第7話 有銘の勧誘~part2~

 それから二〇分ほどただただ歩き続け、彼方かなたのアパートに着いた。

 彼方がポケットから鍵を出し差し込む。

「…………何度も言いますけど」

「ん? 何だ? ついに来てくれる気になったか?」

 有銘あるめ碧眼へきがんを輝かせ彼方を見る。

 そんな有銘をあきれたように見て、彼方は一度深い溜息ためいきを吐く。

「僕があなたのところに行くことは今後ありません。なので、こんな僕なんかに時間を使わないで、もっと有意義なことに時間を使った方があなたのためになりますよ」

 そう言い切り彼方はドアの取っ手に手をかける。

 一ヶ月付きまとわれて彼方がその都度、言い続けた言葉だった。

「えー、そうか? 私はそう思わないけどな」

「それは、なぜですか?」

 彼方が手を止めく。

 それに対して有銘は事も無げに答える。


「だって、きみ、何も変わらない普通の毎日が好きみたいなことをいつも言っているけど……それ、


 その言葉に彼方の心が、どくん、と動く。

 この前も似たようなことを言われた。

 まるで見透みすかしているかのような言葉。

 それが一度ならず二度、三度と彼方の心を動かす。

 どくん、どくん、どくん…………。

 数を重ねる度、それを伝った波はより大きくより高くなって全身をざわめかせていた。

 ドアの取っ手に置いた右手を一度離し、有銘の方を向く。

「…………いえ、本心ですよ」

「いーや、絶対に違うな」

 自信満々の表情を浮かべ有銘が言い切る。

「…………あなたに僕の何が分かるんですか?」

 常に感情の波を抑え揺らがなかった彼方の心がわずかにねた瞬間だった。

「この際だから言っておきますが……この体質であることで僕が迫害されるくらいであればまだいいんです。僕が耐えれば済みますから。でも……」

 間を置いて言葉をぐ。

「本当に辛いのは僕に関わった人までもが悲惨ひさんな目にってしまうことです」

 いつになく饒舌じょうぜつに話す彼方の目は知らないうちに紅く染まっていた。

 心の内に秘めた怒りや悲しみを如実に表現するかのように鮮やかな紅玉こうぎょくだった。

「あなたに分かりますか? 僕のせいで父が失踪しっそうし、母が自殺しなくてはいけなかったその気持ちが! 何の罪もない人たちが覚えのないことで詰られ被害を受ける様が! ……僕にはそれが何よりも耐えられないんです! だから、僕は今までもこれからも誰にも関わらず、何事にも関心を持たないようにしてる……いや、しなくてはいけないんです!」

 彼方が溜まった感情のかたまりを有銘にぶつける。

 彼自身、どうして有銘にこんな事を言っているのか、分からなかったが、言わずにはいられなかった。

 それを有銘はただただ静かに見つめ、そして、顔をうつむかせらす。

「……その気持ち、分かるぞ」

「同情やなぐさめはやめて下さい!」

 彼方の口調がきつくなる。彼方にとって絶対に分かるはずもないのに分かった気になり、やたら心に近寄ってくる人ほど嫌悪感を抱くものはなかった。

「同じ経験をしたわけでもないのに、分かるわけがないんです! 僕の苦しみを分かる人なんて……この世にはいないんですよ!」

 彼方が眼鏡の奥の紅玉を細め有銘に言う。

 暗闇で光るそれはどこか幻想的で、この世のものとは思えないほど綺麗だった。

 無遠慮ぶえんりょに触ったら壊れてしまうほどもろはかない。

 それが悲しみに染まる彼方の紅玉をよりとうとい物にしていた。

「いーや、分かるぞ」

 有銘が遠くを見るような目でつぶやく。

「だって、昔の私もそうだったから……今の君と同じだったから……」

 そう言う有銘の体はさらに小さくなっていた。

 ただでさえ小さい体をさらにちぢこませる少女に悲しそうとかさびしそうとかいう感情はなく、そこにはどこか別次元の〝無〟が介在していた。

 自らをわざと遠いところに置き、何も感じないようにしている。

 その表情に彼方は、はっ、とする。

 ころころと表情が変わる人は有銘以外にも知っている。

――そういう人を外から見ることは飽きないし、嫌いじゃない。しかし、習性だろうか……。

 昔から彼方はそんな人の後ろの影を無意識に見てしまう。

――楽しい時に笑い、悲しい時に泣き、怒りたい時に怒る。どこまでも真っ直ぐで純粋な人。悪い人ではないのだろう。しかし……。

 そう思い彼方は考える。

――この少女の果てしない純粋さは同時に途方もなく深く暗い闇を表している。少女は闇を抱えながら、それでも気丈きじょうに振る舞うためきらびやかに見せているんだ。

 ひねくれた考えかもしれないが、あながち間違っていないことを彼方は知っていた。

 表があれば裏があるように。

 正があれば負があるように。

 まばゆいほどの光があればそれをおおい隠すほどの影もあるのだ。

 心の中の奥深くにしまい込んではいたが、それと似たような感情が彼方の中にあることを彼自身が一番自覚していた。

 一ヶ月意図せずして一緒に過ごし、今までそれに気がつかない振りをしていたが、彼方はもうとっくに気づいていた。

 

 ――多少の違いはあるかもしれないが、小波有銘は僕と同じような境遇を生き、同じような感情を抱き、そして僕と違ってその現状を打破すべく前を向いている。


 胸に刺さっていた棘が取れた瞬間だった。

 顔を俯かせ分かりやすく沈む有銘に彼方は深い溜息を吐き、肩をすくめる。

「…………はあー、分かりました。とりあえず、話を聞かせてください。協力するかどうかはその後で決めます」

「……うん。ありがとう」

 有銘が苦笑いを浮かべる。

 結局根負けした形になってしまったが、それでも不思議と彼方は後悔していなかった。

――ごろごろごろごろごろ…………。

 初めて有銘に会い、殴られた時に鳴った音が再度鳴る。

 音を立てて変わりゆく日常に不安を覚えないわけではなかったが、それ以上に今まで避けていた自分の体質に、そして同じような体質を持つ少女、小波有銘に少しずつ興味を持ち始めていたのだ。

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