第3話 彼方の過去

 時は彼方かなたが保育園に通っていた時まで遡る。

 彼方は自分の体が他の人と違うことをよわい四歳にして理解していた。

 人と極力関わらず平凡な生活を送ろう、と思ったのはその時からであろう。

 当時の彼方少年は今とは全く違う少年であった。

 天真爛漫てんしんらんまん

 まさにその言葉がぴったり当てはまるような活発な少年であった。

 歳の近い子達は勿論、保育園の先生や子供達の保護者も含め、少年の周りには常に人がいた。近所で仲の良い人はいないほどの人気者だった。

 彼方少年はいつも通り近所の子供達と一緒に公園で遊んでいた。

「おーい。今日は誰が早くあそこの一番上まで登れるか競争しようぜ」

 彼方少年がそう言って指さした先はジャングルジムだった。

「危ないから止めなよ」

「そうだよ。お母さんに怒られるよ」

 女の子達が声をあげる。

 周りにいた子供達も不安そうな顔を作り、彼方少年を見つめる。

 無理もない。

 今であればなんてことのない高さだが、四歳児においてそれは東京タワーを下から見上げるが如く、途方もない高さだったのだ。

 しかし、当時の彼方少年は好奇心旺盛であり、何事にも考える前に動き出す。

 そんな行動力にあふれた少年だった。

「なんだよ。意気地いくじなしばっかりかよ。つまんねぇ」

 彼方少年がちぇっと舌打ちをする。

「…………いいよ。僕がやってあげる。でも、一回だけだからね」

 その時、彼方少年と特に仲の良かった少年が一歩前に出て言う。

「おっ、さすが。やっちゃんだったらそう言うと思ったぜ」

 やっちゃんと呼ばれた少年と彼方少年がジャングルジムの前で並ぶ。

「誰か、ヨーイドン、してくれ」

 彼方少年が声をかけるが、挙手してくれる子はなかなか現れない。

 何かあった時の加害者に誰もがなりたくなかった。

「…………私、やる」

 そう言っておそるおそる前に出た少女が二人の間に入り声をかける。

「二人とも準備はいい?」

 その掛け声に二人が一度目を合わせる。

 得も言われぬ緊張感が辺りを包む。

「じゃあ、いくよ……ヨーイ、ドン!」

 ――――パチン!

 声と一緒に手を鳴らし火蓋ひぶたが落とされた。

 するすると登っていく彼方少年に対し、やっちゃんと呼ばれた少年は慎重に手元と足場を確認しながら登っていく。

 そして、あっという間に彼方少年が半分以上の差をつけて先に着いた。彼方少年以上に運動神経の良い子供はいなかったため、当然と言えば当然の結果なのかもしれない。

「よっしゃ! 着いた!」

 どうだ、と言わんばかりに手を挙げようと両手を離した時、事は起きた。

 今までおだやかだった公園に突然強い風が吹きつけた。

 それにバランスを崩した彼方少年が足を滑らせる。

 ――――バンッ!

 頭から真っ逆さまに落ちたのは一瞬だった。

 落ちた彼方少年にも何が起こっているのか、分からなかった。

 今ここが現実なのか、夢なのか、その区別さえもついていなかった。

 しかし、確実に感じる体中の痛みと冷たくなっていく手足が彼方少年の全てだった。

「……キャー!」

 遅れて少女の甲高い悲鳴が彼方少年の耳をつんざく。

 遠のく意識の中、彼方少年は事の顛末てんまつに気づく。

 そして、意外にも冷静に思う。

 ――ああ、僕はここで死ぬのか……父さんと母さん、悲しむだろうな……もっと生きてたかったな……。

 後悔の念を抱いていた。

 死ぬ瞬間に見るという走馬灯なるものを彼方少年はドラマで知っていたが、それを見ることはなかった。

 ――大きくなったら何をしたかったかな……一回でいいから父さんが美味しそうに飲んでたやつを飲んでみたかったな。それから色んなところに行ってみたかったな。そう言えば母さんは僕を医者にさせたがってたな。もうそれも叶わないのかな……。

 そう思いながら少年はある異常に気づく。

 ――…………ってか、僕の意識はいつになったら消えるんだろう。もう結構長い間、考えては後悔してるんだけど……ん? おかしい。痛くない。手も足も冷たくない。息苦しくもない。

 そう思うと同時に彼方少年は閉じていた瞳を開き、手足に力を込め起き上がる。

 しかし、彼方少年は状況を把握することができなかった。

 自分が何をして、何が起きているのか、全く分からなかった。

 ぐるりと首を回し前後左右を見ると、周りに集まっていた人達が驚きのあまり声を出せずにただただ固まっていた。

「…………え? ど、どうして?」

 その中の一人が振り絞るふりしぼるように声を上げる。

「……き、きみ……大丈夫なのかい?」

 近くにいたお爺さんが心配するように声をかける。

 彼方少年は確認するように全身を触る。

「……うん。問題ないみたい」

 その言葉に周りの人がぎょっとして、一歩後ずさる。

「……そ、そうか、まあ、うん、何もないなら、よ、よかった……」

 そう言うお爺さんの彼方少年を見るその目は恐怖に染まっていた。

 まるで化け物でも見るかのように怯え、そして同時に軽蔑けいべつしていた。

 ――えっ? どうして、そんな顔をしてるんだよ?

 彼方少年は不思議に思い、改めて周りを見渡してみる。

 すると、その視線を送っていたのはお爺さんだけではなかった。

 少年と一緒に遊んでいた少女も悲鳴で駆け付けた保護者も近くの駄菓子屋のお婆さんも、そして、親友だと思っていたやっちゃんさえも……。

 皆が皆、彼方少年に恐怖し、戦慄せんりつし、軽蔑していた。

「……気味が悪いわ……」

「……あの子、おかしい……」

「……ば、ばけもの……」

 その視線と小言に晒されながら。

 ――そうだ。僕は確かにジャングルジムから落ち、死んでいてもおかしくないほどの怪我を負った。死を覚悟した。でも、数十秒後、僕は何事もなかったように起き上がり、こうして話している。息をしている。生きている。

 彼方少年はようやく気づいた。

 己の異常さに、不気味さに、恐ろしさに……。

 それを両親に話すと、その一ヶ月後、父親は姿をくらました。

 さらにその一ヶ月後、母親は、ごめんね、私のせいでこんなことに、本当にごめんね、と念仏のように繰り返し、自ら首を吊った。

 齢四歳という幼い彼方少年が心を閉ざすには十分すぎるほどの出来事であったのだ。

 今はそのことを誰も知らない田舎に住処すみかを移し、その土地の大学で勉学に勤しんでいる。

 ここに来る学生はおおよそ地元の人しかいない。

 それ故、彼方は有銘がどうしてそのことを知っているのか、不思議だったのだ。

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