第42話 完全敗北

 ひとしきり泣いた後、涙の分だけ軽くなった体で羅奈に付き添われるようにして家に帰った。


 あれだけ泣きじゃくって情けない姿を見せた後では、今更取りつくろう意味もない。

 僕の周りに張り巡らされていたバリアのような壁は崩壊し、完全に無防備になっていた。


 家に帰りつくと、羅奈は僕の血まみれの拳を手当して、温かいお茶を淹れてくれた。

 

 僕はソファに座ってお茶をすすりながら、五年前のあの日あった出来事をすべて羅奈に話した。軽蔑されて嫌われることも承知で、一言一句たがわず僕が母さんに言った言葉をなぞった。


 羅奈は黙ったまま僕の話を聞き終え、少し考えたあと言った。


「蒼佑はお母さんのことが大好きだったのね」


 僕は耳を疑った。

 ちゃんと僕の話を聞いていただろうか。

 僕の最低最悪な発言の数々を聞いて、なぜそんな感想になるのか分からない。


「大好きな分だけ自分を許せなかったんでしょう?」


「……」


 僕は何を答えていいか分からずうつむいた。


「あのね、蒼佑。あなたのお母さんはちゃんと分かっていたと思うわよ」

「でも僕は……まともにありがとうとも伝えたことが無かったんだよ」


「それでも分かっていたと思うわ。だって私も、さっき蒼佑に怒鳴られて驚いたけれど、なんとなく分かったもの。私を傷つけたくて言ったんじゃないって。むしろ私をこれ以上巻き込まないために言われたような気がしたの。だから蒼佑がそこまで嫌がるなら、絶対ケーキのろうそくを吹き消さしてやろうって、買いにいくことにしたんだもの」


「……」


 羅奈は驚くようなことを言う。


「蒼佑の優しさは、自分が思っているよりも周りにちゃんと伝わっているのよ」


「僕は……優しくなんか……」


 いつだって人を傷つけるような冷たい言葉しか言ってないはずだ。


「妃奈子ちゃんだって、言ってたわ。蒼佑が一年の女の子と付き合うことにしたのは、私を解放するためなんだろうって。いつまでも蒼佑に想いを残している妃奈子ちゃんを前に進ませるために彼女を作ったんだと思うって。そうなんでしょ?」


「そんなことは……」


 羅奈も白藤さんも人が良すぎる。

 僕なんかをそんなに買いかぶってどうするんだ。


「見くびらないでちょうだい!」


 僕は羅奈の強い言葉に、はっと顔を上げた。


「蒼佑と近く接した人はみんな気付いているわ。あなたの不器用で、悲しくなるような温かさに。まして母親が気付かないなんてあると思う? 蒼佑が思うより、周りの人達はみんなあなたのことを分かっているわ」


 僕は完璧に自分を隠している気になっていたが、全部見通されていたというのか。


「啓介さんだって蒼佑に会う前に言ってたの。優しすぎる子なんだって」


「父さんが……?」


 あの僕にまったく無関心だった父さんが?


「啓介さんも不器用で分かりにくい人だけど、ママにだけは本音を言えたみたいね。あなたのお母さんが亡くなってからこの五年間、毎日蒼佑の相談をされてたって言ってた。蒼佑が壊れてしまいそうだって心配して、一緒に暮らして生活に変化をつけてみたらどうかって話になったそうよ。蒼佑のことがなければ、あの面倒臭がりの二人は再婚してなかったと思うわ」


「じゃあ僕のために……」


 僕は……この五年間、何を見ていたんだ。

 何も見えていなかった。

 自分の殻に閉じこもって、自分しか見えていなかった。


「私もママも、もう家族になったのよ。あなたが傷つけば、家族である私達も同じぐらい傷つくの。あなたが不幸になれば、私達も幸せにはなれない。ねえ、どうしてくれるの? もう籍だって入れてしまったのよ? 責任をとってちょうだい」


「責任?」


「そうよ。私とママを幸せにさせてちょうだい」


「僕にはそんなこと……」


「できるわ。簡単よ」


 羅奈は僕の言葉をさえぎるように言い切った。


「蒼佑が幸せになるの。蒼佑が幸せになれるように一生懸命今を生きるのよ」


「僕が幸せになれるように……」


 僕にそんな資格があるのだろうか。


「もしもお母さんにまだつぐないたいとか思っているなら、あなたが幸せになることよ。それが母親の一番喜ぶことに決まっているじゃない。蒼佑って頭がいいように見えて、そういうとこ本当に分かってないんだから」


 羅奈に完全敗北だった。



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