第8話 妃奈子ちゃん


 前髪を切って体育祭に参加した蒼佑は、すっかり話題になっていた。


「え? あれって南くん?」

「本当だ。中学の最初の頃を思い出したわ」

「そういえば、中学一年の頃は前髪を伸ばしてなかったものね」


 クラスの女子達は中学からの進学組で、蒼佑と同じクラスだった子もいた。

 最初の頃は前髪を伸ばしていなかったので、みんな顔を覚えていたようだ。


「南くんって入学したばかりの頃は、ちょっと気になっていたのよね」

「私も! イケメンがいる~って思っていたもの」

「それがまさかあんなになるなんて思ってもなかったけどね~」


 あんなになるとは、特進クラスから脱落して前髪を伸ばしたブキメンになるなんて……という意味らしい。


「ちゃんとすればかっこいいのに、なんであんなになっちゃったのって思ってたもの」

「妃奈子がずっと気にかけていたのに、どんどん落ちぶれていくんだものね」

「妃奈子がかわいそうだったわ」


 三人とも白藤さんと同じクラスだったことがあるらしい。


「白藤さんって人は、そんなに南くんのことが好きだったの?」


 私は聞いてみた。


「小学校から片思いだったらしいわ」

「お母さんが亡くなる前までは、勉強もできてすごい人だったらしいわよ」

「お母さんが亡くなってから変わっちゃったって言ってたよね」


 その辺のことは、私もママと啓介さんから少し聞いていた。


 今朝などは、前髪を切った蒼佑を見て、啓介さんがこっそり「羅奈ちゃんのおかげだ。ありがとう」と言って頭を下げてくれた。


 普段無関心なようでいて、啓介さんも父親として悩んでいたらしい。


「白藤さんは、今でも南くんを好きなのかしら?」


 私が尋ねると、三人は同時に「まさか~」と口をそろえた。


「いくらなんでも、妃奈子もいいかげん目が覚めたでしょう」

「昔どれほどかっこよくても、今があれじゃあねえ」

「でも神谷くんを振ったって聞いたわ。今でももしかして好きだったりして」


 白藤さんが神谷くんを振った話は、学園の人気者同士だから話題になっていたらしい。

 神谷くんを好きな女子も、白藤さんを好きな男子も、二人がカップルにならなくて良かったと胸を撫でおろしたそうだ。


「まさか前髪を切った南くんを見て、気持ちが再燃したりして?」

「まあ……見た目は悪くないものね。昔から」

「ほら、一年の女の子たちも南くんを見て騒いでいるみたいよ」


 気まずそうに突っ立っている蒼佑を、指差して騒いでいる女の子の集団が見えた。


(やっぱり普通の髪型をすれば、イケメンの部類だよね……)


 身内贔屓びいきでイケメンに見えているわけではないようだ。


 しかもあのやる気のない態度が、ガツガツしていないというか、気だるい雰囲気をかもし出して、はからずも今風イケメンを作り出してしまっているらしい。


 そしてそんな蒼佑を、かなり離れたところからそっと見つめる白藤さんを見つけてしまった。


(やっぱり……今でも好きなんだわ)


 みんなはまさかと言うけれど……。


 気付いてしまった私は、どうすればいいのだろうか……。


 まるでその答えをうながすように、その午後、白藤さんと話す機会があった。

 中庭に私と蒼佑がいるところに、白藤さんがやってきたのだ。


 白藤さんは……蒼佑に気持ちを伝えようとしていたのではないかと感じた。

 私が蒼佑と一緒にいたせいで邪魔してしまったかもしれない。


 だから私がなんとかしなければいけないのではないかと思ってしまった。


 話してみると上品で謙虚で、すごくいい子そうだ。


 蒼佑のことが今でも好きなら、私のような同級生の女子が妹になって一緒に暮らしているなんて嫌に違いない。それなのに嫌な顔をすることもなく親切に接してくれる。


(中身も蒼佑にはもったいないような人じゃないの)


 だから妃奈子ちゃんを安心させてあげなければと家に呼ぶことにした。


(家での私と蒼佑の様子を見れば、心配するような関係ではないと安心するはずだわ)


 私は少し強引に約束を取り付けた。それなのに……。



「え⁉ 明日、蒼佑出掛けるの?」


 信じられないことに蒼佑は、せっかく妃奈子ちゃんが遊びに来るのに出掛けると言った。


 私が「なんで?」と聞いても出掛けるの一点張りだ。


 妃奈子ちゃんが蒼佑を好きだということを、まるで気付いていないらしい。


「蒼佑って……信じられないほど鈍感な人なのね」


 思わず言ってしまった。


 いや、百歩譲って鈍感だったとしても、妃奈子ちゃんみたいに可愛い子が家に遊びに来るなら、普通の男子は多少の用事があっても断って家にいるんじゃないの?


 蒼佑って本当に変わってる。


 結局どれほど引き留めても、蒼佑は逃げるように出掛けてしまった。



 訪ねてきた妃奈子ちゃんは、蒼佑の留守を聞くと「そうだと思った」と答えた。


「ずっと避けられていると思っていたの。私に会いたくなかったんだわ」


 しょんぼりと話す妃奈子ちゃんを見ていると、申し訳なくなる。


「そんなことないわ。甘い物が嫌いだったみたいなの。気にしないでね」


 私が言うと、妃奈子ちゃんは困ったように微笑んだ。


「私が南くんを好きなこと、気が付いているんでしょ? ありがとうね、羅奈ちゃん」


「……」


 賢い妃奈子ちゃんは、私の見え見えの作戦に気付いていたらしい。


「もう諦めなきゃって思っているんだけど……。気付けば目で追ってしまっているの。はっきり振られれば次に進めるのかと思ったんだけど、それも迷惑なんだろうな」


「迷惑だなんて! 妃奈子ちゃんみたいな可愛い子に好きって言われて嫌な男子なんていないわ」


 なぐさめでなく本当にそう思う。


 妃奈子ちゃんは「ありがとう」と淋しげに微笑んで続けた。


「羅奈ちゃんはいいな。私も南くんの妹になりたかったな」


「え? どうして? 妹なんて恋愛対象外でしょ?」


 私は驚いて聞き返した。


「でもほら。家族だから。一生縁は切れないじゃない」


「そ、それはそうかもしれないけど……」


「私なんてクラスが変わればもう目も合わさない他人になっちゃうんだもの」


「妃奈子ちゃん……」


 妃奈子ちゃんは本当に蒼佑を好きだったのだと思った。


「私ね……、お母さんを亡くす前の南くんに戻したかった。私なら……私だけが南くんを元通りにできるんじゃないかって思っていたの。いつか立ち直るだろう南くんの幻を追いかけて、執着してしまったのかもしれないわ。でも私じゃダメだったみたいね」


 妃奈子ちゃんは少し吹っ切れたように微笑んだ。


 私は蒼佑に腹を立てていた。


(こんなに思ってくれる妃奈子ちゃんを避けるなんて……。なに考えてるのよ)


 しかも私はその日、蒼佑からもっと呆れた話を聞くことになった。


 なんと一年生の女の子と付き合うことになったらしい。


 私はそれを聞いて無性に腹が立っていた。


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