第37話 泣き下手とジム破り
バイクを駆り、セントヴィクトリーへ。大型バイクの荒々しい重低音。まるで俺の怒りにリンクしているようだ。歩道を歩く人々の視線が刺さるが、今は気にしていられない。
じれったいほどの時間を経て、ジムが入る建物に到着。
外から見るセントヴィクトリーのフロアは、いつもと変わらないように見えた。
早くなる心臓の鼓動を感じながら、エレベーターで5階へ。そしてジムの正面玄関前に立つ。いつも以上に静かだった。スパーリングの音、マシンが駆動する音、バーベルを床に置く音が聞こえない。
朝仲さんから託された小型カメラを胸ポケットに差し込んで、俺はセントヴィクトリーに入った。
直後、俺の姿に気付いた常連客の女性、相原さんがすがりついてくる。
「能登さん! ああ、よかったよぉ! 来てくれたぁ!」
「遅くなってすみません」
「すんません、能登サン……オレがふがいないばかりに」
「
ウチの練習生の男性、小口君がやってきた。氷嚢を
俺は怒りを募らせながら、リングを見た。
そこに、乱場カイトがいた。
リングコーナーに背中を預け、
――違和感を覚えた。
最近露出が少なくなってきたとはいえ、彼の顔はテレビで何度も見てきた。12年前、姉さんのことで低俗な脅しをかけてきたときの顔も覚えている。裏表がある奴だと俺は認識していた。
しかし、今の彼は、映像越しの顔とも昔のチンピラの顔とも少し違う。
もっと感情を剥き出しにしている。なのに冷静。
上手く言語化できないが……内に秘めた凶暴性を絶妙に飼い慣らしているというか。そういう荒々しさを隠そうとしていない。それでいて、どこか晴れ晴れとした表情にも見えるのだ。
昔、事務所に押しかけてきたときは、ただ粗暴で卑屈な男だった。今は、そこから卑屈さが消えている。
まるで、「これが本来の俺だ」と言わんばかりに。
より危険だと俺は思った。
俺はカイトを睨んで
彼はフロアの隅に置かれたベンチで横になっていた。額に濡れタオルが置かれ、先ほどまで常連の女性に介抱されていたのがわかる。
「千波さん。能登です。大丈夫ですか? 俺がわかりますか?」
声をかけると、千波さんは無言で頷いた。まだふらつくのだろう。無理はさせられない。
代わりに、小口君へ事情を尋ねる。
――始めは、普通にジム見学だったらしい。
小口君も相原さんも、あの乱場カイトがお忍びでやってきたと興奮したそうだ。
「ただ、確かにちょっとおかしいなって思うところもあって。なんつーか、顔はテレビで見たとおりに笑ってるのに、すっげーイラついてるのがわかるってゆーか……。それでオレ、つい言っちゃったんです。『よかったらスパーしませんか? スッキリするっスよ!』って。そしたら――」
リングに上がった途端、カイトは暴力的になったという。
スパーリングなのだからテンションが上がるのはわかる。だがプロを目指すボクサーとして修練をしてきた小口君から見て、その一撃一撃は異様に映った。
「プロでもそういないっス。『てめえぜってーコロス』って勢いなのに、見た目はクール――っていうか、むしろ笑ってるくらいで」
「笑う? スパー中にか?」
「さすがにマズいと千波オーナーも思ったみたいで、途中で止めに入ったんです。けどそのあと千波さんともモメて……何か言い争いをしているウチに、千波さんまでボコられて倒されちゃったんス。マジすみません能登サン。あのときオレ、足に来てて止めらんなかった……」
それから改めて、リング上のカイトを見る。怒りを込めて。
「乱場カイトさん。この状況、どう説明するおつもりですか」
「説明? そこのスパー相手君が言ったとおりだろ。見たままさ」
カイトは悪びれる様子もなく告げた。
ならばと俺も強く出る。
「すでに警察を呼ぶ手配はしています。あなたは一般人じゃない。大型ドラマの撮影を控えた俳優だ。もうキャリアは潰れたと思って下さい。あんたは終わりだ」
「キャリア、ねえ」
俺は眉をひそめた。
何だ、その余裕な態度は。
まるで自分のキャリアなどどうでもいいと言いたそうじゃないか。
朝仲さんや芸能関係者の話だと、最近の彼は特に出番に飢えていたと聞く。本当に同一人物か? この男に何があった?
警戒心を高める俺。すると奴はリングを降り、おもむろに近づいてきた。
俺とほとんど身長が変わらない。自然とフェイスオフのようになった。
カイトは囁くように、俺にだけ聞こえる声で言った。
「あんた、能登勝剛だろ? 涼風姉妹とはよろしくやってるか?」
「……なんだと?」
「あんたと同じように、俺にもあの双子には深ーい思い入れがあんだよ」
喉の奥で笑うカイト。
「警察って言ったな? いいぜ、呼んでみな。
ゴッと音がした。
青筋を浮かべた俺の額が、カイトのそれとぶつかり合う音だ。
普通にしているときですら周囲を怖がらせ、気絶さえさせてしまう俺の顔。
そこに本気の怒りを乗せ、至近距離から睨み付ける。
カイトは大仰に両手を挙げた。そして一歩下がる。顔はニヤついたまま、目は大きく見開いたままだ。
「実を言うと、まだ暴れ足りないんだ。せっかくだから、あんた付き合ってくれよ。スパーリングにさ」
「正気か?」
「正気じゃつまんねえだろ。俺を満足させたら、大人しく帰ってやるからよ」
踵を返し、彼はグローブを手に取る。手慣れた様子で準備を始めるカイト。
「そう目くじら立てないでくれ。もともと役作りのつもりだったんだ。ちょーっと昔を思い出して熱くなっただけなんだから。このままじゃドラマの撮影も不完全燃焼で終わっちまうぜ。聞いてるだろ監督から。俺の性分をさ」
「だったらウチは出禁だ。別のところを探してくれ」
「この『熱』を何とかしなきゃ、ここを離れるわけにはいかないなぁ」
リングに上がるカイト。彼は挑発した。
「こいよ。そのカラダは飾りか? そんなんじゃ、カワイイ子は守れないぜ?」
「……そこで待ってろ。準備する」
俺は告げる。
更衣室に向けて歩き出した俺に、小口君と相原さんがすがりつく。
「能登サン! あいつはヤバいですって。オレが言うのもアレですけど、めっちゃ強いんですから。止めた方がいいって!」
「そ、そうですよ! ここは警察とかに任せておいた方が……!」
忠告してくれるふたりに、俺は「ありがとう」と応える。
そして胸ポケットに差していた小型カメラを相原さんに預けると、俺は言った。
「俺はこのジムの警備担当だ。『おいた』する輩は放っておけない。これまでもそうしてきたでしょう?」
「そ、それはそうっスが……」
「だいじょうぶ」
俺は微笑んだ。その顔を見た小口君と相原さんはのけぞる。顔の怖さに慣れているはずのふたりが、
「『あの子たち』にたかる害虫ごときに、俺は倒れない」
【37話あとがき】
一触即発どころか、勝剛ブチギレの睨み合い――というお話。
改めて、カイトの野郎はクッソむかつく上に不気味ですよね?
スパーリングの名を借りた真剣勝負、行方はどうなる?
それは次のエピソードで。
カイトが狂気すぎて理解できんと思って頂けたら(頂けなくても)……
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