第2話 トラウマの解消


「え? ブキメン? 何それ?」


 翌日学校に行くと、さっそく報告を聞くためにみんなが集まってきた。


「写真は? 写真撮ってないの?」

「ほら、両家顔合わせ記念とか言ってさ」


「撮るわけないわよ。そんな雰囲気じゃなかったもの。でも、みんなが考えてくれたセリフはちゃんと言ったわよ。『妹だなんて思わないでね』って」


 初対面のセリフは愛璃をはじめとしたクラスメート達の合作だった。


「それで? なんて? なんて言ってたの?」

「そんなこと言わないでよ、って泣きそうになってた?」

「それとも、妹なんて思うかよ、バーカって逆切れするとか?」


 少女漫画を子供の頃から読み込んできたクラスメート達は、だいたいこの2パターンを想像していたらしい。


 けれど相手の反応はそのどれでもなかった。


「分かったって」


「え?」


 みんなは思っていた返答と違い過ぎてきょとんとしている。


 私もそうだった。


 もっと強いリアクションを返されると思ったのに、驚くほどあっさりしたものだった。


「分かったって何?」


 みんなは意味が分からず聞き返した。


「だから妹だって思わないってことでしょ? 向こうも異論はないみたいよ」


「そうなの? なんかつまんない人ね」

「それで? 他にはなんて?」


「彼とはそれしか話さなかったわ。ただ、向こうのお父さんが家が遠くなるから、龍泉学園に編入したらどうかって……」


 この言葉には、愛璃がすぐに反応した。


「え? まさか転校しないよね、羅奈? 断ったんでしょ?」


「それが……」


 自分でも分からないけれど、編入試験を受けてみると答えてしまった。


「ちょっと腕試しをしてみたくなって。ほら、龍泉の編入試験って難しいって聞くから、まず受からないとは思うんだけど、ちょっと受けてみようかなって……」


「な、なんでよ! なんでそんなこと言ったのよ!」

「羅奈が転校するなんて嫌だよ。行かないでよ~!」

「まさか本気じゃないよね、羅奈?」


 みんながすがるように言ってくれる。

 もちろん転校する気なんてなかった。この時までは……。


「腕試しだって。ちょっと学校の雰囲気を見てみたかっただけなの。受からないから大丈夫よ。心配しないで」


 愛璃はほっとしたように息をついた。


 ただ……もし受かったら……考えてみようかと少しだけ思っていた。


 ほんの少し前までは、このままずっと大学まで女子だけの学校に行こうと思っていたし、愛璃ともそう決めて意気投合していた。


 けれど、夏休み明けすぐにそんな心境を変化させる出来事があったのだ。



「熊田さん」


 私は帰りの電車から降りたところで声をかけられた。


 太い声に聞き覚えはなく、有名男子校の学ランを着ている。

 学ランの制服は少ないので、男子校に興味のない私でも知っていた。


「その……久しぶり……」


「……」


 遠慮がちに言われても、誰だろうと無言のまま見上げていた。


西にしだよ。西雅人まさと。覚えてない?」


「西雅人……?」


 名前を告げられても分からなかった。


「え? 分からない? 小学校でずっと一緒だったんだけどな……。同じクラスにも何度かなったんだけど……」


 彼は困ったように頭を掻いている。


「その……小学校の頃は……ちょっと意地悪なこともして……悪かったなって思ってるんだ」


「!」


 その言葉を聞いて、私は初めて、それがずっと執拗しつようにいじめてきた中心人物の彼だと気付いた。


 嫌い過ぎて記憶から排除していた。

 名前すらも思い出さないようにしていたのに。

 今さら何の用なのか。


(まさか、またあの頃のようにいじめるつもりじゃないよね)


 私は久しぶりに当時の恐怖を思い出して、じりじりと後ずさった。


「あ、待って! 逃げないで、熊田さん!」


 彼は慌てたように呼び止めた。


「熊田さんって……」


 あの頃は「クマだ―っ」って勝手に呼び捨てていたくせに、気持ち悪い。

 どういう魂胆こんたんなのか分からなくて恐ろしい。


(でも私だってあの頃より強くなったんだから。愛璃に鍛えられて、意地悪されたって言い返すぐらいできるようになったんだからね。大丈夫よ)


 ぐっと覚悟を決めて三角の目で彼を睨みつけた。けれど……。


「あ、あの……そうだよね。恨んでるよね。あの頃は本当にごめん! ごめんなさい!」


 彼は頭が膝につくぐらい体を折り曲げて謝っていた。

 そして信じられないことを告げた。


「俺は……その……す、好きだったんだ、熊田さんのことが……」


「え?」


 思いがけない告白に、唖然とした。

 周りを通り過ぎていく人達が、ちらちらと私達を見ていく。

 それにも関わらず、彼は続けた。


「なんとか話すきっかけが欲しくて、つい意地悪なことばかり……。本当にガキで情けないんだけど、俺の存在に気付いて欲しくて意地悪してたんだ。本当にごめん!」


「な、なんで好きなのに嫌われるようなことばかり……?」


 説明されても、私は訳が分からなかった。


「だ、だからガキだったんだと思う。俺は男子校に入ってからも時々、熊田さんを電車で見かけてたんだけど……」


「そうなの?」


 全然気付かなかった。

 いや、あえて視界に入れてなかったのかもしれない。


「やっぱり好きだなって……。ずっと忘れられなくて……」


「……」


「あの……嫌われてるって分かってるけど、やっぱり伝えたいなって思って。す、好きです。俺と付き合ってくれませんか?」


 思いもかけない相手からの告白だった。


 驚いたものの、答えはもちろん決まっていた。


「ごめんなさい。過去のトラウマが強くて無理です」


 彼は「そ、そうだよね」と答えてしゅんとしていた。


 あの恐ろしくてたまらなかった彼が、気の毒なほどしょんぼりしている。

 そうして「急に変なこと言ってごめんね」と謝って去っていった。


 その後ろ姿を見て、彼に好感を持つことはなかったが、あれほど心の奥に刻み込まれていたトラウマが嘘のように霧散していくのを感じていた。


 訳も分からず大勢でいじめられた苦しい記憶が彼の好意から来ているものだと思うと、すべてが滑稽こっけいで切ない思い出に書き換えられていくような気がする。


 そうして思った。


(男の子ってよく分からない)


 けれど。


(そんなに毛嫌いするほど悪い人達じゃないのかも)


 ほんの少しだけ、知りたいなと思ったのだった。


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