第41話 泣き下手と動き出す夫婦


 俺は頭を振って意識を切り替えた。千波さんに歩み寄る。


「千波さん。タクシーを呼びましょう。病院まで付き添います。万一気分が優れないのなら、救急車も」

「いや、それには及ばないよ。さっき妻に連絡した。もうすぐ迎えに来てくれるはずだ」


 千波さんはしっかりとした声で応えた。意識の混濁も目立った外傷もなさそうだし、とりあえず大事には至らなかったということだろう。俺は少し肩の力を抜いた。


 しばらく待っていると、セントヴィクトリーの出入り口にひとりの女性が現れる。

 落ち着いた色合いの和服を見事に着こなしている。俺みたいな素人でもわかる。和服は相当な金額の逸品なのだろう。雰囲気や所作がその高級品にぴったりマッチしているのは流石だと思った。


「え? もしかして極道の方っスか……?」


 小口君が失礼な感想を漏らす。ただ、気持ちはわかる。それだけの迫力がある女性だった。


 千波さんの妻、千波沙和子さわこさん。

 姉さんが千波さんの世話になっていた頃から、何度か会ったことがある。芸能事務所や企業の社長として表舞台に立つのが千波さんなら、沙和子さんはまさに内助の功。影から千波さんを支えるお人だ。

 

(久しぶりに顔を見るけど、相変わらずデキる人オーラを出してるよな。沙和子さん……)


 俺は思う。

 千波さんが芸能事務所の社長だったときだ。ご自宅にお邪魔したとき、俺は沙和子さんが事務所の運営に関してアドバイスしていたり、スタッフやスカウト候補タレントの選定に参加したりする姿を目撃した。

 物静かで前に出ないだけで、有能な人なんだろうなと思っている。


『もう少し親しみがある表情ができたら、ウチのスタッフになるといいわね』


 当時、沙和子さんから冗談めかして言われたことがあった。

 千波さん曰く、「人を見る目は確か」だという。沙和子さんに認められたことを誇るべきか――そんな複雑な気持ちになったものだ。


 ――まあ、ちょっと変わったところもあるといえば、ある。

 例えば、和服姿でここまで運転してきたの?とか……。


「勝剛さん」

「はいすみません」

「……? 私、あなたに謝られるようなことはされていませんよ。あまりご自身を卑下されないよう」

「はいすみません……」


 無意識に姿勢を正してしまう。

 沙和子さんは上品に小首を傾げる。そこで俺は気付いた。いつも微笑みを絶やさない沙和子さんが、今は表情がない。彼女もまた、強い怒りを感じているのだ。


 千波さんを支えながら、セントヴィクトリーを出る。

 車に乗り込む前、千波さんが言う。


「利用者には申し訳ないが、しばらくジムは臨時休業にするよ。勝剛君、君も数日休みなさい。しばらくはジムに顔を出さない方がいいかもしれないから」

「……わかりました」

「カイトの件はワシも動く」


 千波さんの身体にわずか、力が入った。


「イルミネイトの幻慈げんじ君と協力するつもりだ。乱場カイトはこのまま野放しにしておけない。あの男を、この世界から退場させる」

「千波さん。すでに朝仲さんの発案で、カイトの横暴ぶりは記録に残しています。これが先方の事務所に伝われば、カイトの立場は相当危うくなるはず」

「だろうな。で、何か言いたげだね。勝剛君?」

「一度は芸能界を退いた千波さんが、これ以上無理をされる必要はないのでは……と」

「そうもいかん」


 後部座席に腰を落ち着け、大きく息を吐く千波さん。


「ワシの勘が鈍っていなければ、ここで手を緩めるべきではない。この件、カイト単独の行動とは思えんのだ。君や、君の大切な者を守るためには、こちらも使える手、使える力は最大限使うべき。ワシはそう考えている。元芸能事務所の社長としての力も、そのひとつだ」

「千波さん……」

「ワシやジムの皆を守ってくれて感謝するよ、勝剛君。今度はワシが君に力を貸す番だ」


 そう言って、千波さんは俺を見た。


「だから君は、しばらくジムを休んで双子の側についてやってくれ。それが一番の対策だ」

「はい。わかりました」

「それと、カイトが空けたドラマの穴については君が穴埋めするといい。勝剛君」

「はい……はい!?」

「その話も幻慈君とするつもりなんだ。ちなみに沙和子も同意見だ」

「ちょっと千波さん!? 沙和子さん!?」

「ではな勝剛君。ワシはちょっくら病院に行ってくる。今日は無理を押してかけつけてくれて、ありがとう」


 口をパクパクさせる俺の前で、スライドドアが締まる。

 

 背中を軽く叩かれた。沙和子さんが今日初めて微笑みを浮かべている。


「ここが踏ん張り時ですよ、勝剛さん。大丈夫。あなたならできます」

「……尽力します」

「ふふ。またウチにいらっしゃい。今日のこと、あなたにはしっかりお礼をしたいから。そうだ。紅愛さんと白愛さんも誘ってくださいな。今なら、色々アドバイスできると思いますし。涼風恋さんの昔話もいいかもしれませんね」


 俺は少し肩の力を抜いて、「はい」と頷いた。俺の動揺を収めようとしてくれたのだろう。こうした話術をさらっとこなせることが、彼女が有能な証拠だ。


 静々と運転席に向かった沙和子さんが、やおらぐいっと着物の袖をまくり上げた。沙和子さんの横顔が冷たく冴える。


「本当に楽しみですわ。勝剛さんが晴れ舞台に立つのも、双子さんたちとお話するのも――乱場カイトが真に屈服するその瞬間も、ね」


 バタン、と運転席の扉が閉まる音。

 それから車はスムーズに駐車場から出ていった。

 車の後ろ姿を見送りながら、俺は強く思った。


 沙和子さんだけは怒らせてはいけない。





【41話あとがき】


天才女優を天才たらしめた元芸能事務所社長と、優秀すぎる妻が後始末に動き出す――というお話。

沙和子さん、マジでその筋の者では?

一方その頃、双子姉妹の周りでは何が起こったのか。

それは次のエピソードで。

でも本当にどうやって和服フル装備で運転するんだろうと思って頂けたら(頂けなくても)……


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