番外編 羅奈side

第1話  不気味な兄


 ――初めて蒼佑に会った時の第一印象は(こわっ!)だった――



 私は熊田羅奈。


 小学校時代はこの名前でよく男の子にいじめられた。


「クマだ―っ! 逃げろ―っ!」


 ちょうど国語の教科書に主人公がこう叫びながら逃げ惑う物語があった。

 それが始まりだった。


 特に一人しつこい男の子がいて、最初は逃げていたくせに、途中から「クマのくせに人間の近くに来るな!」と言って追い掛け回してくるようになった。


 ただ席に座っているだけなのに、五人ぐらいの男の子達がほうきのでつついて追い回し、教室の外に追い出すのだ。


 とても怖かった記憶が鮮明に残っている。

 そんなことをされる意味が分からなくて、得体の知れない男の子が怖くてたまらなかった。


「やめて!」と言いたいのに、その頃の私は何も言えなかった。


 学年が変わってもクラスが変わっても、彼はしつこくいじめにくる。


 仲のいい女の子はいたけれど、彼女も大人しくて繊細な子で、私の巻き添えをくって一緒に追い掛け回された挙句、「ごめんね、もう羅奈ちゃんと一緒にいられない」と泣きながら謝って、私のそばから去っていった。


 毎日学校へ行くことが恐ろしく、なるべく目立たないように、彼らに見つからないように、息をひそめるようにして日々を過ごした。



 高学年になってクラスの中が受験ムードに包まれてくると、私も中学受験をしたいと親に訴えた。


 彼らと二度と会わずに済む世界に行きたかった。


「女子だけの学校がいいの」


 両親は特に反対することもなく「いいんじゃないか」と言ってくれた。


「羅奈は家のこともよくやってくれているし、パパは羅奈がやりたいことはなんでも叶えてやりたいと思っているよ。頑張りなさい」


「羅奈は勉強が出来るものね。私学を受けさせなきゃ勿体ないわよって他のお母さんにも言われていたのよ。ママもいいと思うわ」


 最近いつも喧嘩ばかりしていた両親だったが、珍しく意見が合ったようだった。


 あっさり認められたため、男の子達にいじめられているから女子中学に行きたいのだと説明する必要もなかった。


 それからは『男の子のいない世界に行く!』という強い目標を掲げて猛勉強をした。


 その頃には彼らも受験モードに入ったのか、分別がつくようになったのか、あまりいじめてくることもなくなったのだが、私は最初の目標通り第一志望だった椿が丘女子中学に合格した。


 こうして恐ろしい外敵(男の子)のいない穏やかな中学生活を過ごし、やがて高校生になった。


 途中、両親はついに不仲を解消することができず離婚してしまったのだが、私の学校生活は順調で楽しいものだった。


 そんな高校二年の夏のことだった。


「えっ⁉ 羅奈のお母さん、再婚するの?」


 親友の栗林くりばやし愛璃あいりが叫んだ。

 愛璃の声でクラスのみんながわらわらと集まってくる。

 野次馬好きばかりの、いつもの女子校の風景だ。


「え? 再婚? 新しい家族ができるってこと?」

「もしかして連れ子とかいるんじゃないの?」


 みんなが期待を込めて私を見つめている。


「うん。一人……いるみたい」


 答えた途端「きゃあああ!」という歓声が上がった。


「それはイケメン兄との胸きゅんラブが始まるパターンじゃないの?」

「違うわよ。いじわるな継妹との泥沼ドラマが始まるパターンよ」

「私は可愛いツンデレ弟とのホームドラマがいいわ」


 みんな口々に勝手な夢を膨らませている。


「ねえ、男? 女? 年上? 年下?」


 穏やかな学校生活で刺激に飢えているクラスメート達は、本人以上に盛り上がっている。


「男よ。同級生らしいわ」


 またしても「きゃあああ!」という歓声が上がった。

 

