第18話 二人きりの夕食

 羅奈が作ってくれた晩ご飯はハンバーグだった。


 羅奈が一日かけて掃除したキッチンは生まれ変わったように綺麗に整頓され、母さんがよく使っていた花柄の大皿に乗せられたハンバーグはとてもおしゃれだった。


 おろし大根と大葉が添えられていて、ポン酢で食べる和風ハンバーグだ。


「今日は和風ハンバーグの気分だったの」


 羅奈はご飯と味噌汁とサラダの小皿を並べながら言った。

 羅奈は僕が食べたいものを一切聞かなかった。

 あくまで自分が食べたいものを作るついでに僕の分も作ったという体裁ていさいだ。

 恩着せがましさのない羅奈のスタンスは、僕にはとても心地いい。


「レストランみたいだ。すごいね」


 僕は並んだ料理を見て、素直に感心した。

 僕と同じ年の女の子が、何もないところから魔法のように作り出した料理だ。

 こういうものは料理人か、母親しか作れないものだと思っていた。


「大げさね。あなただって作ろうと思えば案外簡単にできるわよ」


 羅奈は言いながらも、少し得意げだった。


「いただきます」


 僕は言ってから、茶碗で湯気をたてている白ごはんを一口頬張った。


「美味しい……」

「ほんと⁉ ……ってただの白ごはんじゃないの」


 羅奈はハンバーグではなくただの白ごはんに感動している僕に肩をすくめた。

 からかった訳ではなく、出来立てのごはんがこれほど美味しいなんて初めて知った。

 レンジで温め直した市販の弁当とはまったく違う。


 そして熱々のハンバーグを食べてみた。

 さっぱりとしたおろしポン酢の中からジューシーな肉汁が溢れ出てくる。


 人間の本能というのは恐ろしいものだ。


 美味しい食べ物を前にすると、理性なんて吹っ飛んでむさぼり食べてしまう。


 僕なんかには勿体もったいない御馳走なのに。

 僕なんかに食べる資格なんてないのに。

 でも僕の舌が、胃が、体が、全力で目の前の御馳走を欲している。


 無言でガツガツと食べる僕に、羅奈は唖然としたようだ。

 僕は長年食事を与えられなかった飢えた子供のようにむさぼり食べていた。


「ち、ちょっと大丈夫? もっとゆっくり食べたら?」


「美味しい……」


「うん。見てれば分かるわ」


「すごく美味しい……」


 僕は不覚にも泣きそうになっていた。

 前髪が長くて良かった。

 気付かれないうちに涙を抑え込まなければ。


 だが羅奈は気付いていたのだと思う。


「ねえ、時々ご飯作ってあげようか。一人分も二人分も手間は同じだし」


 僕は断ろうと思った。

 僕なんかのために羅奈の時間を一秒たりとも使わなくていい。


 僕が喜ぶことなんてしなくていい。


 そう思っているのに言えなかった。


 僕という人間には、まだ食欲というあらがえない欲望が残っていたらしい。


 僕というのは本当にくだらない人間だな、と改めて思った。


 そして「ありがとう」と答えていた。



 僕が僕を嫌いになったのはいつからだろうか。


 五年前ではない。


 あの頃は母さんの死に対応するのに精一杯で、目前に迫った受験もあって慌ただしく過ぎていった。


 中学に入学してから、僕は緩やかに現状を読み解くように僕という人間がどういう生き方をしてきたのか理解していった。


 そして徐々に大嫌いになっていった。


 僕という人間は、周りの誰よりもいけかない嫌なやつだった。


 この嫌な男をどうやってらしめてやろうかと歯ぎしりして思い詰めるほどだった。


 こいつが幸せになることなんて金輪際こんりんざいやってやるものかと思った。


 今もその気持ちは変わらない。


 だけど家族となった羅奈が、僕への制裁の巻き添えを食らう必要はない。

 

 僕が喜ぶことは何もしたくないが、羅奈が嫌なことはもっとしたくない。


 最優先を羅奈にしたことで、僕はほんの少し僕に優しくなった。


 なぜなら羅奈が僕の不幸を望んでいないからだ。


 もし羅奈が僕の不幸を望むなら、僕は速攻でこの息の根を止めてやる。


 僕はそんな日が来るのを心のどこかで望んでいるのかもしれない。


 でも羅奈は、この冴えない残念な兄のことを放っておけないらしい。

 そんな優しい羅奈だから、僕はやっぱり最優先に考えざるを得なくなるのだった。


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