第30話 付き合ってくれませんか?


「ねえ! 本当に出掛けちゃうの? 妃奈子ちゃんが家に来るんだよ? どこに行くの? 絶対断れない約束なの?」


 僕は翌日の九時半に予定通り図書館へ行くためにスマホと小銭だけを持って玄関で靴を履いていた。そんな僕に羅奈は朝からずっと付きまとって尋ねる。


「僕は別に白藤さんと約束してないだろ? どこに行こうと僕の勝手だろ?」


 本当は一人で図書館へ行くだけだから、出掛けなければいけない理由などない。

 だがまあ、それは言うと面倒なので黙っておくことにした。


「じゃあさ、今日の夕飯作ってあげる! だから家に居て!」


 なんだ、その交換条件は。

 夕飯を作ると言えば、何でも言うことを聞くと思うなよ。

 だいたいそこまでして僕と白藤さんを会わせてどうするつもりなんだ。

 羅奈の『二人をくっつけよう作戦』の見え見え演出が想像できる。

 絶対嫌だ。


「今晩は特製グラタンだよ。すっごい美味しいよ!」


 うぐ……。なんか美味そうだ。

 少しばかり心が揺れた。

 だが僕は、流されそうな心にかつを入れて断った。


「悪いけど約束してるから」


 本当は全然約束なんかないが、そうでも言わないと納得してくれそうになかった。


「誰と? 妃奈子ちゃんより大事な人?」


 なんだ、その質問は。

 しかも羅奈は引き留めようと僕の左ひじをがっしり掴んでいる。

 もうこの際、なんでもいい。

 早く出ないと、白藤さんとここで出くわしてしまう。


「そうだよ。だからいい加減出掛けさせてくれ」


 僕は左ひじを掴む羅奈の両手をソフトに引きはがして、ようやく家を出た。

 羅奈はふくれっ面のまま、玄関に立ち尽くしていた。



 図書館は駅の近くにある。

 ゆったりとしたソファで本を読むスペースもあり、一階には昔ながらの喫茶店もあって家に居場所がない者にとっては、ありがたい施設だ。


 僕は午前中いっぱい気になっていた本を読み漁り、喫茶店でカレーランチを食べたあとロビーにあるベンチで休憩していた。


 今頃羅奈と白藤さんは楽しげにケーキを作っているだろう。


 ケーキ作りに必要な器具はほとんど揃っていたらしく、羅奈は死んだ母さんに感謝していた。

 使ってくれる人がいて良かったな、と僕は思った。


「ケーキか……」


 僕は母さんが死んでから一度も口にしていない。

 元々甘い物が好きではないということもあるが、もう死ぬまで食べるつもりもなかった。


 特にお誕生日ケーキと言われる丸いケーキは食べたくない。

 いや、食べる資格がない。


 なぜなら僕は……。


 一番思い出したくないことがよみがえってきて、僕はこらえきれずに両手で顔を覆った。


「あの……南さん……ですよね?」


 突然声をかけられて、僕は覆った両手から顔を上げた。


 僕が座るベンチの前に、女の子が一人立っていた。


「?」


 誰だっけ?

 僕はどこかで見た気がする女の子の顔をまじまじと見つめた。

 長い茶色がかった髪を二つお下げにした大人しそうな子だ。

 少し頬を染めてもじもじとしている。


「あの……昨日、体育祭で一緒に写真を撮ってもらった一人です」

「ああ……」


 そういえば、あの集団の中にいたような気がする。


「昨日はありがとうございました」

「いや、別に……」


 そこまで礼を言われるほどのことをしたわけではない。


「もし良かったら……」


「ああ、別にデータは送ってもらわなくていいよ」


 僕は先に答えた。

 もう画像の転送は羅奈でこりごりだ。

 どうせ僕の同じ顔がいくつも送られてくるだけだ。


 だが、女の子は困ったように首を振った。


「いえ。もし良かったら、私と付き合ってくれませんか?」

「え?」


 聞き間違いかと思ったので聞き返した。


「私と付き合ってください」


 女の子は間違いなくそう言っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る