第32話 恋人発覚


 僕に彼女ができたことは、驚くほど早く羅奈に知られることになった。


 僕が夕方まで図書館で過ごしたいと言うと、杉内さんは自分も本を読みながら待っていると答えた。そして帰りに彼女の家まで送っていくことになった。


 杉内さんは僕と学区が違うのだが、駅の反対側で徒歩五分ということだった。

 駅近だとありがたい。

 これから一緒に帰るにしても送っていくのが楽だ。


 契約彼女としてこれほど好条件の相手は二度と現れないだろう。

 僕は今日出会えた幸運に感謝した。


「さっそく送ってもらってすみません」

「いや、僕の都合で待たせたんだから気にしないでいいよ」


 気遣いもできるとてもいい子だ。

 僕達はなかなか似合いのカップルかもしれない。


 そんなことを考えながら駅前のスーパーを通り過ぎようとしたら、目の前に羅奈がいた。


 こぼれ落ちそうなほど目を見開いて僕と杉内さんを見ている。


 良かった。わざわざ彼女ができた宣言を自分から言い出さなくても、これで手っ取り早く説明できる。


 そして彼女すら作れない不甲斐ない兄を羅奈が心配して、白藤さんとくっつけようなどという途方もなく困難なミッションを遂行すいこうする必要もなくなる。


 羅奈は杉内さんと歩く僕に、声をかけなかった。


 ただ人ゴミの向こうからまん丸の目で見ている。


 いや、睨みつけているといった方が正しいかもしれない。


 少し非難が混じっているようにも見えたが、後できちんと話せば納得するだろう。


 僕は羅奈の心配事を一つ解決したのだから、きっと喜んでくれる。


 そして隣で歩く杉内さんは緊張しているのか、光線でも発しているかのような羅奈の強い視線にもまったく気付かず、今日偶然図書館に行こうと思い立って僕に出会えた奇跡について延々話していた。


 普段は図書館になど滅多に行かないのに、読みたい雑誌が駅前の本屋になくて、ふと図書館ならあるかと思って来てみたらしい。


 だが図書館にもなくて、ついてないと思って帰るところで僕を見つけたらしい。

 今日は最強についている日だったと彼女は言った。


 僕はその話を聞いて、そうだろうかと危ぶんだ。


 僕との出会いが、ついているかついていないかは今後次第だ。


 後になって、この出会いさえなければとひどく後悔する未来があるかもしれない。

 今日が最悪についてなかった日なのだと思い直す日が来るのかもしれない。


 だがもちろん僕は、ついている日だったと彼女が思えるように努力するつもりだ。


 僕のできる範囲で。



「蒼佑! あの子は誰なの⁉」


 僕が杉内さんを家まで送り届けて帰ると、羅奈が仁王立ちで待っていた。


「白藤さんは帰ったの?」


 僕は玄関の靴を確認し、もう来客が帰ったことを確認して靴を脱いだ。

 リビングに入るとケーキを焼いた甘い匂いが充満していた。


「途中まで送っていくついでに、スーパーで買い物して帰ることにしたのよ。蒼佑を見かけたのが妃奈子ちゃんと別れた後で良かったわ」


 白藤さんと別れた直後に、スーパーの前で僕達を見かけてしまったらしい。


「ふーん」

「ふーんじゃないわよ! さっきの子は誰?」


 羅奈が喧嘩ごしに尋ねる意味が分からない。


「彼女だよ」


「かっ……彼女っ⁉」


 僕が当然のように答えると、羅奈は驚いたように問い返した。


「い、いつから? そんな話聞いてないわ!」

「そりゃあ今日彼女になったばかりだから、話しているはずもない」


 それに本来なら羅奈に知らせる義務もない。


「今日? 今日付き合うことにしたの?」

「うん。今日だよ」


 食卓には二人が作っただろうカップケーキが並んでいた。

 幾つか二人で食べたようだが、まだ余り過ぎるほどあった。


「彼女が好きだったの?」


 羅奈に聞かれて、僕は初めてそのことについて考えた。


 杉内さんは、そういえば一度もそんなことは聞かなかったし、僕も彼女から好きだと言われたわけではない。


 一目ぼれというワードがそれを含んでいるのだろうという仮定のもと契約は成立したのだ。


 それに快く賛同した僕は、彼女を好きだということになるのだろうか?


 いや、そもそも好きでなければ付き合ってはいけないという法律はない。


「いい子だと思ったよ」


 僕は曖昧あいまいな言葉で誤魔化すことにした。


「なにそれ……」


 羅奈は心底軽蔑したようにつぶやいた。


 思っていた反応と違う。


 羅奈は今日白藤さんと話してみて、彼女が僕のことなどなんとも思っていないどころか失望しているのだと知ったはずだ。そして思惑が外れて白藤さんにも相手にされていないみじめな兄をますます心配しただろう。


 その僕に彼女ができたのだから喜ばしいことのはずだ。

 羅奈が心配しなくとも、それなりに楽しくやっているのだと安心したはずだ。


「なんだ、良かったあ」と答えるだろうと思っていたのに。


 母さんは友達一人自分で作れない僕をいつも心配していたけれど、羅奈に同じ苦労をかけるつもりはない。


 羅奈には僕のために一ミリたりとも悩んで欲しくない。


 羅奈が心を痛めて心配するほどの価値など僕にはないのだ。


 そう思って行動したのに……。

 それなのに……。


「なによそれ! 蒼佑って何考えてるのか全然分からない! 私の気持ちも妃奈子ちゃんの気持ちも全然分かってない‼ 最低よっ!」


 羅奈は涙を浮かべて叫ぶと、ぷいっと向きを変えて階段を上って自分の部屋に入ってしまった。


 取り残された僕は、呆然と立ち尽くしていた。


 なんで?


 僕は羅奈のために彼女を作ったのに。

 なぜ羅奈は泣くほど悲しんでいるのだろう。


 僕には全然分からなかった。



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