第17話 ハル

「お前、俺の下僕になれ」


「は、はいぃっ!なりますぅ!」


私、荻野ハルは、その日。


『運命』に、出会った……。




七月。


夏休みの始まりの日。


どうにか、内職のバイトで貯めたお金で、夏休みの間だけでも快適に過ごそうと、山谷に向かって移動していた。


山谷は、治安は悪いけれど、とにかく食べ物や宿代が安い。


ここを根城にしつつ、バイトを更にやって、将来の為の資金にしようと思った……。


私は、小説家になりたいのだ。


「なれる」の小説家に。


ジャンク品の私のスマホでもどうにか見れる、低負荷な小説投稿サイト、「小説家になれる」……。


本も、ゲームも、服も化粧も、何も買ってもらえない私の、唯一の娯楽。心の癒しで支え。


小説の中では私は自由だ。


たくさんの人に愛されて、凄い力を持って人々を助けて、素敵な男性と恋をする……。


クソみたいな低偏差値の、肥溜めみたいな女子校で。


バカ女共にリンチされて、カツアゲされても。


水商売やってるクソ親に殴られても。


民事不介入とか言って、警察に見捨てられても。


「小説家になれる」は、私の妄想は、私の小説は、そんなクソみたいな現実を忘れさせてくれた。


いつか、異世界転生して幸せに暮らしたい、と。


本気で、必死で祈りながらも。


そんなことはあり得ないと自覚しつつ、必死にバイトをして、将来の独り立ちのために備えていた……。


そして。


例によって、クソ女共にリンチされて、お金を取られて。


いつもみたいに、自分の無力さを噛み締めていると。


その時私は、「主人公」に出会った……。


死体のように青褪めた肌……夏だと言うのに、日焼けどころか汗の一滴すら見られない。


黒色だが、光の加減で蒼く見える黒髪。艶めいていて、官能的。


そして、神秘を秘めた、紫色に薄く光る瞳……。


すぐに、分かった。


彼が、この人が、このお方が。


主人公なのだ、主人公だ。


私は必死で縋りついた。


この人のモノになりたい。恋人などと高望みはしない。


モブキャラ同然の部下その一でも構わない。


都合のいい女奴隷でもいい。


だから、この人についていきたい。


そう思って彼の裾を掴むと。


彼は、魔法を……そう、魔法を!


魔法を使って空間を割いて、その割れ目に潜り込んだ。


割れ目が消えないうちに、私もすぐにそこに飛び込んだ……。


躊躇い?そんなものはない。


この世界にいても先はない。だから、私は、私が見つけた主人公に賭ける……。




暗闇。


何もない、無。


暗転。


その後に光。


広がる世界は、私が夢にまで見た、「ファンタジー」の世界だった……。


宝石のついたワンドを手に持ち、ローブを着込んだ金髪のエルフ。


小型のナイフを腰に帯びた、小柄なハーフリング。


大斧を抱えたヒゲモジャのドワーフに、筋骨隆々の獣人達……。


木製の酒杯をぶつけ合い、温いエールを飲み。机の上には、ローストした七面鳥、硬そうな黒パンとブラウンシチュー。


サイコロ博打をして、勝ち負けで喧嘩して殴り合う男達。


冒険者、ギルド。


「あ、ああ、あああ」


声が、漏れる。


私の夢が、理想が、そこにはあった。


求めてやまない異世界が、ファンタジーが。


行きたかった場所が、ここに……。


……それからのことは覚えていない。


夢なんじゃないか?と、まさに夢見心地で。


アマゾネスの女の人にお風呂に入れてもらい、ガシガシ洗われて。


魔法の道具らしい指輪をはめられて、黒い服とローブを着せられて。


小型のワンドを持たされて……。


替えの服や非常食、ロープと手拭い、スコップ、銀貨数十枚の詰まった革袋を背負わされて。


「よし、登録しに行くぞ」


と、私の主人公に手を引いてもらっていた……。


あまりにも、あまりにも。


嬉しくて、楽しくて。


私の心臓は、生まれて初めて、こんなにも強く鼓動するのだと知った……。


自分の持ち物を他人から貰えるのはいつぶりだろう?


働かずにお金を貰えたのは?


着る物を用意してくれたのは?


親切にしてくれた人、頭を撫でてくれた人、声をかけてくれた人……。


私を、ドブの底みたいな世界から見つけてくれた人……。


ああ、そうか。


そういうことなんだ。


私は、この為に生まれてきたんだ。


尽くそう。


全てを捧げよう。


このお方のために生きよう……。




「ローズを呼んでくれ」


「はーい!ローズ、貴方のフィアンセがお呼びですよーっ!」


「もーっ!やめてくださいよ、ルーシー先輩ーっ!」


女エルフ。


ああ、綺麗な人。


私なんかより何倍も。


それは良い、私みたいなゴミは、主人公には相応しくないから。


敬愛する主人公様に愛されないからと言って捻くれるほど、私は子供じゃない。


そして、主人公様に愛されないからと言って、私が主人公様を愛さない理由にはならない。


見れば分かる。


主人公様は、格好こそ何故だかオレンジ色の作業服だけど……。


周りの強そうな冒険者達に好かれていて、頼られていて、尊敬されている。


他人の顔色を窺うことは、悲しいことに大得意なのだ。誰がこの場で一番の大物か?くらい、見れば分かってしまう。唯一の特技だ。


「名前は?」


「はひっ、はい、その、私」


喋るのは苦手……。


特に、主人公様に話しかけられると、緊張して……。


私が何も言えないでいると、主人公様は、私を無視してこう言った。


「ローズ、とりあえず手続きだけやっといてくれ。で、担当はお前な」


「え?ですが……」


「こいつ、地球の子だぞ」


「あー……、なんかそういう案件ですか?でしたらベテランのアン先輩とかはどうでしょう?」


「バーカ。アンはドラグマンだろ?あんなガチムチの大女とこのビビリちゃんがまともに話せるかよ。お前が介護するんだよ」


「あ、はい」


……ああ。


私、また。


迷惑をかけているんだ。


死にたい。死にたいな。


折角、望んだ世界に来れたのに。


クズはやっぱりクズなんだ。


死にたい。


消えてしまいたい。


ごめんなさい。


主人公様、ごめんなさい。


「で、名前は?」


「わ、わたっ、私、ごめんなさい!ごめんなさい!!!」


「誰も謝ってくれとか言ってないんだけど。名前を言えって言ってるんだが意味が分からないか?」


「あーもう……、その理詰めで追い詰めるの、本当に怖いからやめてくださいよぉ〜。……えーっと、チーキュの人?よろしければ、名前を教えてくださいますか?この、冒険者証にあなたの名前を刻みたいんです」


冒険者証……。


冒険者に、してもらえるの……?


「あっ、そうだ!名前が言えないなら、書いてくださっても大丈夫ですよ!」


あ、羽ペン……。


え、えっと……。




『萩野ハル』と……。

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