第36話 惰性で生きる
羅奈に衝撃の言葉を投げかけられてからも、僕の生活は変わらなかった。
いや、ある意味変わったのかもしれない。
僕は混乱していた。
混乱して思考が止まり、
朝起きて学校に行き、授業を受けて帰って風呂に入って寝る。
時には哲太のつまらない話に付き合い、水曜日には杉内さんと中庭で弁当を食べた。
僕の思考が止まっていても、心を過去に置いたままでも日常はいつも通り過ぎていく。
体が習慣づいていた。ずっとうまくやれていた。
一度僕が杉内さんと帰っている時に、白藤さんに出会ったことがあった。
白藤さんはすでに羅奈から聞いて僕と杉内さんのことを知っていたのか、驚いた様子もなく優等生らしい会釈をして通り過ぎて行った。
羅奈との友人関係は続いているらしく、二人で楽しそうに話しているところも見かけた。
白藤さんが小学校の頃からずっと僕を想っていてくれたのだとしても、これできっぱり次に進めることだろう。それでいい。その方がいい。
哲太は杉内さんの友達の一人と少しいい関係になりかけている。
ネクタイ交換という重大行事を成し遂げるのが第一関門だと、毎日ネクタイにアイロンをあてて、来たる日を待っているらしい。
今度四人でダブルデートをしようという話も持ち上がっていた。
ようやく哲太に春がやってくるようだ。良かった。
今を生きていなくとも、心を過去に置き去りにしていても、時間は刻々と過ぎていく。
羅奈に出会う前に戻ったのだ。
羅奈に出会ってからの数十日だけ、僕は再び生き甲斐のようなものを見つけたような気がしていた。
残り火のような命を吹き込まれて、何かを変えられると思っていた。
けれど何も変わらなかった。
僕は羅奈に母さんを投影させて、
ほんの一年半だけ家族ごっこに付き合うと言っていた
羅奈にとったら、まったく迷惑な話だ。
僕は五年前に詰んだ男で、この先もずっと詰んだ人生を歩み続ける。
それが五年前に僕が自分に課した罰だったはずだ。
けれど心のどこかで僕は逃げ道を探していたのだ。
羅奈がその逃げ道を僕に作ってくれているような気がしていた。
そんなはずなどないのに。
僕の
それでいい。
僕にはぴったりの結末じゃないか。
「なあ、蒼佑。最近あまり勉強してないよな。一時は休み時間も勉強して本気出してたのにさ。前髪もまた伸びてきて、なんか元に戻ってないか? せっかく色々やる気になったように見えてたのにどうしたんだよ」
昼休みの教室で、哲太は僕に言った。
哲太はいつも敏感に僕の変化に気付く。
「彼女もできたことだし、小学校の頃みたいにもっと夢にぎらぎらしたお前に戻れよ。あの頃のお前はちょっと調子にのってて、かっこつけなところもあったけど、誰よりも努力家だったよな。俺はどんな夢も力ずくで叶えそうなお前が気に入ってたんだ。彼女のためにも本気のお前になれよ。好きなんだろ? 杉内さんのこと」
哲太は珍しく少し真面目な顔になっていた。
「杉内さんとは……たぶんもうすぐ別れるよ」
僕は淡々と答えた。
「え、なんで? うまくいってんだろ?」
「もともと契約で成り立っている付き合いなんだ。一通りの望みは叶っただろうし、彼女が僕に望むことはもうない。別れを切り出されたら応じるつもりだよ」
「な、なんだよ、それ」
「お前は杉内さんの友達と付き合えばいいよ。ダブルデートの日までは、彼女も別れるとは言わないだろうから、心配しなくても大丈夫だよ」
「そんなこと言ってるんじゃないよっ! 俺をバカにするなよ!」
珍しく哲太が声を荒げて、クラスのやつらが何事かとこちらを見ている。
「蒼佑! いい加減に立ち直れよ。お前の母親が死んでもう五年だぞ。いつまでうじうじと過去に
哲太は僕のブレザーの襟を掴んで五年間の思いを吐き出すように言い切った。
哲太は本当にいいやつだ。
分かっているんだ。
いつもふざけたことばかり言って、湿っぽくなりがちな僕の周りを明るくしてくれていた。僕が立ち直るようにと、ずっとずっと気長に見守ってくれていた。
さっさと見限れば良かったのに。
僕はたぶん一生哲太の思うような人間にはならない。
もう充分だ。充分助けてくれた。
もう見捨ててくれていいよ。
今までありがとうな。
僕は襟を掴む哲太の手をゆっくりと引きはがし、力なく微笑んだ。
「ごめんな、哲太」
哲太はショックを受けたように呆然としていた。
「蒼佑……」
哲太はもうそれ以上何も言わなかった。
◇
その日の夜、僕が風呂から出ると羅奈がドアの横で待っていた。
「ねえ、こないだのことだけど……」
羅奈は通り過ぎようとした僕に話しかけた。
「私は別に蒼佑を責めるつもりで言ったんじゃないわ。教えて欲しいの。なんでそんなに自分に冷たくするの? なんでもっと自分に優しくできないの?」
「そんなことを知ってどうするつもり?」
僕は淡々と答えた。
「それはもちろん……悩んでいるなら力になりたいのよ」
「なんで? 羅奈には関係ないことだろ?」
「関係あるわ! 即席とはいえ、同じ家に暮らす家族じゃない。兄妹でしょ?」
「妹だとか思わないでくれって言わなかったっけ?」
「そ、それは……最初はそんな風に言ったこともあるけど……」
僕はつくづく嫌な男だ。
過去の言葉尻を
母さんにもそれで何度も言い負かした記憶がある。
やればできる僕は、本気で相手を攻撃しようと思えば、
今までは羅奈にだけはずいぶん手加減していた。
でも僕が本気で羅奈を排除しようと思えば、簡単に言いくるめられる。
羅奈のように単純で隙だらけの相手なら秒殺だ。
「ねえ、どうしちゃったのよ。少し言い過ぎたなら謝るわ。しばらく避けていたのも私が悪かったわ。ごめんなさい」
羅奈はぺこりと頭を下げた。
「謝らなくていいよ。羅奈は何も間違っていない。僕達は兄妹なんかじゃない。高校を卒業するまでは一緒に暮らすしかないけど、その後は赤の他人なんだ。必要以上に僕のことを知る必要もないし、君が心配して心を痛める必要もない」
「なによ、
「……」
僕は羅奈の顔を見つめた。
僕の答え次第で泣いてしまいそうな表情をしている。
だから僕は少し微笑んで言った。
「うん、ありがとう。お腹が空いたら食べるよ」
羅奈は、ぱあっと笑顔になってほっとしたような顔をしていたが、僕がカレーを食べることはなかった。
すべてが
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