第35話 迷宮都市の一幕
あの運搬人(ポーター)が地球で、目が潰れるほどの輝きを放つ美術品に囲まれ、舌が溶け落ちそうな高級品を口にする、豪華豪勢なパーティーに出席している時。
迷宮都市ウィンザリアでは、いつものように冒険者達がそこにいた。
そこは、70年代アメリカを舞台にしたマフィア映画のような雰囲気であり、しかし暗黒期ヨーロッパのようであり、それでもファンタジーの世界であった……。
「分かるか?エヴリー」
「どうでもいいな」
茶こげた髭を生やすドワーフが、若い男、エヴリーと呼ばれる青年の肩を抱いて言う。
「分かるだろう?良いか、世の中には順序というものがある。年寄りは上、若いのは下だ」
「冗談じゃねえ。また、酒を奢れってんだろ?もう一度言うぜ、冗談じゃねえ!お前みたいなジジイに酒を飲ませるなら、貴族のお嬢ちゃんみたいに、チューリップにポーションをやる方がマシさ」
「待てよ若造。お前、足りていないぞ。年長者に対する敬意が足りていない」
「俺だって、尊敬している奴は尊敬しているさ。例えば、『蠍殺しのハリー』とかな。だがアンタはハリーじゃないし、ハリーの足元にも及ばない」
「待て、待て。良いか若造?」
「しつこいぜ、良い加減にしないと、ダンジョンの砂漠領域に放り捨てるぞ!」
「舐めやがって!こっちが下手に出ていりゃあよくも!」
「はあ?下手に?今、どこが下手に出ていたんだ!あれが下手に出てたと言えるなら、ボンクラの第三王子だって謙虚だって言えるぞ!」
「ふざけるんじゃあねえぞ!おらあっ!」
エヴリーと呼ばれた青年戦士の態度に、酔って赤くなった顔を更に赤くして怒り狂うドワーフの中年は、手に持っている陶器製のコップを、青年の頭に叩きつけた。
「ぐあっ?!」
それが命中し、派手に砕ける陶器のコップ。
ドワーフの手には、陶器の取っ手の部分だけが残り、青年の額はぱっくり裂けてどくどくと血が零れ落ちる。
「このっ……クソジジイが!」
青年はそれに対して、怒りの声と共に、鋭いパンチをお返しした。
「ぷべっ!」
酔っていることもあり、もろに顔面に拳を受けてしまうドワーフ。
その時点でもう勝負は決まったようなものだが、青年は止まらない。
「この!ジジイが!舐めやがって!二度と!俺を!下に見るなっ!!!」
倒れたドワーフの髪を掴み、木製のテーブルに何度も頭を叩きつける。
ここまでの暴行をすれば、下手をすれば死ぬだろう。
だが、冒険者というのはそういうものだ。
ダンジョンじゃなかったとしても、惨めにチンケにつまらない死に様を晒すもの。
それは、こうして酒場のクソみたいな喧嘩の末であり……。
女の取り合いで、痴情のもつれで、娼館で刺されてであったり……。
不摂生が祟っての病気や、舐めた態度が祟っての周囲からのリンチでなど、様々な理由で死んでゆく。
だがしかし、死ぬ自由があるだけ、まだ農奴や奴隷よりはマシと言う人もいる。
地球に生きる、「憲法」なるもので仮初の自由が約束された人民には考えられないことだが、この世界では死に方を選べるだけまだ上等なのだ。
田舎の貧農や農奴ともなれば、雇い主に命じられればゴブリンやオークとも結婚しなきゃならないし、それでいて週休0日実働16時間もの労働をこなすことを求められる。まだほんの子供の頃からだ。
娼婦の子に産まれればすぐに捨てられて、公金が流れて来ずにほぼ廃墟同然の孤児院で育てられるし、そんな子の将来は親と同じ娼婦か、それとももっと下衆な物盗りか物乞いのどちらか。
冒険者も同じ下衆なのでは?と言う疑問は尤もだが、しかし冒険者は少なくとも死に様を選べるだけまだマシだった。
何せ、物盗りの死に様は、「いずれヘマして捕まって死ぬ」だけだし、娼婦の場合は「痴情のもつれで死ぬ」か「梅毒でボロボロになって死ぬ」かの二択。
