第15話 模試順位

 羅奈が編入して三日目に、夏休み明けにあった模試の成績発表があった。


 近年の平等主義や子供のかけっこにも順位をつけない風潮と逆行して、龍泉学園では模試の成績は上位三分の二まで貼りだされることになっていた。


 昔は最下位まで貼りだされていたらしいが、数年前に一部の保護者からの苦情を受けて、下位三分の一は貼りだされなくなった。


 僕のクラスは、保護者たちの生暖かい慈悲の恩恵にあずかり、まるでギリギリ貼りだされなかったボーダーラインのような顔をして安堵している連中が半分以上を占めている。


 僕ももちろんその一人だった。


 だが、どれほど慈悲深い保護者たちが平等を叫ぼうとも、学校という集団にヒエラルキーがなくなることはない。


 僅かな違いを見つけて優越に浸る者と、劣等感にさいなまれる者は必ずいる。


 例えば特進クラスの生徒は、理系と文系合わせて60位のボーダーラインに入るのは当然とみなされるのだが、万が一にも貼りだされる三分の二の160位にさえ入っていなければ「特進クラスの恥さらし」と言われ、ひどい屈辱を味わうことになる。


 逆に普通クラスの生徒が60位に入ることがあれば、よくやったと喝采を受けることもある。


 僕達のクラスは名前が貼りだされただけで喝采を受ける。


「おい、蒼佑。ちょっと来てくれ!」


 昼休みに哲太が僕を教室から呼び出し連れて行ったのは、模試の成績が貼りだされたばかりで人が群がっている職員室前だった。


 三学年が三列の帯を作って廊下に長く貼りだされている。


 哲太はその最後尾に引っ張っていって、最後から二番目の名前を得意げに指差した。


「見てくれ、ここ」


 そこには「159位 真鍋哲太」の名が記されていた。


「へっへ。今回の模試は結構自信があったんだ。どうだ、蒼佑。すげえだろ!」


 貼りだされた中では最下位から二番目だが、その下に貼りだされることもなかった僕のようなしかばねを三分の一も従えていることを考えると、充分健闘したといえるのだろう。


「へえ……。すごいな、哲太」


「補欠で合格した俺が、ついにここまで来たんだ。俺だってやれば出来るんだ」


 そうだった。哲太は補欠でギリギリ最後に合格が決まったのだった。

 それを考えると中学から五年をかけて、ついに上位三分の二に入ったのは称賛に値する。


「ついにお前にも勝ったぞ、蒼佑」

「いや、僕にはもっと前から勝ってたと思うぞ」


 名前が貼りだされることのない者は他人からは順位が分からないのだが、僕が限りなく最下位なのは自分が一番よく知っている。


「あ、白藤さん!」


 突然哲太が僕の背後に視線をやって叫んだ。

 僕が振り返ると、白藤さんが戸惑うような顔で僕と哲太を見ていた。


「見て見て、白藤さん! 俺の名前がここにあるんだぜ!」


 白藤さんは褒められることを待っている様子の哲太に、笑顔になって返した。


「す、すごいね。頑張ったんだね、真鍋くん」


 白藤さん自身は特進文系B組として上位60位にはきっちり入っているはずだが、哲太にしてはよく頑張ったということだろう。


 というか、哲太は白藤さんと気軽に話す仲だったのか、ということに驚いた。

 小学校の頃は白藤さんが僕と話すついでに哲太にも話していたのは見たことがあったが、龍泉学園に入学してからは話しているところを見たことがなかった。


 僕は、中学時代は特進クラスで一緒だったから必要のある時は少し話すこともあったが、高校になって特進クラスを離れてからは話すこともなくなった。


 廊下ですれ違うことはあったが、目が合うと慌てて逸らされることが多かった。

 それを、特進生を落第した僕なんかと話したくないという意思表示だと捉えた僕は、極力白藤さんの視界に入らないようにしてきた。


 だがこの距離では視界に入らないわけにもいかない。

 久しぶりに近くで見たな、と僕はまじまじと見てしまった。

 相変わらず美人だな……というか中学時代よりさらに垢抜けて美人になった。

 長い黒髪の一部を後ろで結わえた優等生結びに、白いリボンを垂らしている。

 昔から同じ髪形だ。よく似合っている。

 完璧に整った顔立ちに、清楚なオーラが漂っていた。


 僕にじろじろ見られて、白藤さんは少しむっとした顔になったように見えた。


「み、南くんは……ないの?」

「え?」


 僕は白藤さんの顔に見惚れていたため、何を聞かれたのか分からなかった。


