第19話 神谷くん

 体育祭が近付いていた。


 龍泉学園では、春に学園祭があって、秋に体育祭がある。

 羅奈のいた椿が丘女子とは逆だった。

 羅奈は椿が丘で春に体育祭を済ませていたので、二回目の体育祭になる。


 といっても、龍泉の体育祭は練習する必要もないゆるい内容だった。


 徒競走とリレーはあるものの、騎馬戦や棒倒しなどの過激な演目はない。

 これから受験期に入る三年生がうっかり利き腕を骨折などしないように、ムカデ競争や大玉転がしなど、小学生のお遊びのような演目ばかりになっている。


 だが、運動場での全体練習というのはある。


 僕達は、羅奈が特進A組で僕が普通科H組なので、教室も一番離れていてほとんど接点がないのだが、全体練習ではさすがに羅奈の姿を見かけることもあった。


「おっ! あの子転校してきた南羅奈ちゃんだよな」


 哲太はムカデ競争に参加するフィールド内の羅奈を、いち早く見つけて僕に耳打ちした。


 羅奈はようやく龍泉の制服や体操服も出来上がって、すっかり周りになじんでいた。

 哲太の言葉を聞いて、僕より周りの男達が騒ぎ始めた。


「おお、ホントだ。やっぱり可愛いなあ、羅奈ちゃん」

「彼氏とかいるのかなあ」

「いやいや、女子高育ちならいないだろ?」

「分かんねえぞ。椿が丘ならモテるだろうしさ」


 そういえば、そんな話をしたことはないがどうなのだろうか。

 羅奈を少し知っている人間としては、超優良物件には違いない。

 美人だし料理だって上手だ。

 非の打ち所がないとは羅奈のような子のことをいう。


「俺、思い切って告白してみようかな」

「今ならよく分からないままに、うっかりOKしてくれるかもしれないぞ」

「そうだな。今がチャンスかもな」


 いやいや、どんなうっかりだ。

 お前らなんかに羅奈は勿体ない。

 僕があらゆる手を尽くして阻止してやる。


 そもそもこいつらは、なぜクラスの女子ではなく編入生の羅奈に執心するのかというと、クラスの女子にはとっくの昔に愛想を尽かされているからだ。


 H組は理系の中でも女子が少なくて、クラスに八人しかいない。


 二年のクラス替えの最初に、この八人の女子を巡って激しい争奪戦が起こった。

 このわずかな女子をなんとかゲットしようと、猛攻撃をしかけた男達は「必死過ぎてキモイ」という言葉で一蹴いっしゅうされ、結局僅かな女子の内、五人は他のクラスのやつと付き合って、残りの三人は男全般に失望したらしい。


 そういう訳でクラスの女子には相手にされず、他のクラスの女子にも「H組の男子ってキモイらしい」という噂が流れ、絶望的な高校生活を送っているのだ。


 羅奈を、そんな男達の餌食えじきにするわけにはいかない。


 どうやってこいつらを羅奈から遠ざけようかと思案していた僕だが、そんな心配は無用だった。


「おい、羅奈ちゃんに馴れ馴れしく話しかけている男は誰だ?」


 一人が突然叫んだ。


「げ! あれは神谷かみやじゃないか?」

「本当だ、神谷だ。よりにもよってあいつが狙ってるとは……」

「そういえばあいつもA組だったな」


 男達が悲愴な顔で言い合っている。


「神谷?」


 僕は隣の哲太に尋ねていた。


「神谷直樹だよ。知らないか? 頭も良くてスポーツ万能で、顔もいい。学年一のモテ男だよ。高校から入学してきた特進生だから、蒼佑は知らないか」

 

 全然知らない。


「去年は白藤さんと同じクラスで、付き合ってるんじゃないかって噂もあったけどな。くそう。白藤さんの次は羅奈ちゃんかよ。ちょっとイケメンだからって調子乗りやがって」


 いや、それだけのスキルを揃えているなら調子に乗っても文句は言えないだろう。


 神谷は並ぶ場所を間違えている羅奈の背に遠慮がちに手を添えて、正しい場所に誘導している。羅奈は僕に見せたこともないようなかしこまった笑顔で礼を言っているようだ。

 微笑ましくなるようなお似合いの二人だった。


 僕が心配するまでもなく、羅奈には羅奈に釣り合った男が寄ってくるようになっている。


 クラスの男達は神谷の出現で、一気に諦めモードになっている。


 神谷ならば阻止する必要はなさそうだ。


 羅奈が幸せならば、僕はそれでいい。



 全体練習が終わって、僕は穴場あなばの冷水器がある中庭に寄って教室に帰ろうと思っていた。

 校舎の中にある冷水器は、いつも人が並んでいる。

 だから体育の後などは、少し遠回りをして人のいない中庭の冷水器に寄ることにしている。


 誰もいない冷水器で水を飲んでいると、ガサリと音がして人が現れた。

 それは驚いたことに羅奈と神谷だった。


「あれ? 誰もいないと思ったのに……」


 神谷が僕に気付いて困ったように頭をいている。


「ここ、穴場なんだよ。滅多に飲みにくる人もいないから、水もよく冷えてるんだ」

「そ、そうなのね。教えてくれてありがとう」


 どうやら神谷が、羅奈にとっておきの穴場を案内してきたようだ。


 せっかくの二人の時間を邪魔してしまったらしい。

 僕は「もう済んだから」と言って、そそくさと退散しようとした。


 羅奈はそんな僕をじっと見ている。

 そんなにじろじろ見たら、神谷に怪しまれるのではないかと僕の方が焦った。

 なるべく目を合わさないように通り過ぎようとしたのだが、思いがけなく神谷に声をかけられた。


「南……蒼佑……」

「え?」


 驚いた。

 僕の名前を知っているとは思わなかった。

 僕はそんなに有名人だったっけ?

 哲太に聞いて初めて神谷という存在を知ったぐらいだから、知り合いではないはずだ。


 なんでこいつが僕の名前を知っているのだろうか。


「あれ? そういえば南って……羅奈ちゃんと同じ名字だよね」


 羅奈が僕のことを話したのだろうかと思ったが、そうではないらしい。


「え? もしかして親戚とか? なんか関係あるの?」


 神谷は勘もいい男らしい。

 羅奈は戸惑った表情で、どう答えるべきか悩んでいるようだ。


 だから僕は「南なんて名前いくらでもあるよ」と言った。

 神谷は「まあ、確かに……」とすぐに納得すると、もう僕に関心はなくなったらしい。


「羅奈ちゃん、休み時間が終わるから早く飲んで行こう」


 白い歯で羅奈に笑顔を見せて僕の横を通り過ぎていった。


 僕はなぜだかイラっとした。


 たぶん神谷が「羅奈ちゃん」と呼んでいたからだろう。

 僕が「羅奈ちゃん」と呼んだ時、羅奈は迷惑そうな顔をしたくせに、こいつは呼んでもいいのかというのが気に入らなかったのだろうと思う。


 僕には呼び捨てにしろと言ったくせに……。


 ん?


 でもそれってどうなんだろう?

 ちゃん付けと呼び捨ては、どっちの方がランクが上なんだ?


 いや、ランクの問題ではないのか。

 兄が妹をちゃん付けで呼ぶのが嫌なだけかもしれない。

 どちらにせよ、僕が羅奈にとってランク除外の存在であることは間違いない。


 なにくだらないことにイラついているんだ、僕は。


 だが、くだらないことにイラついたのは、ずいぶん久しぶりかもしれない。

 長い間、全部どうでも良かった僕にとっては、ある意味、進歩と呼べるのかもしれなかった。

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