第41話 最も非情な罰

 すべてが五年前と同じだった。


 僕は最後に何を言った?

 羅奈にどんな言葉をかけた?


 僕を心配して誕生会をやろうと言ってくれた優しい羅奈に何を言ったんだ?


 最初こそ妹と思わなくていいとか、一年半だけの家族ごっこだと言い切っていた羅奈だが、いつしか家族になろうと努力してくれていた。


 不甲斐ない僕を妹として見捨てられず、なんとかまともにしようと心配してくれていた。


 そんな羅奈の気持ちを裏切り、僕は最後に何を言ったんだ。


 何も悪くない羅奈を怒鳴りつけ傷つけた。


 僕は五年経っても少しも成長せずに、同じ過ちを繰り返している。


 僕なんかに生きる価値などないのに、なぜ僕が生き残って羅奈がほうむられるんだ。

 こんなの間違っている。


「くそっ! くそっ! 僕は僕を不幸にしたかったんだ。羅奈を不幸にしてくれなんて頼んでない! 僕が死ねば良かった。僕が死ねばいいんだ!」


 僕は地面をこぶしで何度も何度も殴りつけてつぶやく。

 通り過ぎる人達が、怪訝けげんな表情で僕を避けていく。

 人の目なんて、もうどうでも良かった。


「僕が死ねば……」


 そして気付いた。

 ああ、これこそが最も非情な罰なのだと。


 死を望んでいる僕に死を与えてくれるほど、世界は親切ではない。

 世界はもっともっと非情で残酷だった。


 僕が最も嫌がり、最も苦しむ罰を与えたのだ。


 母さんの面影を重ねた羅奈を、僕からまったく同じ方法で奪う。

 これほど残酷な罰があるだろうか。

 それほど僕はこの世界から憎まれていたのだ。


「僕はどうすれば良かったんだ……」


 羅奈と出会ったあの日に戻ってもう一度やり直すから教えて欲しい。


 羅奈を遠ざけ、無視して、その優しさに惹かれなければ、羅奈を失わずに済んだのだろうか。


 あの日に戻って……。


 でも……。


 無理なんだ。


 無理なんだよ。


 母さんの温かさも、羅奈の優しさも、僕の心に深く染み込んで、気付けばいやされ安らぎを感じ、知らずに追い求めていた。


 何度出会っても、僕の心は憧れ、求めてしまうんだ。


 そうして傷つけて失う。


 あと何度こんな苦しみを味わい続けるんだ。

 このループから逃れる方法があるなら教えて欲しい。

 そのためなら何でもする。

 どんな無茶な努力も全力で成し遂げる。

 だからもう一度チャンスが欲しい。


――もう一度だけ僕にチャンスを下さい――






「蒼佑?」


 打ちのめされて地面にうずくまる僕の背に、幻のような声が聞こえた。


「こんなところでどうしたの? 具合でも悪いの?」


 もう永遠に失ったはずの声が聞こえる。


「……」


 僕はゆっくりと顔を上げた。


「やだ。手が血まみれじゃないの。どうしたの?」


 羅奈が驚いた顔で僕の前にしゃがみ込んで血のにじんだ手を掴んだ。

 もう片方の手にはケーキ用の長いろうそくを大事そうに握っている。


「羅奈……。どうして……」

「メモを見なかった? ろうそくを買いに行ってたのよ」

「それは知ってるけど……」

「なんか事故があったみたいね。制服の女の子がかれたみたいって聞いたけど」


 羅奈は言いながら、ポケットからハンカチを出して僕のこぶしの血を丁寧に拭いている。


 これは夢を見ているのだろうか。


「じゃあ……。事故に遭ったのは羅奈じゃなくて……」

「違うわよ。こんなにぴんぴんしてるじゃない」


 羅奈は力こぶを作るように両腕を振り上げて見せた。


 夢でもなんでもいい。

 僕はこの世界軸にしがみついて、もう放さない。


「羅奈……」


 ぽたぽたと、大粒の涙がこぼれる。


「え? 蒼佑。どうしたの? どこか痛いの?」


 慌てて尋ねる羅奈を僕はぐいっと引き寄せ、存在を確認するように力一杯抱き締めていた。


「ち、ちょっと、どうしたのよ、蒼佑」


「羅奈! ごめん、羅奈! ……うっく……ごめ……うう……」


 嗚咽おえつで声にならない。


「な、何謝ってるのよ。ちょっと苦しいったら。妹だからってハグしていいわけじゃないからね。ちょっと、蒼佑……」


「うん。ごめん……。全部ごめん。今だけ……ごめん。……うう……うううう……」


 もう何を言っているのか分からない。意味不明だ。

 泣きじゃくる僕に観念したのか、羅奈はトントンと背中をあやすように叩いた。


「なんだか分からないけど、今日だけ許してあげるわ。でも女子高生と簡単にハグできるなんて思わないでよ。今日だけ特別なんだからね」


「うん。……うう……。うん。ありがとう……うっく……ありがとう……」


 僕は羅奈を抱きしめたまま、情けないほど泣きじゃくっていた。


 そういえば、僕は母さんが死んでから一度も人前で泣いていなかった。


 腫れ物に触るように気を遣う周りの人達に、気持ちを吐き出すことはなかった。

 誰にも吐露とろすることなく心の中に積もった悲しみは、僕自身への憎しみに変わって自分を責め続けた。


 僕への許せない憎しみだけが、唯一悲しみを忘れさせてくれた。


 その憎しみの下に、五年間いやされることのなかった悲しみが深く深く根付いていた。


 僕は、本当は誰かに僕の罪のすべてを聞いてもらいたかったんだ。


 なんて酷いことを言ったのだと、みんなに責めてもらいたかった。

 そして嫌われて、最低なやつだと言われて罰を受けたかった。


 でもそれと同じぐらい、自分が最後に母さんに向けて言った言葉の数々を誰にも知られたくなかった。


 なぜなら最愛の息子に、最後にそんなひどい言葉を投げつけられていた母さんが……あまりにみじめだったから。


 母さんの人生の締めくくりが僕のせいで最低なものになってしまった。

 そんな僕のせいで、母さんの人生すべてが惨めであわれなものだと思われたくなかった。


 家族に愛され、幸福の中で不慮の事故に遭ってしまった母さんでいて欲しかった。


 そうして僕は罪を隠し、母さんを愛したすべての人の分だけ自分を責め続けた。

 すべてを知っている僕だけが自分を裁くことができるのだから。


 母さんの無念を晴らせるのは僕だけだったのだ。



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