第10話 南くんの妹


「どうしよう……ママ。私、蒼佑に言ってはいけないことを言ってしまったみたいなの」


 私はどんどん無気力になっていく蒼佑に、どうしていいか分からなくなっていた。


 夜遅く帰ってきたママに、泣きながらすがりついた。


「何かあったの?」


 普段は私のことに無関心なママだけど……相談して頼りになったことのないママだけど……困った時は一応親身になって考えてくれる。


 啓介さんも一緒にソファに座って話を聞いてくれた。


「私……きっと調子に乗ってたんだわ。蒼佑は私の言うことなら何でも聞いてくれるって。だから私なら蒼佑を変えられるような気がしていたの。妃奈子ちゃんが何年も寄り添っていてもできなかったのに、なんで私にはできるなんて思っちゃったんだろう……ううう……」


「妃奈子ちゃん? なんだかよく分からないけれど……」


 ママはさっぱり話が分からないようだけれど、私を抱きしめて背中をさすってくれた。


「羅奈ちゃんのせいではないよ。むしろ羅奈ちゃんのおかげで、最近はずいぶん蒼佑が明るくなっていた。本当は私がなんとかしなければいけないのに、何もできずに羅奈ちゃんを頼ってしまっていた私のせいだ。気にしなくていい」


 啓介さんも慰めてくれた。


 二人とも普段は研究のことしか考えていないけれど、頼られれば何とかしたいと思っている人たちだった。


「でも……このまま蒼佑が立ち直れなかったらどうしよう。最近は目も合わせてくれなくなったの。私のせいで蒼佑が壊れちゃったら……ううう……どうしよう……」


 毎日早く帰って蒼佑が好きそうな夕ご飯を作って、食べてもいいよと差し出すのに、一口も食べてくれない。


 注意して見ていると、この数日、蒼佑が何も食べていないことに気付いた。


 このままでは死んでしまう。


 ううん。蒼佑は死のうとしている。


 泣きじゃくる私を見て、珍しくママが解決策を思いついた。


「そうだわ! もうすぐ蒼佑くんの誕生日でしょう? 誕生会を開きましょう! 蒼佑くんの好きな物をいっぱい作るの。私は一番高いステーキ肉を買ってくるわ! 焼いている匂いをかいだら、蒼佑くんだって食欲が出てくるはずだわ! ね、いい考えでしょ?」


「誕生会?」


 そんなお気楽なことで蒼佑の気持ちが変わるとは思えないけれど……。

 でもこういう時のママの適当さには救われる。


 今はどんなことでもいいから、できることを全部やりたい。


「分かった! 私、ケーキを焼くわ! それにご馳走をいっぱい作るの。今までで一番がんばって美味しいものを作るわ!」


 そうして蒼佑の誕生会の計画を、こっそり三人で進めていた。



 そして当日。


 蒼佑が学校から帰る前にケーキを仕上げようと大急ぎでクリームを生地に塗っていた。


 するといきなりリビングに蒼佑が現れた。


(しまった。見つかっちゃった)


 いつの間に帰っていたのか、ばれてしまった。

 しかもずいぶん顔色が悪い。

 今にも死んでしまいそうな顔をしていた。


 蒼佑は私の手元を見て驚いたように「何作ってるの?」と尋ねた。


 仕方がないと、私はケーキを作っていることを白状した。


 蒼佑は今日が自分の誕生日だということすら忘れていたようだった。

 そしてなぜかひどくショックを受けたような顔をしている。


(なにか気に障ったのかしら? どうしよう……)


 私は慌てて普段より饒舌じょうぜつになっていた。


「もう~自分の誕生日を忘れちゃったの?」


 どうでもいいことをべらべらとしゃべって誤魔化す。


 けれど蒼佑は「ケーキなんが作らなくていい」と答えた。


 ひどく傷ついた表情をしている。


 どうしよう、どうしよう……。


 私は焦って、どうでもいいことをいっぱいしゃべった。

 何を話したのか覚えていない。ただこう言ったのだけ覚えている。


「もう~、蒼佑ってそういうとこ頑固よね。じゃあろうそくを吹き消すだけでいいわ」


 私が言うと、蒼佑は初めて見せるいら立った顔で「いらないって言ってるだろっ‼」と叫んだ。


 びくりと肩が震えた。


 どうしよう……。


 また言っちゃいけないことを言っちゃったの?


 震える声で誤魔化しながら、どうしよう、どうしようと思っていた。


「ちょっと……なに怒ってるの? 私は蒼佑の誕生日を祝ってあげようと思って、昨日から料理の下ごしらえをして今日だって急いで学校から帰ってきて……」


 しかし私が言い終わる前に、蒼佑が怒鳴っていた。


「そういうのがいらないって言ってるんだ! 僕に構うな‼」


 男の人に本気で怒鳴られたのは初めてだった。


 恐怖心でがくがくと足が震えている。


 もう何も言い返せなかった。


 何か言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。


 やがて蒼佑は何か言ってリビングから出て行ったけれど、私にはもう聞こえていなかった。


 蒼佑が去ると、私はその場に崩れるように膝をついて震えていた。


「また余計なこと言っちゃった……。どうしよう……」


 あの蒼佑が怒っていた。


 前髪を勝手に切っても許してくれた蒼佑が。

 浴衣ゆかたを一緒に買いに行ってと無茶なお願いをしても聞いてくれた蒼佑が。

 妹だなんて思わないでね、と初対面で失礼なことを言っても怒らなかった蒼佑が。


「もうダメかもしれない……」


 ぽたぽたと涙が落ちる。


 でも怒鳴られて怖いと思ったけれど、不思議に腹は立たなかった。


 理不尽に怒鳴られても嫌いだという感覚はまるでない。


 どうしてだろう?


