第6話 有銘の勧誘

「お疲れ様でした。お先に失礼します」

「はーい。お疲れー」

 彼方かなたがいつものようにバイトを終え、帰路きろにつく。

 彼方のバイト先が駅前。住むところは山間さんかんの小さなアパート。電車も通らないそこに行くにはバスが一番早い。そのため、多くの人はバスを使うのだが、彼方はその距離をいつも歩いている。大学の授業を受け、かつ慣れているとはいえ四時間ほどのバイトをこなした後である。疲れていないと言えば嘘になるが、それでも絶対にバスを使わない。

 駅前の喧騒けんそうが少しずつ静かになっていき、それとともに濃くなってくる自然の空気が彼方の唯一の癒しだったのだ。それを感じていると一時でも人間社会から隔絶かくぜつされたところに気持ちを置くことが出来る。

 不安ふあん恐怖きょうふ尊敬そんけい憎悪ぞうお感謝かんしゃ怨恨えんこん軽蔑けいべつ苦悩くのう嫉妬しっと憧憬どうけい期待きたい……。

 快感情も不快感情もその全てが彼方の日常を乱す異物でしかなかった。だからこそ、そんな感情から離れた空間や時間を感じることが出来ることは、彼方にとって何よりも大切なことであった。

 コンビニや店が少なくなるにつれて外灯がいとうの数もまばらになってくる。

 闇がより濃くなってくる。

 慣れていない頃は油断するとそれに飲み込まれてしまいそうになったが、今はそんなことはない。目をつむっていても匂いと音だけで歩くことだって出来る。そんな深く暗い闇に心地良ささえ感じているくらいだった。それなのだが……。

「おーい、坂田君。いい加減、私達と来てくれよー」

 そんな彼方の帰路に新たな異物が混入しておよそ一ヶ月が経過しようとしていた。

「…………あなたもほんと諦めの悪い人ですね」

「ほんと⁉ ありがとう!」

「いや、褒めてませんよ」

 ここ一ヶ月、ほぼほぼ毎日、彼方の横には小波有銘さざなみあるめがいた。

 外にいる時はほとんど全ての時間、まるでコバンザメかクマノミにでもなったかのようにぴったりくっついていた。だからといってそれによる利益を得ているわけではない、というよりむしろ彼方にとっては害でしかなかった。

 そこまで一緒にいて全く話をしないわけではないが、主に有銘が話すのを彼方が聞くという日常であった。

 あそこのパンケーキが美味しい、とかいうどうでもいい内容から、私はね、この力で私みたいに辛い思いをする人を減らしたいんだ、という話まで。

 そこで彼方は感じたことがある。

――この少女もこの力を持ちたくて持ったわけではないはずだ。こんな体質を持ってしまったのに……なのに、なぜどこまでも真っ直ぐで、純粋でいられるんだ?

「……ねえねえ、あれ、あるちゃんに似てない?」

「それ、私も思った。でも、確か、今はフランスにいるはずだよ。ほら、これ」

 そう言って女性がもう一人の女性にスマホの画面を見せる。

「あっ、ほんとだ。フランスから生中継してる。なんだ、似てると思ったのに、人違いか……」

 通りすがりの人がまるで彼方達に聞こえるように言っているのではないか、と思ってしまうほどの声量で話す。

 この一ヶ月、この調子で知らない人から注目されてしまう日々である。

 誰に何を言われるでもなく、ひっそりと毎日を過ごすことを信条しんじょうとしている彼方にとってこれ以上の苦痛はなかった。

「あなた、フランスに行ってることになってますけど」

「ああ、それね。今は私の代わりが仕事してるからな」

――――ズゾゾゾゾゾ…………。

 有銘が手に持っている飲み物だか食べ物なんだか判別しづらい物をストローで啜る。

「……代わり、ですか?」

「そう。まあ、この業界ではよくある影武者かげむしゃみたいなものよ」

「……よくある? 影武者?」

「そうだ。君も一人どうだ? 今なら友人紹介割引で安くしてもらえると思うぞ」

「いや、どこぞのフィットネスジムか! 第一、そんな危険な物がぽんぽん生産出来たら、この世界、何も信用できなくなるわ!」

「おっ、不意の切れのあるツッコミ、ナイス!」

 有銘が親指を上げる。

 彼方は思わずツッコんでしまった自分に少し恥ずかしく思いながら、外灯がなくなり真っ暗になった道を歩く。

 その横を有銘が歩く。

――――ザザザッ!

 木陰こかげで何かが動く音がした。

 有銘が一瞬そちらに視線を送るが、歩みを止めはしない。

 彼方にいたっては視線を送ることすらしない。

 もしこれが彼氏彼女の関係であればロマンティックな場面に発展しそうな状況だが、こと彼方と有銘に関してそれはない。

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