こんな奴を紅愛と白愛に会わせてたまるか。
カイトが迫る。
今度は足払いではない。ヘッドギア同士をぶつけるように頭突きをしてきたのだ。
額から首筋に駆け抜ける衝撃。
しかし、俺はその場から微動だにしなかった。
カイトの表情に、初めて戸惑いが宿る。彼は何度か力を込めて俺をコーナーまで押し出そうとした。それでも俺は動かない。
「こ、の……っ!」
次第にムキになっていくカイト。
俺は片足を半歩前へ滑らせる。腰をわずかに落とし、力を溜めた。そして――。
「ふっ!」
直後、カイトが息を呑む。目を見開いたまま、彼の身体が
彼はもんどり打ってひっくり返ると、コーナーポストの根元に背中から激突した。まるで交通事故のような有様に、ジム内が静まりかえる。
カイトがだらりと腕を投げ出したまま横たわっている。衝撃に一瞬意識が遠のいたのだろう。俺は彼の様子をひどく冷静に見下ろした。
「の、能登……サン?」
セコンドに付いていた小口君が呆けた声を出す。隣の相原さんと揃って、表情までポカンとしていた。
時間にして4秒くらいか。
カイトのグローブが動き、リングマットを突いた。ぐぐっと上体を起こす。
大きく呼吸を繰り返すカイト。彼の表情が混乱を物語る。
――俺は今、何をされた?
「カウントは必要か?」
俺が尋ねると、カイトは我に返った。狂気を向けるべき
立ち上が――ろうとした。
だが途中をバランスを崩す。足にダメージが来ているのだ。
カイトは唇を噛みしめ、再度ダウンするのを拒否した。
俺は言い放った。
「セコい反則までしておいて、その程度か? 乱場カイト。こっちは
カイトがカッと目を見開いた。彼の両肩が筋肉で盛り上がる。
猛然と距離を詰めてきた。ヘッドギア越しでもカイトが激昂しているのがわかる。
足の踏ん張りが利かない分、力任せに拳を振ってきた。
右、左、右、右、さらに大きく右。
利き腕の
それを俺はすべて
視界の端で歯ぎしりするカイトを見る。彼はグッと息を止めた。盛り上がる肩の筋肉、硬直する腰、太もも。
渾身の右ストレートを
こちらも筋肉を連動させる。足の指、ふくらはぎ、太もも、臀部、腰、背中、肩、そして腕。
最後に握り込んだ左拳をカイトの脇腹に叩き込んだ。
重い破裂音が短く響く。
カイトの動きが止まる。彼の口が半開きになった。息が吸えてない。吐けてもいない。眼球が血走っている。体幹のバランスが狂った。
俺は冷静に、ひどく冷静に次の動作に移行する。
右の拳が、今度は反対側の脇腹に突き刺さった。
「~~~…………ッ!!」
カイトの顎が上がる。口から意味不明な呻きとともに、マウスピースがこぼれ落ちた。
そのまま、身体も崩れ落ちる。
左右のボディ2発でリングに沈んだのだ。
俺は次撃の準備が整っていた左拳をゆっくりと下げた。ボディに悶絶して奴が膝を突くまでに約1秒ちょっと。その間、もう2発は顔面に叩き込めただろう。
呻き続け、背中を
「……んな、バカな」
カイトの声が聞こえた。
彼は顔だけ上げて俺を睨んでいる。その目は血走り、闘志は――いや、凶暴な本能は衰えていない。
しかし、肉体の方が言うことを聞かない。
結果、彼は唸りながら不気味に震えるだけのモンスターと化す。
「やめるんだ、お前たち」
苦しげだが威厳のある声がした。
【39話あとがき】
たった2発で格の違いを見せつけた勝剛――というお話。
ボディで撃沈させるのは本物の強者という感じですよね?
このジム破りはどう決着するのか?
それは次のエピソードで。
「カイトざまァ!」と思って頂けたら(頂けなくても)……
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