第4話 使える兄

 蒼佑と一緒に暮らしてみて気付いたことがある。


(ママと似ているんだわ)


 いや、全然似ていない。

 似ていないけれど、似ている。


 どこがかと言うと、放っておけないところがだ。


 自分の幸せに無頓着で、放っておけば破滅に向かいそうなところがだ。


(ママは結局、改善する気もなくてパパに愛想を尽かされて離婚になったけど……)


 なんだか蒼佑の方が深刻な気がする。


(だってママは私に助けを求めたけれど、蒼佑は助けて欲しいとも思ってないもの)


 自分が幸せになることを避けているような気さえする。


(ただママと違うのは……)


 どういうわけか、私の言うことだけは聞いてくれるのだ。

 私に興味があるわけでも優しいわけでもないのに、なぜか聞いてくれる。


「どうしてだろう……」


 どうしてなのか分からないけれど、私が一番して欲しいことをちゃんとしてくれる。


 私に当てがわれた部屋が物置のようになっていて、腹立ち紛れに「明日までに片付けておいて」と言ったけれど、本当に片付けてくれるなんて期待していなかった。


 だから引っ越しの荷物が入る前に、部屋にあるものを全部廊下に出さなければならないと、気を重くして新しい家に向かった。


 けれど部屋を開けてみると、驚いたことに前日の荷物がきれいに無くなっていた。


「本当に片付けてくれたんだ……」


 同年代の男の子ってもっと使えない人種だと思っていた。

 小学校時代しか接する機会はなかったが、掃除時間も邪魔ばかりして、当番なども頼んだことすらちゃんとやってくれない男の子しか覚えていない。


 少し当たり前のことをやっただけでも、やってやった感を出してアピールし続けるめんどくさい子もいたっけ。しかも本人が思っているほどこっちは助かってないし。


『男子は使えないやつばかり』は小学校時代の女子の共通認識だった。


 だから蒼佑が「分かった」と答えても、全然分かってないだろうと諦めていた。


 けれど蒼佑の「分かった」は本当に分かったなのだ。


 こっちが期待することを完璧にやり遂げてくれる。


 ママのことにしてもそうだ。


 ママは「家事を少しは手伝って」と言っても「あとで時間のある時にね」と言って結局ほとんどやろうとしなかった。その身勝手さに愛想を尽かしてパパも出ていったのだけれど。


 私がどれほど「このままじゃみんなに愛想を尽かされて不幸になるだけだよ」と言っても、「羅奈がいてくれるから大丈夫」と安易に考えている。


 研究以外すべて人任せで、全然目の前の問題を本気で考えてくれない。


 私も愛想を尽かしてしばらく家事をボイコットしたこともあるが、結局汚れていく部屋に耐え切れず私が根負けして終わっていた。


 ママを変えることは無理なのだと思っていたのに……。


「蒼佑くんってなんだか気難しい子みたいね」


 引っ越してすぐにママは不満そうにつぶやいた。


 けれど私はその少し前に泣きながら風呂掃除をして出てくると、真夜中に鼻歌混じりでキッチンを掃除してくれていた蒼佑を見ていた。


「そうかな? 口数は少ないけれど……意外に優しい人じゃない? 引っ越しの時だって、私の手が届かない電球とか天井とか拭いてくれたのよ。とても助かったわ」


 ママは自分の荷物だけ入れたら、あとはリビングで啓介さんと研究の話ばかりして手伝ってもくれなかったけれど、蒼佑は私ができない所を完璧に掃除してくれた。


 いつだって蒼佑は「分かった」と答えたら、完璧にやり遂げてくれる。

 使える兄だった。


「だって、私がトイレと洗面所の掃除担当だなんて勝手に決めるのよ。それでちゃんと掃除していなかったら仕事に行かせてくれないの。啓介さんだって風呂掃除担当だって勝手に決めて、細かいところまで掃除ができてなかったらやり直しさせるのよ。ひどくない?」


「え?」


 私は凄く驚いた。ママ達がそんなことを言われているなんてまったく知らなかった。

 道理で最近家の中が綺麗になっていると思った。

 しかも。


「それでママはちゃんと掃除しているの?」


 私が何度言っても「そのうちね」と言ってやってくれなかったのに。


「だって、できないなら再婚は認めないから出ていけなんて言うのよ。ひどいでしょう?」


「出ていけ……」


 それはさすがに私もママに言ってなかった。

 だって家はママのものだし、出ていくのは私の方だったから……。


「時間のある時にやるからって言っているのに、今やれ、すぐやれって追い立てるの。あんな横暴な子だなんて思わなかったわ。もっと大人しい子だと思っていたのに」


「今やれ、すぐやれ……ふふ……確かに……」


 私は聞いていておかしくなった。

 ママの『時間のある時』なんて絶対やってこないと分かっていたのだ。


 ママのうまい方便だって分かったから、すぐやれと言ったのだ。


 私の言うことは全然聞いてくれないママだったけれど、さすがにほとんど他人の蒼佑に厳しく言われて逃げ道が作れなかったらしい。


「すごいな、蒼佑……」


 私が何年かけてもできなかったことを一瞬でやってしまった。


「どこが凄いのよ。おかげで毎日トイレの紙がきれてないか、汚れてないかびくびくしながら過ごしているんだから」


 ママは不満そうに愚痴っている。


「あのね、ママ。私とパパはいつもそうやって家の中が汚れてないか気にかけていたの。ママだけが免除されていると思い込んでいた今までの方がおかしいのよ。蒼佑のおかげで少しはましになったと感謝するべきだわ」


「やだ。羅奈は蒼佑くんの味方なの? ひどいわよ~」


 悲しそうに言っても、もう甘やかさない。

 せっかく蒼佑が築いてくれた秩序を、きちんと保てるように私も支えようと思う。


 そして思った。


「蒼佑って……長い前髪で表情も見えないし、最初はぼんやりしている人かと思ったけれど、実はすごく賢い人かもしれないわね」



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