第25話 泣き下手と双子の散歩道


 その夜――。

 自室で横になった紅愛は、ベッドの中でもじもじしていた。


「……眠れない」


 掛け布団で口元を隠した彼女の顔は、うっすらと紅潮している。

 寝る前にダンベル腕立て300回なんてお馬鹿な真似をしたことも影響しているが、一番は悶々と想像してしまったからだ。


 ――もし今、パパの部屋に行ったら……はなさんにも勝てる!?


 はなの存在は紅愛にとって、とてつもなく大きなインパクトがあった。

 かつて世話になった大好きなお姉さん。相変わらずの優しさ。自分たち姉妹と並んでも同級生にしか見えない若々しさ。新進気鋭の芸能事務所の社長に、ドラマの重要ポジション起用を決意させるだけのポテンシャル。

 そして何より、まるで熟年の夫婦のような勝剛との息の合いっぷり――。


 はなは否定していたが、このままだと勝剛とはながくっつくのは時間の問題のように思えてならない。

 何か行動を起こさなければ。きっとあっという間に置いて行かれる。


(このままはなさんにパパを取られるくらいなら……! いっそ自分から関係を持ってしまえば、どどどどどうだろう。既成事実、そう、ききききせいじじつつつだ!)


「…………ッ!!」


 今度は布団を頭からすっぽり被る。


 そのまま、数分。

 白愛曰く「ヘタレな姉様」は、今日はヘタレで終わらなかった。


「……よし」


 意を決してベッドから起き上がった紅愛。そのままお気に入りのダンベルを手に、自室を出た。さすがに薄着とか、ましてや下着姿になる勇気まではない。だって恥ずかしいじゃん。そこはヘタレで結構です。んふぅ。


「力こそパワーだよ、紅愛」


 自分を鼓舞するように小さく呟く。

 彼女の脳内では、どこぞのバトルアニメのように拳と拳をぶつけ合う壮絶な力比べが繰り広げられていた。ベッドの上で。イッパイイッパイな紅愛にとって夜這いは「力こそパワー」なのである。「それ違う」とツッコむ人間はこの場にいない。


 ふと、廊下で立ち止まる。

 そこは来客用の部屋の前だった。今日ははなが使っている。

 物音はしない。彼女は静かに眠っているらしい。


「負けない……もん」


 小さく、ほんの小さく呟いてから、紅愛は再び歩き出す。

 そしてついに、勝剛の部屋の扉までたどり着いた。


 唾を飲み込み、ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。――が、そこに触れるか触れないかのところで手が止まった。手汗がどんどんにじみ出てくるのがわかる。いつの間にか息まで止めていた。


 ゆっくりと呼吸をして肩の力を抜いた紅愛は、ふと、足下に視線を向ける。

 三角座りをした白愛と目が合った。


「~~~~………………ッッ!!」


 両手で口元をおおい、すんでの所で悲鳴が飛び出すのを防ぐ。

 双子妹は、明かりの落ちた廊下の闇に半ば同化しながら、じっとりとした視線を姉に向けていた。その手にはお気に入りの枕が握られている。


 自分もお気に入りのダンベルを持ちだして気持ちを落ち着かせようとしたから、同類だと紅愛は思った。


 扉を挟んで廊下に腰を落とす。

 お互い会話もない。ただ息を殺して座っているだけ。


 ちらりと白愛を見る。

 白愛は裸足の爪先に視線を落としながら、ときおり紅愛とチラと見やっている。

 

