第20話 二人きりのショッピング

「あの人は別になんでもないから」

「え?」


 土曜日の朝、羅奈は突然言い出した。

 いつものように、美味しそうな焼き立てのベーグルとスクランブルエッグを食べている羅奈の前で、僕はお決まりの冷え切ったコンビニサンドイッチを頬張っている。


 あれからたまに夕食のお裾分すそわけをしてくれるようになった羅奈だが、あくまで作り過ぎた余りをくれるだけで、朝食を僕に恵んでくれることはなかった。


 まあ、夕食のお裾分けだけでも充分ありがたいので文句を言うつもりはない。


「神谷くんのことよ。同じクラスで、編入生の私がまだいろいろ慣れてないから気遣ってくれるだけなの。あの人、よく気が付いて親切な人よね?」


「ふーん、そうなんだ」


 僕は缶コーヒーを飲み干しながら答えた。


「そうなんだって、知り合いなんでしょ? 神谷くんと」

「いや、全然」

「え、だって……」


 羅奈は言いかけて首を傾げている。

 だって、何? 途中でやめられると気になるのだけど。


「同じクラスになったこともないし、全然知らないよ」

「でも……神谷くんは蒼佑をよく知ってる感じだったけど……」

「知ってるって、例えば?」

「それは……」


 口ごもる羅奈を見て、あまりいい噂ではないのだと分かった。


 おそらく中学の特進クラスから脱落した数少ない落ちこぼれとか、そういう内容だろう。

 僕のろくでもない噂なんてどうでもいいが、羅奈はそれを聞いて嫌な思いをしたのだろうかと、それが気になった。


 だが羅奈はまったく別の話に切り替えた。


「神谷くんが……浴衣ゆかたを買いに行くのを付き合うって言ってくれているのだけど」

「浴衣?」


 夏も終わろうとしているのに、妙な誘い文句だ。

 まあ神谷が女の子にどんな口説き文句を使うのかなんてどうでもいいけど。


「龍泉は体育祭で浴衣を着るのでしょう?」

「ああ……」


 そうだった。

 すっかり忘れていたが、龍泉の体育祭はぬるい競技ばかりでこれといって見どころもないのだが、最後に全員で浴衣を着て『龍泉音頭』という盆踊りのようなものを踊るのが代々の習わしらしく、一番のクライマックスと言われている。


「浴衣は持ってなければ貸し出しもあるよ。僕は去年も借り物だった」


 やる気のない僕はわざわざ浴衣なんか買うわけもないし、父さんが気を利かして買いに行こうなどと言うはずもなかった。そもそも母さんが死んでから、父さんは学校行事に来たこともない。


「でも……せっかくなら気に入った物を着たいし……」


「貸し出しでも種類はいっぱいあったと思うよ。男子は似たような物ばかりだったけど」


 女子の浴衣はいろんな色柄があったと思う。


「そうだけど……。浴衣を着るなんて子供の頃以来だもの。どうせなら一番気に入った浴衣を選んで着てみたいでしょ!」


「……」


 目を輝かせて力説するところを見ると、羅奈は『龍泉音頭』などというくだらない盆踊りを浴衣で踊ることがずいぶん楽しみらしい。

 気持ちはさっぱり分からないが、そういうものなのかと納得した。


 きっと母さんが生きていれば、僕の浴衣を羅奈と同じテンションで買いに行こうと言ったはずだ。似たような反物たんものをあてがって、これでもないあれでもないと嬉しそうに吟味したのだろう。


 そんな日は……もう二度と来ないのだけど。


「じゃあ神谷と買ってくれば?」


 結局答えは決まっていたのだ。

 僕が何を言おうと、羅奈は神谷と浴衣を買いに行くつもりだったのだろう。

 そう思っていたのだが……。


「ねえ、蒼佑も持ってないのなら一緒に買わない?」

「は?」


 何のとばっちりだ?