しかも冒険者は、上手くやれば英雄になってから死ねるのだ。
物盗りも娼婦も、社会のダニとして生きて死ぬだけしかできないのだから、英雄になって死ねるかもしれない冒険者はとても夢がある。
さあ、そうして、ギルドの酒場でそんな喧嘩をしたエヴリーという若い男だが。
「ははは!あのジジイ、ざまあないぜ!」
「エヴリー!やるんならちゃんとトドメを刺しとけよ〜?」
「げはははは!喧嘩に乾杯!」
それを咎めるものは一人も居なかった。
むしろ、流血沙汰に指をさして笑い、馬の小便のようなエールを喉に流し込む悪タレばかり。
「おっ、良いねえ!」
「こいつ、銀貨持ってるぜ!」
「おいっ!独り占めするな!殺すぞ!」
しかもそれだけにとどまらず、傍観している冒険者達は、倒れたドワーフから武器や財布に防具の一部まで、ニヤつきながら剥いでいった。
大体そういうことをするのは、種族レベルで「薄汚い物盗り」呼ばわりされているハーフリングだ。
それと、フェアリーやビーストマンもいる。これらの種族も、薄汚いだとか卑賤だとか言われがちだ。
しかし、エルフなら「お高く止まった草食い野郎ども」だし、ドワーフなら「石食いの樽人間」と罵られる。
碌に学のない冒険者達だが、他人を罵倒する言葉のレパートリーは一流の詩人にも勝るのだった。
さて、そうして、倒れたドワーフは瞬く間に下着一枚にされ、隅の方に蹴り飛ばされるのだが……。
一方で、割れた額から流れる血を抑えつつ、悪態をつく青年に、ノームの女が話しかけてくる。
「治そうか?」
女は、僧服を着ている。見るからに、白魔法が使えそうだ。
作りのいい錫杖をしゃりしゃりと鳴らしつつ、人好きのする笑みで言ってくる彼女は、一見すると善人のように見えるが……。
「いいよ、後でふっかける気だろ……」
と、治療を断ると。
「チッ!何だよ!折角、銀貨十枚で治してやろうと思ったのに!」
女ノームは、人好きのする、優しげな微笑みから一転、眦の釣り上がった嫌味な顔をして吐き捨てる……。
尚、銀貨十枚はかなりの暴利である。普通に治療院に行った方が半額程度には安い。
そんな銀貨の百倍の価値がある金貨を、たった今、冒険者ギルドの酒場の給仕に、チップとしてあっさり渡した男がいる。
「今日も稼げたな!さあ飲もう!」
金貨がたんまりと詰まった革袋を引っ提げ、端数の銀貨をばら撒きながら、普通の冒険者が飲む馬の小便みたいなエールよりも数ランク上の高級酒を、それこそ馬の小便みたいなエールと同じくらいの勢いで開けるこの優男は。
『蠍殺し』と名高い、上級冒険者のハリーである。
下級冒険者達は、日に銅貨数十枚を掴むのがやっとなところを、上級冒険者達は金貨を何百枚と背負ってくる。
上級冒険者とは、一度のダンジョンアタックで、文字通りの億万長者になるのだ。
むしろ、億万長者になってもダンジョンアタックをやめないからこそ、上級冒険者と言えるのだが。
とにかく、そんな風に、上級冒険者は金に執着がない。
ご覧の通り、簡単に稼げてしまうからだ。
「ん?坊主、どうした?怪我してるじゃないか。これで治療院にでも行ってこい」
ハリーは、酒場の真ん中で呆然とするエヴリーに、ピン、と金貨を指で弾いて投げ渡した。
彼ら上級冒険者は、こういうことをよくする。
「はっ、ハリーさん?!あ、ありがとうございます!!!」
まるで、神様からアーティファクトを下賜されたかのように、恭しく金貨を受け取って頭を下げたエヴリーは……。
「す、すげえ……!流石は上級冒険者!流石は英雄っ……!俺もああなりてえ!!!」
そう叫び、金貨を握りしめたまま。勇んで、ダンジョンに飛び込んで行った……。
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