 ――考えていることは一緒のようだ。


 やがて諦めのため息を漏らすと、「ちょっと外で散歩しよう」と紅愛は手振りで促した。頷いた白愛とふたり、そっと自室に戻る。

 それから手早く着替えを済ませると、マンションを出た。


 向かった先は、近所にある川沿いの公園。

 数日前、ダブルデートの最後に立ち寄った場所だ。


 紅愛は目を細め、夜空を見上げた。


「水辺はやっぱ風が気持ちいいね。今日は月も綺麗だし。ずっと空を見上げて歩きたいなあ」

「姉様。景色の美しさに逃避しても私たちのヘタレは何も変わらないです……」

「むぐ。いいでしょ、気分転換のためにここまで来たんだから」

「それはそうですが……ここはいささか、私たちには刺激が強いような気がします」


 白愛の言葉に、改めて辺りを見回す。

 そこはいかにも夜の公園、定番のデートスポットと化していた。結構な数のカップルが仲睦まじく歩いているのである。


 双子姉妹は気まずげに顔を見合わせた。とりあえず偽装と対抗のため、互いに手を繋ぐ。少し安心で、ちょっと虚しかった。


 以前に勝剛と歩いた遊歩道をしばらく散歩する。

 カップルとすれ違うたびに、その後ろ姿を紅愛は目で追いかける。その様子を見た白愛が、姉に尋ねた。


「姉様、なぜあのまま父様の部屋に入らなかったのですか?」

「……それ聞いちゃうんだ」


 わかってるくせに、と思いながら、紅愛は言葉を探した。

 情けないほどぴったりくる回答が、すぐに浮かんだ。


「勇気がなかったんだよ、あたし」


 公園の出入り口で、何やら言い争っているカップルがいた。彼らはどちらからともなく相手に背を向けると、それぞれ別の方向へ歩き去っていく。

 ラブラブ、イチャイチャ。そんなカップルがいる一方で、破局を迎えるカップルもいる。

 そんな当たり前の光景すら、自分たちには遠い世界のことのように感じてしまう。

 立場があるから。

 叔父と姪の関係だから。


 紅愛は言った。


「全部ぶっ壊してパパと一緒になれれば、どんなに幸せ――ううん、『楽』だろうって思うよ。楽になる勇気がないって、考えたら変な話だよね」

「姉様……」


 ただ、それでも。

 もう一歩――いや、半歩くらい、先に進んでも。

 そう、例えば……。


「キス、とか?」

「姉様……」

「あ、茶化さないでよ白愛。あたし、真剣に――」

「いえ、その……姉様の手が熱くて、その、私まで」


 ぼそぼそと、珍しく歯切れの悪い物言いの白愛。

 月明かりの下で、白愛の頬が薄らと紅潮しているのが見えた。

 紅愛もまた、自分の顔が同じくらい赤くなっていることを自覚する。


 しばらく俯いて黙り込んでいたふたりは、どちらともなく深いため息をついた。


「結局、自分たちはまだ子ども、か」


 互いの手を離し、「帰ろうか」と頷き合った。


 そのときである。


「美しい青春模様ですねえ」

「……!?」


 突然声をかけられ、紅愛たちは振り返った。


 ちょうど街灯の陰となったベンチに、ひと組の男女が座っていた。暗くて人相はよくわからないが、どこかで見覚えがあると紅愛は思う。

 すまなそうに手を振りながら、男性の方が少し高めの声で言った。


「ああ、驚かせてしまって申し訳ない。ここで涼んでいたら、偶然君たちの会話が聞こえてしまってね」

「やだ、そうなんですか? 恥ずかし-。ごめんなさい、お邪魔しました。おふたりは素敵なカップルで、羨ましいです」


 相手が女性連れということで少し安心した紅愛。とっさにアイドルスマイルを浮かべ、その場を誤魔化す。

 白愛を促して立ち去ろうとしたとき、異変に気付いた。

 夜闇の中でもはっきりとわかるほど、白愛が真っ青になっていたのだ。白愛、と呼びかけようとして自制する。さりげない仕草で、紅愛は妹を背中に隠した。

 アイドルスマイルを貼り付けたまま、警戒心をMAXまで引き上げて男性たちを見る。


 双子の態度に気付いているのかいないのか、ベンチから立ち上がる男性たち。そのまま踵を返したので、紅愛も白愛もホッと息を吐く。


「――機会を逃してはいけないよ」


 再び声をかけられ、びくりと肩を震わせる。

 去ったはずの男性たちが、立ち止まって双子を振り返っている。街灯のぎりぎり縁に立つ彼らの姿は、すらりとした足下しかよく見えない。声だけがはっきりと聞こえる。


「障害を乗り越えるのは好奇心さ。若いときの過ちは、その先の人生をとても味わい深くしてくれる。怖れることはないよ。ふふふ……」


 紅愛も白愛も、背筋が震えた。

 表情が判別できないのに、なぜかくっきりと彼の『笑み』を見た気がしたのだ。


 時間にして数秒。双子にとっては無限に近い時間。

 だが、結局はそれだけだった。

 奇妙なカップルはそれ以上何も告げることなく、今度こそ歩道の先、暗闇の奥へと歩き去っていったのである。


 しばらく双子姉妹は、その場に立ち尽くした。

 心臓の鼓動がやけにうるさい。

 呼吸が浅い。

 何かされたわけでもないのに、全身が筋肉痛になったかのように動かない。動かせない。

 このまま永久に動けなくなるのではないか――と、そう思ったときだった。


「紅愛、白愛」

「……あ」


 勝剛の声が聞こえ、ふたりは呪縛から解き放たれる。

 息ができるようになり、一気に身体の力が抜けた。


 ラフな格好のままな勝剛が、ふたりに駆け寄る。


「ふたりとも、こんな時間に出かけたら危ないだろ」

「パパ……どうして」

「お前たちが部屋を出ていく気配に気付いたんだ。買い物にしてはちょっと様子がおかしかったからな。おいかけてきた」

「父様……」

「眠れないのか、ふたりとも」


 双子姉妹の様子がおかしいことに気付き、勝剛の口調が柔らかくなる。

 その声を聞いた途端、紅愛と白愛は表情を崩した。

 目尻から涙を浮かべながら、勝剛に抱きつく。


 それは、勝剛譲りの泣き下手顔ではなかった。

 世界で一番大切な人と出会う前の、泣き顔であった。


 勝剛は何かを言いかけたが、やめた。包み込むように紅愛と白愛を抱きしめる。

 たくましい彼の腕の中で、双子姉妹は声を揃えた。


「パパ……」

「父様……」

「どうした?」

「今日は、一緒に寝たい」


 目を潤ませて勝剛を見上げるふたり。

 一度大きく目を見開いた勝剛は、小さく何度かうなずき、「ああ、わかった。おいで」と優しく答えた。 

 











【25話あとがき】

ふてくされた双子姉妹が次に起こした行動は、大胆にも夜這いだった(半分成功?)――というお話でした。

大事な人に気持ちを伝えられないもどかしさって、ありますよね?

双子姉妹に起こった変化とは?

それは次のエピソードで。

また怪しいヤツがちょっかいかけてきた!と思って頂けたら(頂けなくても)……

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