 そして、はっと気付いた。


「蒼佑に私を責める気持ちがまるでないからだ……」


 言葉だけを取り出してみれば、ひどい暴言のように思えるけれど、蒼佑の目には怒りではなく哀しみだけが宿っているように見えた。


 蒼佑はいつだって自分のために何もしない人だった。

 裏を返せば、他人のためにしか動かない人だ。


「私のため……。私のために怒鳴ったの?」


 そう気付くと、さっきまでの震えがぴたりと止まった。


 そしてぎゅっと拳を握りしめる。


「だったら……蒼佑の言う通りになんてしないわ! 蒼佑が嫌がることを全部やるんだから。なにがなんでも蒼佑を幸せにするんだから」


 涙を拭って立ち上がった。


「絶対蒼佑にケーキを食べさせるわ! それからロウソクの火を吹き消させてやるんだから!」


 そうして、はたと気付いた。


「いけない。ロウソクを買い忘れていたわ」


 こうなったら意地でもロウソクの火を吹き消させる。


「うん! 今から買いに行くわ! ロウソクを買ってきて意地でも吹き消させるんだから!」


 謎の気合で財布を持って駆け出していた。


 でも駅のスーパーに向かいながら、本当はやっぱりどうしようと思っていた。

 こんな行き当たりばったりの思い付きで、蒼佑がどうにかなるとは思えない。


「妹だなんて言っても、ほんの数十日前になったばかりだものね。私なんかに何ができるんだろう。また思い付きで行動しちゃった」


 ロウソクを買って家に帰りながらも、どんどん自信を失っていた。


 椿が丘では親友の愛璃がいなければ何もできないような気がしていた。

 けれど蒼佑と出会って、南羅奈になって、急に何でもできるような気がした。


 変われると思っていたのに……。


「やっぱり愛璃なしじゃ失敗ばかりで何もできないのかな……」


 無力感にさいなまれる。


 救急車のサイレンがうるさい。横の大通りを通り過ぎて行った。

 誰か事故に遭ったようだ。


「高校生らしいわよ。かわいそうにね」

「意識はなかったみたいね。助かるといいけれど」


 そんな大きな事故があったんだと思いながら歩いていると、目の前にうずくまる人が見えた。


(え? 救急車行っちゃったけれど……。怪我人?)


 そう思って近付いていくと、驚いたことに蒼佑だった。


「蒼佑?」


 名前を呼ぶと、ゆっくりと顔を上げた蒼佑が目を丸くして驚いている。


 こんなに驚いている顔は初めて見た。

 蒼佑のまだ知らない表情がたくさんある。


「やだ。手が血まみれじゃない。どうしたの?」


 私は駆け寄って膝をつくと、蒼佑の手を取った。


「羅奈……」


 なんだか様子がおかしい。


 いつも淡々として表情のない蒼佑が、今はやけに感情がむき出しになっている。

 事故に遭ったのが私だと思ったようだ。


 迷子になっていた子犬のような目で私を見上げている。


 しかも大粒の涙がぽたぽたと落ちていた。


「え? 蒼佑。どうしたの? どこか痛いの?」


 まさか蒼佑が泣くなんて思っていなかった。


 鉄壁のガードで感情を隠している人だと思ったのに……。その上。


 私に手を伸ばしたと思ったら、ぎゅっと抱きしめられた。


「ち、ちょっと……」


 さすがに動転してしまった。


 こんなに力いっぱい抱き締められることなんて、子供の頃以来じゃないだろうか。

 女子同士抱き合うことはあっても、こんな一方的な馬鹿力で抱き締められることなんてない。


「ち、ちょっと、苦しいったら……」


 慌てて引きはがそうとしても、泣きじゃくっていて全然放してくれない。

 しかもずっと謝ってるし……。


 しばらくもがいていたものの、蒼佑があんまり泣くものだから観念して受け止めた。

 なんだか放っておけないんだもの。


「今日だけ許してあげるわ。でも女子高生と簡単にハグできるなんて思わないでよ」


 強気で言い切ったけれど、内心はほっとしていた。


 なんだか分からないけれど、蒼佑の周りにあった高くて分厚い壁がなくなっている。


 誰がどうやって崩したのか分からないけれど、すっかり無防備になって子供のように泣いている蒼佑がいた。


 ようやく壁の外に出てきた蒼佑をしっかり掴んで離さないでおこうと思う。


 だって私は蒼佑の妹だもの。


 これから、もっとたくさんの蒼佑を知っていくんだもの。


 一緒に幸せになる家族だもの。


 この先ずっと私は『南くんの妹』なんだから……。


                           END

 


 


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南くんの義妹(いもうと) 夢見るライオン @yumemiru1117

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