「名前が……載ってないの?」

「ああ……」


 そうだった。模試の順位表の話だったと思い出した。


「あるわけないよ」


 僕が答えると、白藤さんは哲太への称賛の笑顔を消してひどく不機嫌な顔になった。


 そして「そう。残念だわ」と捨てゼリフのように答えて行ってしまった。


 白藤さんの姿が見えなくなると、哲太が首を傾げて言った。


「白藤さん、誰かの名前を探してたのかなあ。特進クラスがこんな最後尾まで見にくる必要ないよなあ」


「さあな。お前の名前を探してたんじゃないのか?」


 僕が言うと、哲太は「その言葉を待ってました」という表情になった。


「やっぱり? やっぱりそうかな? さっきの嬉しそうな顔を見たら、そんな気がしてたんだよな。え? もしかして俺のことが気になってたのかな?」


「というか、今でも白藤さんと普通に話したりしてたんだ」


 僕が言うと、哲太はきょとんとした顔になった。


「いや? 話したのは小学校以来だけど?」

「……」


 こいつは一度でも話したことのある相手には、時間をすっとばして長年の知り合いのように話せるタイプらしい。こいつの距離感に合わせて笑顔で答えた白藤さんを褒めてやりたい。


 そしてその笑顔一つで自分の名前を探していたとまで思える哲太のポジティブさが羨ましい。

 まあ、明らかに軽蔑されている僕より好感を持たれていることは間違いないが。


 僕という人間は、何も悪いことをした覚えもないのに、女の子を怒らせる才能があるらしい。


 僕は気付いていた。


 白藤さんが去ったその後ろに、羅奈が僕を睨みつけながら立っていたのを。


 模試も受けていないし、まだ知り合いもそれほどいない羅奈が、この順位表を見る必要などないだろうに。


 まさか僕の名前を探してたんじゃないよなと思いたかったが、その怒りの表情はどう考えても僕に向けられている。


 僕は気付かなかったことにして、まだ順位表をうっとりと眺めている哲太を置いて早々に教室に戻っていった。



 僕は何を隠そう、中学時代にこの模試の順位表で最も話題をさらった一人だ。

 最初特進生で入学した僕は、それまでの受験勉強の残り香のようなもので一年間は辛うじて上位三分の二をキープしていたものの、面白いように急降下していき、二年になった頃にはついに名前が貼りだされなくなった。


 僕の名前がついになくなった時のみんなの視線は結構痛かった。

 変になぐさめたり、次に頑張ればいいよと激励してくれる女子や先生の言葉が余計に惨めだった。


 僕はどうしても勉強することに意味を見出せなかった。


 この方程式が僕の人生に必要なのだろうか。

 英語など話せなくても僕は全然困らない。

 歴史の偉人たち、藤原のなにがしも平のなにがしも足利のなにがしも僕には関係ない。

 世界地図は頭に入っていたが、どの国も行ってみたいとも思わなかった。


 ただ、父親の血なのか数字遊びは好きだった。

 パズルを解くように難問を解くのは中学受験の時のクセでやってみたくなる。

 そのつながりで推理小説を読むのも好きだった。

 推理小説から普通の小説も読むようになったが、古典と漢文は不必要なものと区別された。


 そんな僕の成績が急降下していくのは当然のことだったが、中学二年の時ついにテストを受けること自体に意味を見出せなくなってしまった。


 そして全教科0点という学園始まって以来の伝説を残したのだが、それはあまりいいことではなかった。


 なにごともやり過ぎはいけない。

 極端なことをすれば物事を大きくしてかえって面倒になる。


 僕は生徒指導室に呼び出され「何か悩みがあるのか」としつこく聞き出され、ついには学園カウンセラーの指導を受けることになり、父さんまで呼ばれて危うく心療内科に連れていかれそうになった。


 そうして、何事もほどほどにしなければ面倒なことになるのだと悟った。


 それからは常識で分かりそうな問題と、読書で知り得た知識と、面白そうな数学問題には解答するようにしている。


 だがまあ、順位はいつも最下位から片手で数え切れるぐらいだ。

 進学校をなめてはいけない。


 僕としては誰に気に留められることもなく、騒がれることもない最適な位置を見つけたつもりだった。

 でも羅奈が現れて、どうも事情が違ってきたようだった。


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