第56話 泣き下手姉妹ともうひとつの因縁 3
「姉、様……」
白愛が顔を上げる。白く強ばっていた彼女の表情に、一筋の光が差し込む。
一方の陸駆は、名状しがたい顔を浮かべていた。
「余計なことを」と苦々しく思う気持ち。
「もっと美しいものが見られるかもしれない」と期待に胸躍らせる気持ち。
それら相反する感情がぶつかり合っている。それが顔に出ている。
結局、陸駆はスマホの通話を切らなかった。
双子の姉の言葉が路地裏に響く。
『白愛、聞いて。あたしたち、ふたりで確認したでしょ? あたしたちだけが持つ想い。それは呪いみたいな過去よりずっと強いって! 負けないって!!』
「姉様。ええ、はい。そうです。私は――」
『あたしは、ちゃんと過去を拒絶できたよ』
紅愛の声が、白愛を導く。
『だから白愛もできる。あたしたちは同じ想いを共有した家族。それは血よりも強いって証明しよう!』
「姉様……」
『今、ここで、独立するんだ! そこにいる男からも、ママからも!!』
――はなは思った。
何て強い言葉だろう。
ウチは何もできなかったのに、何も言えなかったのに。
もう白愛ちゃんは、目の輝きを取り戻している。
「あなたたちって、本当に凄いのね」
「家族のおかげです。もちろん、はな様も」
独り言のつもりだったはなに、優しい言葉を返す白愛。その横顔は涼やかだったが、今までとは確かに違って見えた。
小さく舌打ちが聞こえた。陸駆だった。
彼は親指で強くスマホを押し込む。通話が途切れ、紅愛の声が聞こえなくなる。
陸駆が手で口元を隠す。再び手を下ろしたとき、苦々しく歪んでいた口元が笑みに変わっていた。
「白愛。涼風紅愛の言葉を真に受けるのかい? 家族? 苦し紛れの出任せかもしれないよ。だって君と彼女は、
それは陸駆の揺さぶりだった。はなは「貴様……!」と歯ぎしりする。
白愛は動じなかった。
彼女ははなの手をそっとどけると、しっかりと立ち上がった。そして、おもむろに陸駆へと歩み寄る。
白愛と陸駆の視線がぶつかった。
陸駆の頬に、一筋の汗が流れる。
たおやかな白磁の手が、振り上げられる。白愛は、女優としても滅多に見せない怒りの表情でぶちまけた。
「紅愛は、私の姉様だ!!」
そのまま、平手が陸駆の頬に叩き付けられた。
驚愕に染まる陸駆の顔。
白愛は力強く宣言した。
「嵐馬陸駆、私は、あなたの思うようにはならない! 私はあなたの言葉を否定します。私の人生は――嵐馬陸駆のものじゃない!!」
カラン、とスマホがアスファルトで跳ねる音がした。
頬を力一杯殴打された陸駆が、呆然としたまま一歩、二歩と後ずさる。
彼は呟いた。
「まだ――足りないのか?」
額に手を当てる。俯く。そして彼は、くつくつと喉の奥で嗤いだした。密やかな笑いは、いつしか大きな
耳の先まで血が上っていた。陸駆の両手が感電したように強ばる。アドレナリンが全身を巡り、血管が浮き出る。
陸駆自身は知らないが――
膨れ上がったその狂気が爆発する間際、路地裏に鋭い声が響く。
「白愛さま、はなさん! こちらへ走って!」
「蓬莱さん!」
「お嬢!」
パッと表情を明るくする白愛たち。路地の入口に現れたのは蓬莱アズサだった。
どうやら、車を襲撃した連中は無事に撃退したらしい。
頷いたはなは、白愛の手を取って駆け出した。アズサと無事に合流する。
アズサは気持ち悪そうに振り返った。
「白愛さま、あの男は……」
「いいのです。もう私にも姉様にも、関係のない人ですから」
白愛が言う。何か言いたげなアズサだったが、まずは安全確保を優先させた。
路地から出る間際、白愛は振り返って告げた。
「嵐馬陸駆。もうあなたと会うことも、あなたに狂わされることもないでしょう。さようなら」
陸駆は振り返らない。ただ、哄笑は止まっていた。白愛たちに背を向け、何もない虚空を見つめている。
白愛とはなは、アズサとともに現場を離脱した。
◆◆◆
――
しばらく、沈黙の時間が続いた。遠くでサイレンの音がする。もう間もなく、警察がここにやってくるだろう。
陸駆は大げさに肩をすくめた。秘書に声をかける。
「……まあいいさ。これで終わりではない。さあ君、引き上げようか」
「いいえ。ここで終わりです。終わりにしましょう」
「何を言って――!?」
次の瞬間、陸駆の身体に激しい痛みが走る。彼は膝を突いた。
荒い息を吐きながら視線を上げる。
そこには、スタンガンを持った秘書の姿があった。
陸駆は「どうして」と呟こうとしたが、痛みで口にできなかった。それどころか、どんどん身体に力が入らなくなっていく。陸駆は自らの身体へ起こった変化に戸惑っていた。
「ずっと見てきた『娘』に拒絶されたこと、あなたが思うより心のダメージが大きかったみたいね」
「……!?」
陸駆は視線を巡らせた。いつの間にか、秘書の隣に別の女性が立っている。
どこかの洒落たブティックの制服姿である。路地裏には似つかわしくない格好であった。
陸駆は知らない。現れた女性が、少し前まで勝剛や双子姉妹たちを振り回していた、あのブティックの店員であることを。
店員は秘書の肩に手を置いた。
「お疲れ様」
「
呟いたきり、俯く秘書。
まだ理性が残っていた陸駆は悟った。自分は秘書に裏切られたのだと。
ブティックの店員――天院は、倒れ伏す陸駆に言った。
「私ね、
陸駆は自分の変化に驚く。天院の言葉に反論する怒りも、煙に巻く余裕も、自分の中に湧いてこない。
彼は全てを悟った。意識が遠くなりながら、陸駆は屈服の言葉を吐いた。
「子離れしたら……私にはもう何も残らないのだな」
そして、嵐馬陸駆は意識を手放した。
天を仰ぐ秘書。
天院は彼女を気遣いながら、気絶した陸駆に語りかける。
「あなたの心はもう壊れていたのよ。それが認められなくて、我が子を自分と同じ狂気の道に引きずり込もうとした。そんな浅はかな考えがもたらした結末なのよ、これは」
――サイレンの音が近づいてくる。
天院はスマホを取り出し、通話ボタンを押した。
「もしもし、天院です。終わりましたよ。これから秘書の子を連れてそちらに向かいます。――ええ、こちらこそ。ご協力、感謝致します。千波さん」
【56話あとがき】
血の繋がりを超えた絆を自覚し、白愛は陸駆をはっきり拒絶した――というお話。
図らずも、双子姉妹が同じ言葉を吐いたのが印象的ですよね?
ついに因縁とケリを付けた双子姉妹と勝剛たち。後始末はどうなる?
それは次のエピソードで。
ようやく胸クソ悪い奴がいなくなったよと思って頂けたら(頂けなくても)……
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