第4話 彼方の動揺

 有銘あるめは彼方の質問に対し、ああ、そんなこと、とつぶやき続ける。

「どうしてって、そりゃ、私も似たような体質だからだよ」

 その言葉が耳に入ると同時に彼方かなた瞳孔どうこうがかっと開く。

「それともう一人、いや、二人か……私達と同じような体質の子達がいて、その子達に調べてもらったんだ。なんでかって? それはね、まだ分かっているのは私と君を入れてその四人だけだけど、他にそういう人がいればその人に危険が及ばないよう保護すること。そして、どうしてそんな体質の人が存在してしまうのか、その体質を治すにはどうしたらいいのか、を突き止めていくためだ。どうだ? すごいだろう。そうだろう。もっと褒めてもらってもいいんだぞ」

 有銘が小振りな胸を張り、ふん、と鼻を鳴らす。

 容姿に似合わぬ尊大そんだいな態度で勝手に話を進めていく。

 雷を落とされたかのような衝撃が彼方の頭から手足の先まで駆け抜ける。

 血液が異常なまでの速さで流れ、体全体が熱くなる。

 処理しきれないほどの事実が彼方の頭を巡る。

――勝手に僕みたいな人は僕だけだと思ってたけど、他に僕みたいな体質を持っている人がいて、その人が今僕の目の前にいて、そういう人がまだもう一人いて、それで、それでそれで…………。

 考えれば考えるほど回転数は上がるが、それを支えきれない基盤が悲鳴を上げる。

 その熱で顔は紅潮こうちょうし、眼鏡が曇る。

「おー、いいね、いいね。嬉しくなるほど綺麗にショートしてる」

 がっはっはっ、と有銘の乾いた笑い声が食堂に木霊こだまする。

「…………悪趣味ですね」

「うん、うん。確かに、違いない」

 そう言って再度有銘が笑う。

 無邪気むじゃきに笑う有銘からは一切の打算を感じない。

――心の底から純粋なのか、はたまた底なしの馬鹿なのか。

 彼方が今まで会った人は皆、大なり小なり自分の利益のみを考えている人であった。利益と実害を天秤にかける人。そんな人ばかりであった。

 それ故、この種の人間に会ったことのない彼方にとって、有銘は間違いなく混乱の種であり、日常を容赦なく破壊する原因そのものだった。

 ひとしきり笑い終わり、有銘が一息つく。

 熟考を重ねた彼方が眼鏡を拭きながら言う。

「――言っていることは分かりました。でも、にわかには信じられません」

「えー、当の本人がそれを言う?」

「当の本人だから、言うんです」

 こんなおかしな体質であると分かった瞬間から、人は彼方のことを人として見てはくれなかった。

 