 神谷と羅奈の楽しいお買い物に、僕もついて行けというのか。

 どんな空気の読めないお邪魔虫だ。


 だいたい僕は浴衣を買いたいなんて、一度たりとも思ったことはない。

 本当は今年の体育祭では『龍泉音頭』だけ、こっそりバックレてやろうと思っていたぐらいなのに。


「神谷くんはいい人なのだけど、よく知らない人と浴衣を買いに行くのってなんだか落ち着かなくって。家族と一緒にもう買っちゃったってことにしようかなって思うの」


「……」


 そういうことか。

 なんだか断りづらい展開になってきた。


 だいたい神谷をよく知らない人と言うなら、僕だって急に家族になったよく知らないやつだ。

 しかも神谷のように一緒に歩いて気持ちいいイケメンじゃなくて、怪しさすらただよう冴えない男だぞ? 僕が女なら、迷わず神谷と行く。


 ここは冴えない男の方から身を引くべきだろう。だが。


「ねえ、いいでしょ? お願い!」


 羅奈に懇願するように言われると、断れないじゃないか。

 そして僕は答えていた。


「分かった」


 いや、どれだけ羅奈に弱いんだ。

 そう思うのに、羅奈に頼まれるとどうしても断れない体になってしまったようだった。



 昼過ぎから僕と羅奈が出掛けたのは、駅前のショッピングモールだった。

 大型とまでは言えないが、なんでも揃っている複合施設だ。

 そこに小じんまりとした呉服屋も入っていた。


 普段は通り過ぎるだけだったが、そういえばそんな店があったと思い出した。


「わあ、見て。ずいぶん安くなっているわ」


 呉服屋の前に『最終大セール』の文字と共に浴衣がずらりと並んでいた。

 そりゃあシーズンもすっかり終わった時期だから当然だろう。


 だが、思ったよりも手ごろな値段で売っていて安心した。

 父さんに今月用にもらったお金を全部持ってきたが、それで足りなければ出直しになる。


「可愛いのがいっぱいあるわ。良かった」


 シーズン最後の残り物とはいえ、やはり新品の浴衣は学校で貸し出す物より綺麗で色柄も流行のものが揃っている。


 ただしそれは女物のことで、男物の浴衣はどれも似たようなものだ。

 だが去年借りた浴衣と比べると、新品の気持ちよさは全然違う。


 僕はハンガーパイプにかかった浴衣の値札を順に見て、一番安い物を取り出した。


「僕はこれでいい」


 ありがたいことに帯も下駄もセットでついている。

 こんなものは一番安い物一択いったくだ。迷う買い物ではない。


「え? もう決めたの? 早いのね。ち、ちょっと待ってよ」

「うん。支払いを済ませてくるからゆっくり選べばいいよ」


 別に羅奈をかしたい訳じゃない。

 何時間見ても、これにするだろうから即決しただけだ。


 僕が支払いを済ませ、紙袋を持って出てきても、まだ羅奈は迷っていた。


「ねえ、どれがいいと思う? みんなどんな浴衣を着ているの?」


「さあ、どうだったかなあ」


 僕に聞いて有意義な答えが返ってくるはずがない。


「じゃあ、赤と紺と黄色ならどれがいいと思う?」

 羅奈は三色の浴衣を取り出して体に当てがって見せた。


「どれでも似合ってるよ」


「もう。それじゃあ決められないわ」


 羅奈はぷっと頬を膨らませて文句を言っている。

 実際にどれでも似合っているのだからしょうがない。


「やっぱり赤が可愛いかな。でも紺も大人っぽくて素敵だし、黄色もいいよね。あ、緑も可愛い。ちょっと待って、紫も捨てがたいなあ……」


 だめだ、こりゃ。

 まだ当分決まりそうにない。


 僕は店の前の柱にもたれて、羅奈が決めるのを待つことにした。


 楽しげに迷い続けている羅奈を見て、ふと思い出した。


 そういえば母さんも迷う人だった。


 家族でレストランに行っても、最後まで一人で迷っていた。

 僕と父さんは楽しそうに迷い続ける母さんに散々待たされて、最後にはいい加減に決めてくれと文句を言って渋々選ばせていた。


 僕はどうして母さんに好きなだけ迷わせてあげなかったのだろうか。


 あんなに目を輝かせて楽しそうに選んでいたのに。


 選ぶ時間が楽しいのじゃない、と残念そうにしていた母さんを思い出した。


 もう母さんは迷うこともできないのに。


 せめて羅奈は気が済むまで迷わせてやりたい。


 母さんにできなかった分、僕はいつまででも待つから。


 楽しそうに迷っている羅奈が、幸せならそれでいい。


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