第3話 羅奈の絶望


「え? 嘘よね? 羅奈? 転校はしないって言ったよね?」


 愛璃は信じられないという顔で聞き返した。


「そ、そのつもりだったんだけど……編入試験に受かったみたいで……。龍泉の特進クラスは大学の推薦枠もたくさんあって、ママは龍泉の方がいいんじゃないかって言うの。新しい家からも近いし……」


「新しい家って! まさかそのブキメンと一緒の家で暮らすつもりなの?」


「ブ、ブキメンって……最初に言ったのは私だけど……そんなに悪い人でもないみたいなのよ。何考えているか分からないけど、飄々ひょうひょうとしてるっていうか、淡々としてるっていうか。とにかく危害はなさそうな人みたいだし……」


 少なくとも風呂場を覗くような活動的な人には見えなかった。


「何言ってるのよ! そんなの一回や二回会っただけで分かるわけないじゃないの! 男なんて信じちゃダメよ! 警戒して警戒して、羅奈みたいに可愛い子は半径1メートル以内に近付けちゃダメなのよ!」


 愛璃は一緒にお出掛けした時はいつもそう言って、人ごみの中でも私を守ってくれていた。

 過保護すぎると思うこともあったが、愛璃の気持ちが嬉しかった。でも……。


「愛璃は心配し過ぎよ。そんな人ばっかりじゃないみたいよ。私のパパだって、ママと離婚はしたけど私は今でも大好きだもの」


「ダメだったら! 嫌な目に遭ってからじゃ遅いのよ! 家ならうちに居候すればいいって言ったでしょ? うちのママはいいよって言ってくれてるの。うちはママと二人暮らしだし、部屋も余ってるわ」


 愛璃の家庭は複雑だった。

 一等地の豪邸に住んでいるのだが、父親は三人もいる愛人の家を渡り歩いていて、本妻である愛璃の母のところには滅多に帰ってこない。


 だらしない父の悪口を幼い頃から散々聞かされてきた愛璃は、男性全般を敵視している。

 中学に入学したばかりの頃は、男嫌い同士意気投合したのだが、私は同級生の男子が苦手なだけで父親のことは好きだった。


 しかも夏休み明けの西くんの謝罪と告白で、そのトラウマも解消していた。


 どんどん男嫌いを加速させていく愛璃に、近頃は共感できないことが増えてきている。


 かといって愛璃のことは好きだし、男嫌い以外の部分では気が合うのだけれど……。


 本当は少し愛璃と距離をとりたいと思っていたのかもしれない。


 それに……。


(なんだろう。あの蒼佑って人。なに考えてるか分からなくて不気味ではあるんだけど、ちょっと気になるのよね)


 もう少しだけ話してみたいという好奇心が心の中にくすぶっている。

 自分でも分からないけれど、そう思うのだから仕方がない。


 それに編入試験を受けに行った時の龍泉学園の雰囲気も良かった。

 高校生活の残りをここで過ごすのもいいかもしれないと感じていた。


「一年半だけよ。大学生になったら一人暮らしするから少しの間だけよ。ママも一緒に来て欲しいって泣くんだもの。ママのことは心配だし……」


「羅奈はお母さんを甘やかしすぎよ。離婚の時だってお父さんについていった方が良かったはずなのに、結局見捨てられなかったんでしょ?」


「だって……うちのママって仕事以外何もできない人なんだもの」


 父は一人で何でもできるけれど、母は一人暮らしなんてできるはずがない。

 きっと家はゴミ屋敷になって、生活が立ち行かなくなっていつか病気になるだろう。

 そう思うと、見捨てることができなかった。


 夫婦は簡単に見捨てて他人になれるのかもしれないが、親子はそうはいかない。


 理不尽だなって思うけれど、子供は嫌ってもない親を簡単に見捨てられないものらしい。


「私は反対だから! 羅奈のお母さんはいいかげんに子離れするべきよ。再婚を決めたのなら、一人で行けばいいのよ。羅奈だって放っておけないからって、結局お母さんに依存してるのよ! 今こそ、その関係を断ち切るべきよ」


「愛璃……」


「それでもまだ羅奈が転校するって言うなら、もう友達じゃないから!」


 愛璃はそう宣言すると怒って行ってしまった。

 そう言うと、自分の意見を聞いてくれると思ったのだろう。


 今までもそんな風に言われて、慌てて愛璃を追いかけたことが何度かある。


(だったら……これも依存よね……)


 愛璃を失うのが怖くて、本意ではなくても言う通りにしてしまうなら、これこそが依存だ。


(椿が丘にいる限り、私は愛璃の言う通りにしか生きられない)


 愛璃が私のことを思って言ってくれているのも分かっている。

 愛璃の重めの友情に、これまでずいぶん救われてきたのも確かだ。感謝している。


 けれど、最近は少し窮屈で身動きがとれない感じがしていた。


 みんなが私と愛璃がセットだと思っていて、他の子と仲良くするのも気を遣う。

 中学に入学してから愛璃抜きで他の子と遊んだこともなかった。


 それが心地いい時期もあったけれど……今は少し違う感情が芽生えている。


(愛璃に従って守られている人生は終わりにしたいの。……ごめんね)



 結局、愛璃はそのまま転校する日まで私を無視し続けた。

 どんなに話しかけても、無視して行ってしまう。


 最後の学園祭は一緒にまわりたかったのに。


 クラスでは学園祭のあと送別会のようなこともしてくれたけれど、愛璃は来なかった。


 私は後悔していた。


 やっぱり転校なんてやめておけば良かった。

 愛璃の家に居候して、このまま椿が丘に通えば良かった。

 そうしたら今まで通り愛璃に守られて、穏やかで楽しい学校生活が続いたのに。


「どうして私、転校するなんて決めちゃったんだろう……ううう」


 送別会で私はクラスメートの前で大泣きしていた。


「やっぱり愛璃なしじゃダメかもしれない……ううう……」


 愛璃のいない世界が急に不安になった。


「新しい家も家族も……全然思っていたのと違ったの。家の中は散らかってるし、ママ以上に家事をしない人ばっかりで……みんな自分勝手な人ばかりなの……。どうしよう……」


 クラスのみんなは急に泣き出した私に同情してくれた。


「やっぱりそうだったのね。羅奈、最近元気がなかったもの」

「そのブキメンが羅奈に何かしたの?」

「もしかして、さっそくお風呂を覗いてきたのっ⁉」

「やだっ! 最低! やっぱり愛璃の言う通りだったじゃない!」


 選択をあやまった私に、みんなはどんどん想像を膨らませていく。


「ち、違うの。違うのよ。むしろブキメンは……一番まともかもしれなくって……。お風呂を覗いたりなんてしないわ。むしろ私に無関心な感じよ」


 慌てて彼のことはかばった。


 同居は失敗だったかもしれないけれど、彼だけは愛璃の心配するような人ではなかった。たぶん……。


「最初から愛璃の言う通りにしておけば良かったのに」

「今さら遅いよ~、羅奈のバカ~」

「私達だって寂しいんだからね。……ううう」


 みんなは一緒に泣いてくれた。


 そうして散々泣いたら、少しだけ元気が出た。


(選択を誤ったなんてもう思わないわ。これで良かったんだって思えるように、頑張ればいいんだもの)


 前だけを向いて歩いていこうと決心したのだった。



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