第8話 有銘の憎しみ

 彼方かなたが部屋に女性をまねいたのは初めてだった。……というより、人を招いたこと自体が初めてだった。

――人を部屋に招く行為は業務的な確認作業と何ら変わらない。緊張など何もしていない。大丈夫だ、大丈夫だ……僕は、大丈夫だ。

 そのはずだったのだが、彼方は有銘あるめが部屋の中に入ることになぜか若干の躊躇ためらいを感じていた。

 この感情を今この場で言い表すことは出来なかったが、自分の中に何かしらの変化が起きていることは確かだった。

 彼方が電気を点ける。

 そこに映し出されたのはおよそここで生活しているのか疑わしくなるほど簡素かんそな部屋であった。

 部屋に入って右側に気持ちばかりの小さなキッチン兼洗面所、真正面に備え付けられた窓、左側に綺麗にたたまれた布団と折り畳み式の丸テーブルがある。

 それだけであった。

 風呂とトイレは共有で一度外に出ないとない。箪笥やテレビ、本棚、服といったものは一切なく、冷蔵庫や洗濯機は共有の物が外にある。

「…………へ、へえー、意外と片付いてるんだな」

 有銘が部屋の中を見回し言う。

「不要な物がないだけですよ」

 彼方が靴を脱ぎ部屋の中に入る。

 それにならって有銘も恐る恐る部屋に入る。

――――ギシッ……ギシッ……。

 畳を踏むたびにきしむ音が鳴る。

――――ヒュー……ヒュー……。

 どこからか入ってくる隙間風すきまかぜが寒い。部屋の中だというのに外と同じくらいの温度では、と思ってしまうほど冷えている。

 彼方が慣れた手つきでテーブルを真ん中に出し、布団の上に置かれた座布団を敷く。

 こちら、どうぞ、と彼方がうながし、ありがとう、と有銘が座布団の上に座る。

「麦茶くらいしかありませんが、飲みますか?」

「ああ、大丈夫だ。お構いなく」

 彼方が有銘の正面、窓の前の位置に座る。

 電気が点いているとはいえ裸電球ひとつで照らされた部屋の中は薄暗く、そして時折ときおり揺れる裸電球がどこか不気味な空間を演出していた。

 しばしの沈黙の後、有銘が口を開く。

「まずは、話を聞いてくれて、ありがとう」

 有銘が彼方の瞳を見据みすえ言う。

「いえ……僕は……」

 そう言って彼方が言いよどむ。

 人に感謝されるのにすら慣れていないのに、それがこんな可愛らしい少女となると尚更なおさら動揺を隠せなかった。

「とりあえず最初にこの体質のことを、教えてくれませんか?」

「あっ、そうだったな」

 まあ、かく言う私もそこまで詳しいことは分からないんだけどな、と頬をきながら有銘は話し出す。

「まずは確認だが、君がこの体質を自覚したのは確か四歳の時だったよな?」

「……何で知ってるんですか?」

「ジャングルジムから落ちても無事だったから分かった? 違うか?」

「…………何で知ってるんですか⁉」

「言っただろう。私の他にもう一人似たような体質の子がいるって。その子はな、パソコンとかの電子機器得意だし、それにちょっとした未来予知ができる子もいるからな。そのくらいの情報だったらすぐに入ってくるんだ」

 ふふん、と有銘が寂しい胸を張る。

――あなたが胸を張る事ではないのでは。

 一瞬そう思いツッコむことも考えたが、それよりも気になることが彼方の脳裏のうりに浮かんだ。

「……ん? ということは、まさか、ここも……」

 彼方が部屋をぐるりと見回すが、ぱっと見てこの簡素な部屋に監視カメラや盗聴器の類のものは見つからない。コンセントに知らないアダプタが取り付けられていることも、その他に部屋が変わっていることもなかった。

 ほっ、と安堵あんどしたのもつかの間、有銘の様子を見て彼方は確信する。

「…………い、い、いやいや、いやいやいや。そ、そんなこと、あるわけ、な、ないじゃないか。はは、ははは」

 誰がどう見ても明らかな動揺が有銘にはあった。

「…………はあー」

 その様子を見て彼方が深い溜息ためいきを吐く。

「あなたがどこまでも真っ直ぐなのは分かりましたが……ひとつ忠告です」

 彼方は有銘を見据え、力強く言う。

「夜道には気を付けることですね! 特に外灯が少なく人通りがあまりない場所では背後に気を付けてください! いいですね⁉」

「……う、うん? 分かった。ありがとう?」

 有銘が小首こくびかしげながら言う。

――この人には何を言っても無駄かもしれない。

 彼方がこほんと咳払せきばらいをして、話の続きをうながす。

「話が脱線しました。すみません。続きをどうぞ」

 有銘が、ああ、と言葉をらし態勢を整える。

「この体質を持つ人が私達だけじゃない、っていうのは前に言ったと思うんだが、問題なのはそれを悪用しようとする集団がいることなんだ」

 突如、有銘の人形みたいな顔に影が落ちる。

 一瞬で周囲の空気が重くなるのが、肌で感じ取れた。

「そいつらは、最初〝あなたの味方ですよ、人畜無害じんちくむがいですよ〟みたいな顔して近づいてくる。でも、本当はそれっぽい言葉でたくみに誘導して、無理やり犯罪に加担かたんさせる。やった後に自分が犯罪に関わってしまったことに気づくんだけど、気づいた時にはもう遅くて、今度はそれをネタに脅迫きょうはくされる。〝ばらされたくなければ協力しろ〟ってね。それで抜け出せなくなる。奴らは手段を選ばない。自分たちの利益になることであればどんなことだってする。そんな弱った人の心に付け込んで食い物にするような奴らを、私は許せないんだ……それは、もう……ぼこぼこにして、ばらばらにして……殺したくなるくらいに……」

 饒舌じょうぜつに話しながら眉間みけんしわを寄せ、こぶしを握りこむ。

 今にも血が噴き出しそうなほど血管が盛り上がる。

 綺麗な碧眼へきがんは黒く濁り、深海のように静かで冷たい。

 有銘の顔は明らかに怒りに染まっていた。

 彼方はそんな有銘に若干の恐怖を感じた。

 純粋で正しいからこそ、悪いことを糾弾きゅうだんしようとする力も途方とほうもなく大きい。

――この人はどこまでも純粋で嘘をつけない。それ自体は決して悪いことではない。……しかし、裏を返せば、それはいつでも本気ということである。それがいくらゆがんでいて行き過ぎていようとも、この人は真っ直ぐに突き進んでしまうのだろう。

 それが有銘のあやうさであった。

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