第46話 有銘の退院

有銘あるめさん、退院おめでとうございます!」

「無事戻って来れてよかったわ、本当に、よかった……ぐすっ……」

「……田所たどころさん、最近、涙腺るいせんゆるくなりましたよね」

「あら? それは遠回しに老けたって言いたいのかしら?」

「い、いえいえ、そんなつもりは全くありません! なので、手に持った包丁を振りかぶらないでください!」

 彼方かなたが田所の手を抑え包丁を取ろうとするが、田所がそれを許さない。本気で殺しにきている時の目と力だった。

「あんたは常に我関われかんせずといったスタンスなのかと思っていたが、そんな分かりやすく地雷を踏むキャラだったのか……ふむふむ、なるほどな……」

「冷静に分析してないで、助けてください!」

 笠倉かさくらがソファーに座りながら彼方の行動を分析する。

 そんな状況を有銘は苦笑にがわらいを浮かべながら見ていた。

 長い入院生活が終わり、有銘が晴れて退院することが出来た今日、彼方と田所、笠倉の三人は有銘のために盛大なパーティーを開いていた。

 彼方の方から獅堂しどうにも声をかけたのだが、公務こうむがあるから出席できない、との返事を貰っており、参加者はこの四人となった。

 有銘が改めて部屋の中をぐるりと見渡す。

 三〇畳はあるリビングに四メートル近くあり開放感のある天井、白く綺麗きれいに貼られた壁紙、汚れ一つないフローリング、お洒落しゃれな照明にテーブルと椅子、大画面のテレビ、光沢こうたくのある革が張られたソファー。

 自分の家に帰ってきたのだが、感覚は富豪の友人のパーティーに招待された平民のそれであった。

 獅堂から家の住所や外装に内装、その他諸々のことも事細かに教えてはもらっていたが、実際に見て感じると覚えているような覚えていないような、曖昧な感覚に襲われある種の虚無きょむを覚える。

――ああ、やっぱり、私は忘れているんだな。

 そう感じると同時に仲間と呼ばれる人達の中にいて、幾何いくばくかの孤独を感じずにはいられなかった。

「ほら、あーめ、何突っ立てるのよ。早くこっち座って」

 包丁を置き、ひとまず落ち着いた田所がドアの前で立ち尽くす有銘を椅子に促す。

「あ、ああ、うん」

 有銘が座ったのを確認して、台所で洗い物をしていた笠倉と彼方も椅子に座る。

 有銘がほうけている間にテーブルの上には豪華な料理と何本かのビール瓶が所狭ところせましと並べられていた。

「――ええ、こほん。それでは、これより小波有銘さざなみあるめ退院祝いを開催させていただきたいと思います」

 田所が玩具おもちゃのマイクを片手に宣言する。

「まずは開催委員長である坂田彼方さかたかなた君より一言お願いします。どうぞ」

 そして、マイクを隣に座る彼方に渡す。

 聞いてないですよ、と戸惑とまどう彼方に、そりゃそうでしょ、今言ったんだから、ほら早く、と悪戯いたずらな笑みを浮かべる田所。

 ここ何日、何週間で彼方と田所の距離は身構みがまえる必要のない距離まで近くなっていた。

只今ただいまご紹介に預かりました坂田彼方と申します。えー、小波有銘さんとは」

 立ち上がった彼方が顔を赤くし何度か眼鏡の位置を直しながら話す。

 それを見ながら笠倉が有銘に耳打ちする。

「有銘さん」

「ん? 何?」

「この茶番いつまで続けるんですかね?」

 普通、四人中二人が一人のスピーチを聞いていなければ目立つものだが、彼方は話すのに一杯一杯になっており、田所はそれを楽しそうに動画撮影している。

「んー、どうだろうね。しーちゃんが満足するまでなんじゃない?」

「もう、有銘さんが主役なのに何をしてるんですかね、あの人達は」

 笠倉が溜息を吐きながら割と本気で不満を漏らす。

「あははは、そうだね」

 乾いた笑い声を上げながら苦笑いを浮かべる。

「――というわけで、有銘さん、おめでとうございます」

 彼方がそう言って椅子に座る。そして、ひたいにじむ汗を手の甲でぬぐい一つ息を吐く。

 有銘や田所、笠倉と関わってきて少しずつ変わってきたとはいえ、彼方の本質は人と話すのが苦手で臆病なままであった。

「続きまして、後方支援部隊長の笠倉由美さん、お願いします」

「誰が後方支援部隊だ、誰が! 私は」

「あー、そういうのはいいんで、お願いしますー」

「……あんた、なんか、私に冷たくない?」

「そんなこと、ないですよー」

 田所が笠倉と目を合わせることなく言いマイクを渡す。

 マイクを受け取った笠倉がひとつ咳払いをして口を開く。

「えー、改めまして、有銘さん、退院おめでとうございます。この日、この時にいれて本当に良かったです。それで」

「はい。ありがとうございます。それでは」

 笠倉の言葉を強引に断ち切り、田所がグラスに手を伸ばす。

「おい! やっぱり、冷たいじゃないか!」

「いや、時間が押してるんで」

「それはお前達がつまらない茶番をしていたからだろ!」

「…………それじゃあ、乾杯!」

 無下むげにされる笠倉を不憫ふびんに思いながらも勢いに押される形で彼方と有銘は手に持ったグラスを差し出し、カツンと乾いた音を鳴らす。

「……言っておくけどな、この中で私が一番年上なんだぞ!」

 涙目になり頬をふくらませる笠倉。

 目を細めながら冷たい視線を送る田所。

 二人の険悪を止めようとあたふたとする彼方。

 苦笑いを浮かべながら見る有銘。

 現場は間違いなくカオスだった。

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