第34話 泣き下手と双子のあと一歩


 まさか朝仲さんに演技を認められるとは。俺と姉さんに似ているところはひとつもない――そう思っていた。同じ血は流れていると言われ、どこかおごそかな気持ちになる。


 紅愛が大きく深呼吸する。


「……うん。わかってるよ朝仲さん。もう大丈夫」


 まだ顔に赤みが残ったまま、紅愛が俺の前に立つ。白愛もその隣に並んだ。

 紅愛の唇が小さく動いている。「チャンス。チャンス。チャンス――」とひたすら呟き続けているのがわかった。チャンスと口にするたび肩に力が入っている。視界の端で、朝仲さんが額を押さえるのが見えた。


 紅愛が意を決して一歩前に出る。俺と身体が触れ合うまで、手のひらひとつ分ほど。ほんのりと熱と匂いを感じられる距離。


 ――はなと演技練習したときは、ここから告白シーンだった。「あなたが」から始まるセリフ。


「あ……あ……あ……!」


 セリフが、紅愛の喉で深刻な渋滞を引き起こしていた。

 はなと練習したときと明らかに違う。あのときはむしろ、はなを泣かせるほどグイグイいっていたのに。


「頑張れ紅愛」

「……ッ!!」


 励ますつもりで小さく声をかける。すると紅愛の顔の赤みが一気に5割増しになった。位置的に、上から紅愛の耳元に囁く形になったのがマズかったのかもしれない。

 彼女は俺以上の小声で呟いた。


「せっかく普段言えないことを言うチャンスなのに……!!」


 んふぅ、といつもの泣き顔になってしまう紅愛。


「というか、この件でパパに励まされるの何かムカつく……!! んふぅ!!」


 よほど悔しかったようだ。囁くように罵倒されて俺も泣きそう。


「『これが反抗期か』などと嘆いている場合ではありませんよ。父様」


 今度は白愛が一歩前に出て囁いた。俺の内心を的確に見抜く、さすがの洞察力である。

 彼女はさりげなく姉の腰を叩くと、スッと俺を見上げた。『おとがいを上げる』――そんな古風な表現がぴったりくるほど、動きと表情が洗練されている。


 まるで、紅愛ができない分は自分が肩代わりすると言わんばかりの気迫。女優としての矜持きょうじを垣間見る。


「あなたが」


 セリフと共にそっと俺に寄りかかる白愛。抑揚の加減と言い、仕草のさりげなさといい、さすがの一言だ。俺でも一瞬、どきりとしたほど。

 しかし、そこで演技がぴたりと止まってしまう。

 セリフも動きも完全停止。


「白愛。どうした?」


 紅愛と同じように上から囁くと、双子妹はびくりと肩を震わせた。

 隣の紅愛が、横から白愛に抱きつく。姉妹で頬を付き合わせると、ふたりとも真っ赤になっていることがわかった。見事にショートしていたのだ。


 真っ赤な顔のまま、上目遣いに俺を見上げてくる紅愛と白愛。

 その表情が、ふと12年前とダブって見えた。姉さんの葬儀のとき。泣き顔が下手で周囲をドン引きさせた俺を、「お顔好きだよ」と笑って受け入れてくれた彼女たち。

 今はもう立派な女性に成長している。

 双子姉妹が浮かべている表情は12年前と違うけれど、俺の胸に湧いてくる温かな気持ちは変わらない。むしろ、さらに強く、深くなっている。


 ――無意識だった。


 胸元にある双子姉妹の髪を、その耳元をさらりと撫でる。壊してはいけない存在を、深い愛情を込めて触る。それは俺にとって、大きな感動をもたらすものだった。

 気がつけば、自分でも不思議なほど穏やかな微笑みを浮かべていたと思う。


 紅愛と白愛の綺麗な瞳が、さらに大きく見開かれた。

 俺たちの間で、時間が止まったような感覚。


「カット」


 朝仲さんの声で、俺は我に返った。

 次いで、蓬莱さんの興奮した声が響く。


「す――素晴らしかったですわ、お三方さんかた! まさか能登さんが加わることで、こうまで紅愛さま、白愛さまのご尊顔が変わるとは……! 特にあの、タイムストォォップな一瞬! 名画爆誕ですわ! 新たな一面の発見、歴史的瞬間に居合わせる幸運と幸福! アアッ!」

「アズサさん。いかがでしたか、ぼくからのご提案は」

「朝仲さん。悔しいですけれど、わたくしの負けですわ。さすが、紅愛さま白愛さまをお側で支え続けるプロデューサー。その慧眼けいがん、感服いたしました」


 ガッと力強い握手を交わすふたり。


「いいものを見せて下さって感謝の極みですわ」

「ご満足頂けて何より。どうか末永くよしなに」


 こうして世の中は動いていくんだなと感じた。ギブアンドテイク。俺たちには何の報酬もないが。


 カットがかかってから、双子姉妹は後ろを向いて髪をいじっている。

 さすがに、あの場面で髪を撫でるのはやりすぎたのだろうか。俺の方を見てくれない。


 すると田中君がひょっこりと顔を出した。


「ふむ。演技の練習は終わったのか?」

「ちょーどよかった! 田中君ちょっといい?」

「実はお願いしたいことが。ほら、一ノ瀬さんまだ寝てますし」


 上擦うわずった声で、わざとらしく退出しようとする双子姉妹。

 あれは気まずさを誤魔化す仕草だ。彼女たちも我に返って、どう振る舞えば良いのか混乱しているらしい。この先ふたりに避けられたら泣くなあ俺……と思いながら天井を見上げる。


 田中君が言った。


「なんだ? 記録映像が欲しいのか? そんなこともあろうかと、撮っておいたぞ」

「え?」

「稽古には映像の確認が不可欠。本学を舞台とするなら、その記録も我が生徒会の仕事だと思ってな」

「撮っておいた? どこで?」

「ほれ、あそこ。扉の上に換気口代わりの窓があるだろ。あそこから小型カメラで撮ってた」


 ……それは盗撮というのではなかろうか。

 田中君、有能なのか天然なのかわからない。やましさ0なのが余計に怖ろしい。頼むから捕まらないようにしてほしい。双子に狂わされて逮捕なんて美談にもならない。


「……ちょうだい」

「ん?」

「田中氏。その映像、我々に譲って頂きたい。取引額には最大限配慮します」

「そこまで必死になる意味がわからんが、欲しいのならホラ。メモリーカード。まずは私的利用だろうと思って備品とは別にしておいた。もし学校に提供する意思が固まったら言ってくれ」

「田中君!」

「田中氏!」


 感激した様子のふたり。

 善意100パーセントな表情のまま、田中君が首を傾げ――。


「そこまで映像を欲しがるとは、お前たちふたりとも、あの人のことが好きなのか?」


 音速の勢いで部屋から閉め出されていた。







【34話あとがき】


双子にとっては恥ずかしさが増幅しただけでした――というお話。

勝剛の態度がもうちょっと違ってたら一歩踏み出せたかも?

双子と保護者のやり取りを見ていた周囲はどんな反応をするか?

それは次のエピソードで。

双子と勝剛との妖しい雰囲気がいいねと思って頂けたら(頂けなくても)……

  

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