「イケメン? どこの高校? かっこいいの?」


 そして矢継ぎ早の質問の嵐だ。


「まだ会ってないけど、龍泉学園らしいわ」


「龍泉? きゃああ。私、本当は龍泉学園に行きたかったのよ」

「私もよ。でもここからは遠いものね」

「龍泉って共学でしょ? 私は女子校にしなさいってお父さんに言われたのよね」


 私のように女子校がいいと思って椿が丘に入った子は、クラスの半分ぐらいだった。

 残りの半分は共学への憧れのようなものをずっと持っている。


「あそこの体育祭ってみんなで浴衣を着るのよね。いいなあ」

「浴衣男子って素敵よね。恋が始まる予感がする~」

「それいい! そういう高校生活をしてみたかったなあ」


「あとね、カップルになったらネクタイを交換するんだって」

「ああ~そういうのも憧れるよね。共学っていいなあ……」


 きゃあきゃあと、クラスの中はいつもこんな感じだ。


 そしてこんな会話にいつもくさびを打ち込むのが親友の愛璃だった。


「みんな、考えが甘いわよ」


 うきうきと夢を膨らませていたクラスメート達が、はっと愛璃を見た。


「同級生の男? そんなよく分からない男と、この可愛い羅奈が同居するですって? それがどういうことなのか、みんな分かっているの?」


 愛璃はいつも私のことを可愛い可愛いと言ってくれる。

 男勝りで頼りになるのだけれど、最近は少し溺愛が過ぎるところがあった。


「ど、どういうことって?」


 みんなは愛璃の剣幕にごくりとつばを飲み込んだ。


「あのね。相手がイケメン男子である確率なんて、宝くじに当たるより低いのよ? まず間違いなくフツメン。ううん、最悪の場合キモメンだわ」


「キ、キモメン……」


 みんなの顔が一気に青ざめる。


「そんなキモメンが、この愛らしい羅奈と一緒に暮らしたらどうなると思うの?」


「ど、どど、どうなるの?」


 私もみんなと一緒になって尋ねた。


「まず間違いなく、うっかりをよそおってお風呂を覗いてくるわね」


 愛璃の言葉と共に教室は「キャー‼」という悲鳴に変わった。


「それから部屋に勝手に入って下着を触るかもしれないわ」


 再び「イヤーッ‼」という叫び声が教室中に響き渡る。


「さらにもっと恐ろしいことには……」


 愛璃は両手の人差し指でちょいちょいとみんなに近づくように示した。

 みんな青ざめた顔で愛璃に近寄り耳を傾ける。


 そして愛璃はひそひそ声で、聞くのもおぞましいことを並べ立てた。


 それは女子校育ちの純な乙女が打ちのめされるのに充分な内容だった。

 吐き気をもよおし、口を押えている子までいる。


 それまで羨ましがっていたクラスメート達は、すっかり心配顔に変わっていた。


「羅奈、そんな人と一緒に暮らして大丈夫?」

「ああ、無理だわ。私だったら耐えられない」

「私は嫌だって再婚に反対したら?」


「うん……。そうしたいけど……あさって両家で顔合わせすることになっているの」


 すでに話は決定事項のようで、反対する余地はなさそうだった。


 愛璃はそんな私の両腕を掴んだ。


「親が再婚するからって一緒に暮らす必要はないわ。どうせ大学に進学したら一人暮らしすることになるんだもの。あと一年半だけよ。その間だけ一人暮らしするか、なんだったら私の家に居候いそうろうしてもいいわ。そうだわ。そうしなさいよ、羅奈」


「う、うん。ありがとう、愛璃。考えてみる」


「こういうのは最初が肝心だからね。男なんて少し優しくすると付け上がるんだから、最初にびしっと言ってやりなさいよ。キモメンなんかに甘い顔しちゃだめよ!」


「わ、分かった。でも……ほら……キモメンって決まったわけじゃないから……」


 イケメンではなくてもフツメンぐらいだろうという淡い期待も残っていたのだ。


 けれどその二日後、初めて会った相手を見て私は絶句していた。


(こわっ! なにこの人……)


 キモメン……なのかどうかも分からない。


 なぜなら長い前髪で顔半分が隠れていて、目も表情も分からない。


 必要最低限の返事しかせず、何を考えているのかも分からない。


(不気味な人。キモメンじゃなくて、ブキメンだったわ……)


 愛璃が言っていたキモメンとはタイプが違うようだけれど、爽やかなイケメンでないことだけは確かだった。



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