第24話 体育祭デビュー

 よりにもよって、なんて日に前髪を切ってくれたのだ、と僕は朝からへこんでいた。


 今日は体育祭だ。


 羅奈は約束通り二段重ねの豪華弁当を作ってもたせてくれた。

 それはいい。いいんだが……。


 登校途中も電車の中も、視界が開け過ぎて落ち着かない。

 おまけにみんなが僕を見ているような自意識過剰病が発症している。

 だがまあ、それもいいだろう。


 しかし体操着に着替えて運動場に出てみると、やらかした感を全身で感じることになった。


 みんなが「誰だ、こいつ」という顔で僕を見ている。

 こんなやついたか? という疑問符がみんなの頭の上に立っている。


 そして南蒼佑だと気付くと、疑問符が感嘆符に変わる。


 みんな、僕がこんな顔だったのかと改めて知ったらしい。


「え? お前、蒼佑か? まじかよ」

「半年同じクラスにいて初めて顔を見たぞ」


 クラスの男達が取り囲む。

 そして一番うるさいやつに見つかった。


「蒼佑っ! お前の顔をちゃんと見るのは小学校以来だな! いやあ、久しぶり。おかえり、蒼佑」


 哲太が数年ぶりに会ったように握手してきた。


 そして女子達は、僕を遠巻きに見ながらコソコソと何か話し合っている。

 そこで交わされている会話はだいたい想像できた。


「え? 南くんってあんな顔だったの?」

「どうして急に体育祭の日に前髪を切ってきたの?」

「ほら、あれよ。体育祭デビューしようっていうんでしょ?」

「この体育祭で彼女でも作ろうって思ったんじゃない?」

「やだあ。発想がバレバレなのよね。気持ち悪い」


 と、こんな会話に違いない。


 僕は穴があったら入りたい気分だった。

 まさに体育祭デビューを目論もくろむ調子乗り男子高生の見本だ。


「哲太。そばにいてくれ。そばにいて僕より目立つバカをやってくれ」

「何だよそれ。目立つ覚悟で前髪を切ったんだろ? いいじゃんか」

「いや、違う。これは事故のようなものなんだ。目立つ覚悟なんてない」

「どんな事故だよ。前髪切られる事故なんてないだろ」

「それがあったんだ」


 まあ、誰も信じてくれないだろうが。


 クラスを超えて運動場にいる全員が僕を見ている気がする。

 視界が開けただけで、これほど自意識過剰病が悪化するとは思わなかった。

 

 徒競走どころか、大玉転がしでもスポットライトが当たっている気分だ。

 午前の競技を終えると、僕はよろけるように教室に戻った。



 今回ばかりは羅奈を恨みたくなった僕だったが、弁当を開くとその気持ちは霧散むさんした。


「うおっ! すげえ、蒼佑。美味そうな弁当だな」


 哲太が目ざとく見つけて前の席に座った。


「なんだよ。自分の席で食えよ、哲太」


 僕は慌てて弁当の蓋を閉めて、しっしと手を振って追い払った。


 さっきはそばにいてくれと頼んだ僕だが、弁当の時間は一人にして欲しかった。


「冷たいこと言うなよ。体育祭じゃんか。みんなもグループで食べてるだろ?」


 いつもは女子だけが机をくっつけて輪になって食べている。男子はたいてい自分の席で一人で食べるか、前後左右の数人が向きを変えて食べる程度だったが、さすがに体育祭となると特別感が欲しいのか輪になっているやつらもいた。


「それにしてもその弁当、手作りだよな? え? 誰に作ってもらったんだ?」


 哲太のやつは僕の気も知らずに大声で尋ねた。

 みんながチラチラとこちらを見ている気がする。


「えっ! まさか、彼女っ? 彼女に作ってもらったのか?」


 声がでか過ぎるんだ、哲太。

 今度こそ確実にみんなが僕を見ている。


 男どもは敵意を超えて憎悪の視線だ。

 昨日まで前髪で顔を隠していたやつが、いきなりどんだけ調子に乗ってるんだという顔だ。


「ち、違うよ。言ってなかったけど、父さんが再婚したんだよ。だから……」

「え? そうなのか? じゃあ新しいお母さんが?」


 ……ということにしておこう。


 男どもの視線は「ならば許してやろう」という寛容なものに変わり、女子達は「当然よね。そんな訳ないわよね」という納得に変わった。……ような気がする。


 これがA組の羅奈が作った弁当だと知ったら、男どもに絞め殺されるだろう。


 僕は哲太を追い払うのを諦めて、もう一度弁当を開き羅奈の手作り弁当を食べることにした。


 羅奈の弁当はとても美味しかった。

 母さんが作ったものとは少しずつ味付けが違ったり、形が違ったりするが懐かしさを感じる。


 手作りの玉子焼きとか、手作りの唐揚げとか、久しぶりに食べた。

 タコさんウインナーとか三色そぼろご飯とか……母さんもよく入れてくれていた。


 母さんの弁当もいつも美味しかったのに、僕はよく文句を言ってたっけ。


「なんでピーマン入れるんだよ。嫌いだって言っただろ?」

「オムライスに顔を描くのやめてくれ。友達にからかわれるから」

「今日のハンバーグ焦げてたよ。美味しくなかった」


 そんなことばかり言って、美味しかったなんて一度も言わなかった。


 本当は九割九分美味しくて、気に入らなかったのは残りの一分だけだったのに。

 なぜ僕は残りの一分だけを伝えて、九割九分の美味しかったを伝えなかったのだろう。


 もう二度と伝えられないのに。

 僕は伝えない怠慢を選んでしまったのだろう。


「そうか。そういうことか……」


 黙々と弁当を頬張る僕を見て、突然哲太がうなずいた。


「蒼佑が最近変わったと思ったのは、新しいお母さんができたからか。そういうことか」


「僕が変わった?」


「だってそうだろ? 急にちゃんと勉強したり、前髪切ったり。その前髪も新しいお母さんに言われたんだな?」


「……」


 実際には新しいお母さんじゃなくて、妹なのだが……。


 でも確かに僕は羅奈の中に死んだ母親を見ているのだろう。

 義理の妹に死んだ母親を見ているなんて、羅奈にとったら迷惑で気味の悪い話だろうが、事実がそうなのだからどうしようもない。


 僕の心にまった懺悔ざんげを吐き出す受け皿が必要だった。


 だから帰ったら言わせて欲しいんだ。


「弁当美味しかったよ。ありがとう」って。

 

 どうか、面倒だろうけど聞いて欲しいんだ。羅奈。


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