第2章

第5話 有銘の幼い思い出

 小波有銘さざなみあるめはある人を探していた。

 それは幼い頃に入院していた病院で一度だけ見かけただけの少年だった。

 外見は平凡へいぼんで何か目を引くようなことがあったわけでもない。

 しかし、その少年が有銘は気になっていた。

 中庭の大きな木の下で本を読む少年は顔の半分くらいは占めるんじゃないか、と思うほど大きな黒縁眼鏡をかけていた。

「きみ、ここで何してるの?」

 今も昔も好奇心旺盛こうきしんおうせいでこうしたいと思ったことを考えるよりも早く行動に移す有銘は、その日も例に漏れることなく、話したこともない少年に話しかけていた。

「…………」

 声をかけられた少年は顔を上げることはおろか、有銘の方を見ることもなくページをめくる。

「ねえ、ねえってば、何してるの?」

「…………本、読んでる」

 少年がそう言い、ちらりと有銘を見る。

 少年の瞳は紅く輝いていたが、同時にひどくくすんでいた。

 その紅玉こうぎょくのような瞳は本来あるはずの輝きを放ってはいなかった。

 幼くしてこの世の全てを諦めてしまったかのような瞳に悲しさを覚える。

 しかし、有銘はその瞳にある種のシンパシーを感じていた。

 そして、不思議と喜びを感じてもいた。

――この少年は、私と似ている。誰も信じることなく、ただただ息をして食事をして寝て起きている。考えることを放棄し無気力な生活を送っている。……この子だったら、私と友達になれるかもしれない。

 刹那せつな

 一秒と満たない時間で有銘はそう考え、そんな少年をもっと知りたいと思った。

「きみ、入院してるの?」

「…………」

「きみ、どこか体悪いの?」

「…………」

「ねえ、ねえってば!」

「…………悪くない。それが、悪い」

 当時の有銘には少年の言うことが分からなかった。

「……それは、どういう意味?」

 少年がそれ以降口を開くことはなかった。

 

 有銘が大学に着き、目的の教室を目指す。

 何の変装もしていないのだから注目されるのは仕方のないことだが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 ――……えっと……あっ、いた!

 教室の奥に座る男性は年を重ね大人びてはいたが、間違いなくあの時病院であった少年だった。

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