第4話 妹が家に来た
部活動もせず真っ直ぐ帰るだけの僕は、たいてい夕方の五時には家に帰り着く。
その日もいつものように淡々と家の前まで帰り着いたところで、不審者を見つけた。
僕の家の門扉に張り付いて中を覗き込んでいる制服姿の女の子がいた。
僕の家の門扉は母さんの趣味でヨーロピアン調になっている。
ついでに家もレンガ柄で煙突のあるメルヘンチックな輸入住宅だ。
むさくるしい男二人が住むような家ではない。
引っ越した頃は、こんなメルヘンな家に住んでいることを友達に知られたくなくて誰にも家を教えなかった。いつも学校帰りに友達を
しかし社交的な母さんがママ友親子を家に招いてすぐにばれてしまい、その後は開き直ってしまったのだが。
その母さんがいなくなって、男二人で暮らすメルヘンハウスに再び違和感を持つようになった。だから中学で龍泉学園に入学してからは、誰にも家を教えていない。
まあ、幼馴染の哲太と白藤さんは知っているだろうけど。
「あの……何か用ですか?」
僕が声をかけると、女の子はぎょっとして振り向いた。
羅奈だった。
「あ、あなたは……確かこの前会った……えっと……」
僕の名前は忘れたらしい。
「蒼佑でいいよ。羅奈……さんだっけ……」
僕もなんとなく変なプライドで、よく覚えてない振りをした。
「……」
僕の覚えてない振りがバレバレだったのか、彼女は無言のまま気持ち悪そうに顔を歪めた。
まあどうでもいいけど。
「どいてくれる? 家に入れないから」
僕は、彼女がこれ以上気分が悪くならないように退散しようと思った。
あわてて脇に避けた彼女の前を通って、門扉を開いて中に入った。
そして羅奈を門扉の向こうに置いたまま閉めようとした。
「ちょっ……ちょっと、待ちなさいよ!」
「え?」
「わざわざ訪ねてきたのに、堂々と無視するつもり⁈」
羅奈は腕を組んでぷんぷんと怒っているようだ。
「無視なんてしてないよ。ちゃんと声をかけたじゃないか」
ひどい言いがかりだ。
僕は羅奈の気分を害さないように早々に立ち去ろうとしただけなのに。
「そういうことを言ってるのじゃないわ! 普通妹になる子が訪ねてきたら、お茶でも飲んでいく? とか聞くでしょ?」
妹と思わなくていいんじゃなかったっけ。いいけど。
「じゃあ……お茶でも飲んでいく?」
僕は羅奈の言葉をオウム返しにして尋ねた。
「バカ言わないで! 妹と言っても、ほんの一年半だけ家族ごっこをする他人の男の家に、ほいほいと入ると思うの? そんな軽い女だと思わないでちょうだい!」
めんどくさい人だ。
断るつもりなのに言わせるなよ。
「それに、羅奈さんって何よ、気持ち悪い! あなたは家族にさん付けするの?」
どうやらさっきの気持ち悪そうな顔は、さん呼びに対してだったらしい。
「まあ……父さんって呼んでるから、さん付けといえばそうだけど」
「……」
羅奈は少し考え込んで「確かに……」と小さく呟いた。
「と、とにかく同級生の男の子に名前をさん付けで呼ばれるのって気持ち悪いからやめて!」
彼女は思い直したように再び叫んだ。
かといって、彼女も南姓になるわけだから名字で呼ぶわけにもいかない。
「じゃあ……羅奈……ちゃん?」
僕が呼ぶと、彼女はもっと気持ち悪そうな顔をして身震いをした。
「呼び捨てでいいわよ。私もあなたにさんとか君とか付けないから」
こうしてお互いの呼び方だけを決めて、彼女はぷりぷり怒りながら帰っていった。
羅奈が何をしに来たのか、全然分からなかった。
◇
母さんが死んでから、僕と父さんの暮らしぶりは悲惨なものだった。
父さんが母さんの役割を放棄したとして、じゃあ僕がその役割をするのかといえば、そんなわけがない。
たとえば僕に幼い妹や弟がいて、母親役がいなくて可哀そうというなら、僕にも母性本能のようなものが芽生えたのかもしれないが、幸か不幸か、母親役がいなくて困るのは僕だけだ。
だったら僕だけが困ればいいわけで、僕が気にしなければ他に誰も困らない。
だけど僕が使った皿は洗わなければならないし、脱いだ下着は洗わねばならない。
父さんの下着は……よく分からない。
(後で知ったところによると、最初の頃は何日か履いて使い捨てていたらしい。その後は、惨状を知った香奈さんがコインランドリーで洗ってくれていたそうだ。他にも、もろもろサポートしていたらしい。そんな関係もあって、再婚に結び付いたのだろう)
ともかく、困った僕は「その場しのぎ」という刹那的解決策に徹することにした。
食事は極力皿を使わないコンビニ弁当で済ませ、どうしても皿が必要になれば、いつ使ったのか分からないカピカピの皿を、使う分だけ洗う。
だが気付いたのだが、どうしても皿が必要なことなどほとんどなかった。
下着は着替えが無くなったら洗濯乾燥機で洗い、そのまま乾燥機から出して履く。
無くなったら、また洗濯乾燥機にかける。案外簡単だった。
汚れていく家は、遠方に住む祖母が三か月に一度ぐらい訪ねてきて、多少片付けてくれる。
老体にむち打って片付けてくれる祖母に申し訳なく思って、その時だけは僕も少し目に付くものを片付けたりする。父さんもテーブルに山積みになった郵便物の仕分けをしてみたりしている。僕と父さんにも、そのぐらいの常識と罪悪感はある。
だが、祖母か帰るとすぐにまた物が散乱し、家は汚れていく。
祖母は来るたびに元の惨状に戻っている家にため息をつき、父さんに「早く再婚しなさい」と言って帰っていった。
父さんにとって母さんは部屋を掃除して身の回りの世話をしてくれる便利な家政婦のようなものだったのだろうか。
そして替わりがいくらでもいる、唯一無二でもなんでもない存在。
父さんを責めているわけではない。
なぜなら、僕自身も母さんがやっていたことを替わりにこなしてくれる人がいたら助かるだろうな、と心のどこかで望んでいるからだ。
一番責められるべきは、僕のような気がしていた。
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