 それが彼方の後ろにぴったりと付いていた。

 常に白い目で見られ、陰口を叩かれ、後ろ指を差される。

 彼方が何かをしたということは一切ないのに、人という種の生き物は自分と違うものを受け入れるのではなく、排除しようとする。

 それを己の身で体験し嫌というほど実感してきた彼方が手放しに人を信じることはなかった。

 それが誰であろうと人という種である以上、その対象になることはなかった。

 彼方の反応に有銘が頬をふくらませる。

「むー……じゃあ、どうすれば信じてくれるんだ?」

「そうですね……とりあえず、あなたが僕と似たような体質であることを証明してください。話はそれからです」

「えー、さっき見せただろう」

「僕の目で確認していないのでノーカウントです」

「むー、分かった。じゃあ、見せれば今度こそ信じてくれるんだな?」

「そうですね……とりあえず、一旦信じます」

 有銘が小さく息を吐く。

「……きみ、ほんと疑り深いな。でも、それ、疲れないか?」

「すみません。そういう性分ですから」

 それを聞き有銘が一瞬困ったように眉を下げるが、一度目を閉じ覚悟を決めたように続ける。 

「うん、分かった。もう一回見せてあげるから、よく見ててな」

 そう言って有銘は周りを見渡し、転がっていたスチール缶を拾う。

 そして、それをまるでカスタネットでも鳴らすかのように人差し指、中指、親指で持った途端、一瞬で紙みたいに薄くなった。

 さらにそれをパン生地でもこねるかのように両手で転がすと、それはパチンコ玉くらいの大きさの球になった。

 少女の顔とパチンコ玉を交互に見て驚きをあらわにする。

 唖然あぜんとして声が出せない彼方を尻目しりめに有銘は口を開く。

「私の力は常人を超える怪力なんだ」

 こんな綺麗で小柄な少女がたった三本の指でスチール缶を潰し、そして、パチンコ玉くらいの大きさにしてしまった。

 見た目とのギャップに驚きを隠せないが、しかし。

 ――これは……もう、信じるしかない。この少女は確かに僕と同じような体質を持つ人だ。

「…………信じましょう」

「ほんと⁉ ありがとう!」

 有銘の顔に花が咲いたかのようにぱっと笑顔が広がる。

「じゃあ、私達に力を貸してくれる? 私達には君の力が必要なんだ!」

「それは別です」

 一も二もなく即答する。

 彼方は有銘が自身と同じような境遇にあることを理解した。

 しかし、それでも有銘を全面的に協力することは出来なかった。

「えー、どうしてだ?」

「あなたが僕と同じような体質を持つことは確かに理解しました。……しかし、それと僕があなた達のやろうとしていることに手を貸すことは違います」

 一度唾液を飲み込み続ける。

「僕はこの体質であることを受け入れました。化け物や怪物と言われ罵詈雑言ばりぞうごんを投げられようと、僕が我慢して一日一日を無難に生きられれば、それだけで満足なんです。良くも悪くもそれを壊そうとするような人達を手伝うことは出来ません。それが理由です」

 有銘の目を見据みすえ言う。

 彼方はその時改めて、有銘の碧眼へきがんを直視した。

 ずっと見ていると吸い込まれそうなほど澄んでいて輝いている。

 嘘やいつわりを駆使し、自分の立場を持ち上げようと必死になっている人特有の濁りや曇りは一切なかった。

――ああ、この人の瞳は僕と同じ境遇に置かれてなお希望を捨ててない人の瞳だ。本当に彼女は強い人間なんだな。

 そう思いながら彼方が視線を下げ、有銘から机の上にあるパチンコ玉に移す。

――少しの怪我であれば一瞬で完治してしまう僕のこの体はちるのだろうか……いや、試したことは当然ないが、僕はもう知っている。感覚で分かる。この体が朽ちることはない。死ぬことのない不死身の体。それは、もう……化け物そのものじゃないか。

 そんな恐怖が彼方の中に巣食すくうことは事実だった。

 彼方はこの体質の詳細は知らない。

 産まれた時からこういう体質だったのか、それとも産まれてから何かのきっかけでこういう体質になったのか、そして、この体質を治すことは出来るのか……。

 彼方は何も知らない。

 否、知る努力をせず、諦めていたのだ。

――この少女がそれを前向きに知ろうとする姿勢、追及しようとする気持ちは素晴らしいことだと素直に思う。しかし、そんなことはどうでもいい……僕はこのままでいいんだ。

 彼方はそう思っていた。

――中途半端にあらがって更なる絶望を感じるのであれば、それを感じず分からないようにひっそりと、誰も知らないところで永遠に生きていけばいい。死ぬことが出来ない人生を永遠と……。


「そうなんだね。本当にそう思ってれば君の勝手だから、別にいいんだけど、でも……それ、?」


 ふと投げられた言葉が彼方の心の壁をいとも簡単に突き破る。

 幾重いくえにも重ねていた防壁ぼうへきをいとも簡単に破り侵入する。

 会って数分も経っていない少女の言葉が決して動かなかった心を揺り動かす。

――――チリン、チリン、チリン、チリン…………。

 ここの大学特有の講義終了を知らせる鐘が有銘の言葉をさえぎり鳴り響く。

 有銘の言葉に動揺を隠せずにはいられなかったが、彼方はそれから逃げるように立ち上がる。

「さすがに二時限連続でさぼるわけにはいきませんので、僕はこの辺で失礼します」

「あっ、ちょっと!」

 そんな有銘の声を無視して彼方は食堂を出る。

「坂田君! 私は絶対に諦めないからな! 絶対に! 諦めないからな!」

 背中にかけられる声が徐々に小さくなっていくが、彼方の胸に刺さったとげついぞ取れることはなかった。

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