第37話 崩壊の日
少しずつ少しずつ、僕の心が黒く塗りつぶされていく。
五年前、母さんが死んだ日からじわじわと終わりに向かっていた僕の心は、羅奈の登場で、ほんの少し
朝起きるのがひどく辛い。
学校までの道のりがやけに遠い。
息を吸うのも疲れる。
なにもかもがひどく重労働だ。
一日が永遠に終わらないほど長い。
僕の心がどうやらこれ以上生きることを拒絶しているらしい。
僕はついに学校に行くことができなくなった。
駅まで行ったものの電車に乗ることができずに家に引き返した。
家族が出払った家に戻り、自室で布団にくるまった。
もう二度とこの家から出ることはできないだろう。
かっこ悪いなあ。
かっこ悪い。
ついにここまで落ちぶれた。
ざまあみろだ。
情けないと思う反面、僕は喜んでいた。
ついにこいつを二度と立ち直れない
結構しぶとかった。
途中、羅奈が現れてうっかり希望を見出すところだったが、無事詰んでくれて良かった。
本当に嫌なやつだった。
哲太みたいないいやつに愛想を尽かされるほど
白藤さんのようないい子に呆れられるほど甘ったれで。
杉内さんを契約で彼女にするような人でなしで。
羅奈のような……。
羅奈のような、まだ僕を救えると真っ直ぐに信じている子を裏切ろうとしている。
羅奈は全然僕を
カレーを食べなかった僕に、あれから毎日夕食を作ってくれている。
作っても作っても、僕が一口も食べないと分かっているのに毎日作っている。
こんな恩知らずのひどいやつなんか、さっさと見限ってしまえばいいのに。
羅奈は僕が壊れていくのが自分のせいだと思っているのかもしれない。
それは違う。
むしろ僕は羅奈に出会えたことで、この数十日、最後の残り火のようなキラキラした日々を過ごすことができた。
羅奈のせいではないと。
それだけは伝えなければならない。
僕なんかのために羅奈が決して苦しむことがないように。
でも……。
今は……少しだけ眠ろう。
◇
五年前。
クリスマスの日だった。
でも中学受験を間近に控えた僕は、過酷な冬期講習に入っていた。
僕の塾のクラスは最難関の中学受験組で、みんなクリスマスどころではない。
最後の追い上げで授業が終わった後も塾で自習していた。
ここからが
それなのに、母さんはクリスマス会がしたいと言いだした。
僕はのん気な母さんに呆れ果てていた。
「クリスマス会がしたいなら父さんと二人でやればいいじゃないか」
僕は塾の授業を終えて、一旦風呂に入るために帰ってきた時にそう言った。
こっちは受験に向けて寝る間も惜しんで勉強しているというのに、何をふざけたことを言っているのかと思っていた。
「今年はどうしても蒼佑と一緒にクリスマス会がしたいの」
「なんでだよ! 来年も再来年もできるだろ? なにも受験の今年一緒にしなくてもいいじゃないか!」
「嫌なの! どうしても今年じゃなきゃダメなの! お願いよ、蒼ちゃん」
今にして思えば、母さんは死期が近いことを感じ取っていたのかもしれない。
来年も、再来年も、自分にやってこないことを無意識に分かっていたのかもしれない。
「ねえ、見て! ケーキを焼いたのよ。今までで一番上手にできたと思うの。大きなチキンも焼いたわ。サーモンにピザにシチューも作ったのよ。すごい御馳走よ!」
「もう塾に戻るからすぐに食べられるものだけでいいよ。あまり食べ過ぎると眠くなるし」
「すぐに用意するから待ってて!」
母さんがチキンを焼き直してシチューを温め直すのを僕はいらいらと待っていた。
「すぐに出るんだからおにぎりとかでいいのに」
ブツブツと文句を言う僕に、母さんはにこにこと料理を用意してくれた。
「あ、待って待って! ツリーの電飾をつけて、ケーキを出して、そうそうクラッカーがあるのよ。父さんももうすぐ帰ってくるからみんなでパンパンってやろうよ」
「えー、もういいって。塾のやつらは皆すぐ戻ってくるって言ってたのに。皆の親はクリスマスなんていいから今年だけは勉強頑張りなさいって言ってるのにさ。なんで母さんだけクリスマス会とか言ってるんだよ。子供の勉強を邪魔する親なんて母さんだけだよ!」
僕はいつもと同じく
母さんは少し寂しそうな顔をしてから、切り替えるように満面の笑顔になった。
「いいの、いいの。ダメな母親でいいもん。私は蒼佑とクリスマス会がしたいの!」
他の人は、僕のきつい嫌みですぐに傷ついて黙り込むというのに、母さんはなかなか
「はあっ。受験に落ちたら母さんのせいだからな。一生恨むよ」
「大丈夫よ。蒼佑なら全部受かるって。塾の先生もそう言ってたもの」
「そういうのさ、かえってハードルが上がって嫌なんだよ。母さんは僕の将来なんてどうでもいいんだろ? 今が楽しければいいんだよ」
「あら、今が楽しいのが最高じゃない。それに蒼佑の将来がどうであっても、母さんにはずっとずっと可愛い我が子よ。母さんがついてるわ。大丈夫よ」
僕は大きなため息をついた。
「なにが大丈夫だよ。母さんがついてて何の役に立つっていうんだよ」
もうやめてくれ。
それ以上言うな。
あの日のことは一言一句すべて覚えている。
何度も何度も、夢の中でも現実でも、ループするようにあの日を思い出す。
僕はあの日に
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