第30話 最悪の事態

「……どうして、ここが分かった?」

 有銘あるめ眉間みけんしわを寄せ、鬼の形相ぎょうそうく。

「どうしてって、そんなの決まっているじゃないか。僕のお姉ちゃんに対する愛の力ってやつだよ」

「ふざけるな!」

 周囲五キロくらいには届きそうなほどの大声で有銘が激昂げきこうする。

 それを意に介さないように薄い笑みを浮かべたままの瑠璃るりが言う。

「冗談だよ、冗談。本当の理由は不死身君、君だね」

 突如とつじょとして名指なざしされた彼方かなたに視線が集まる。

 しかし、当の彼方は何のことか、皆目かいもく見当けんとうもつかなかった。

「あれっ、覚えてないの? 駄目だめだよ、知らない人に物を貰ったらちゃんと覚えておかないと。ほら、かばんの中を見てみなよ」

 そう言われ彼方が鞄の中をまさぐる。

 ノートや筆箱、小説にフェイスペーパーといつも持ち歩いている物の中に、見覚えのない物を見つける。

 手に取り、彼方はようやく思い出した。

 それはいつかの老婆ろうばに貰ったお守りだった。

「そう、それだよ。その中に発信機が入ってるから、それで把握はあくしたわけさ。君たちの潜伏せんぷく場所と僕たちでもつかめなかったこの体質の本質とその治し方もね」

 彼方は唇をむ。

 思い返してみると不自然だった。

 老婆はホテルの場所を知りたがっていたのに、ホテルのある方向から歩いてきた。そして、周りにはあんなに人がいっぱいいたのに、きょろきょろと待ち合わせ場所を探し明らかによそ者の彼方に声をかけてきたのだ。

 自分の不甲斐ふがいなさがにくい。

「でも、じゃあ、どうしてそこまで知っていながら、すぐに攻め込んでこなかったのかしら?」

 田所たどころが体中の筋肉を強張こわばらせながら訊く。

 つとめて冷静をよそおっているが、その実、体中にはけたたましいほどのレッドアラームが鳴り響く。

――今すぐに離脱しなければ! こいつはやばい!

 圧倒的な実力差に田所の脳内が回避命令を下すが、前頭葉ぜんとうよう以下運動神経はその指示に従わない。

 やばい、と感じていながらすでに判断能力は麻痺していた。

「どうしてって、そんなの……面白いからに決まってるじゃないか」

 何を言っているのか心底しんそこ分からない、と言って口ぶりで瑠璃が言葉をぐ。

「不意打ちですぐに倒しちゃったら、ゲームとしてつまらないでしょ。だから、君たちの戦闘準備が出来るのを待ってたんだよ」

 終始しゅうし不敵ふてきな笑みを浮かべるその態度は、まさに圧倒的勝者が見せる余裕そのものであった。

 瑠璃が腕時計で時間を確認する。

「もうこんな時間か。今日は帰ってドラマを見ないといけないんだから、そろそろ片付けないとね」

 緊張感の欠片かけらもない発言に有銘が笑みを浮かべ言う。

「相変わらず嘘が下手だな、瑠璃」

 何かを悟ったように急に優しくなる口調に瑠璃の目が細くなる。

「他の人はだませるかもしれないけど、私にそれが通用すると思ったのか?」

「…………どういうことかな?」

「『こういう体質を持つ人は短命である。それは普通であれば使わない脳の部分を異常に活性化させているからである』っておじさんに教えてもらった。こそこそ聞いてたんだから、お前も知ってるだろう? ……で、お前は体質を取り込みすぎてただでさえ短い寿命がもっと短くなってる。違うか? それと具体的には分からないけど、その様子だと、持って三〇分ってところじゃないか?」

 瑠璃の瞳孔どうこうが開く。

 それが何よりの答えだった。

「……ふふ、良く分かったね。うん。その通り。僕の命は明日を待たずに尽きる。だから、早く不死身君のDNAを取り入れなくてはいけない。そうしないと死んじゃうからね」

 瑠璃は両手を素直すなおにあげ、あっさりと認めた。

「でも、それも今この時をもってお終いかな」

 そう言って瑠璃が右手の人差し指を前に突き出す。

 刹那せつな、彼方の左肩に焼けるような激痛げきつうが広がった。……というより、実際、彼方の左肩から肘にかけてどこからともなく火の手が上がった。

 そのことに気づいた彼方はすぐに服を脱ぎ、二度三度、床にたたきつける。幸い、軽い火傷程度で済んだが、瑠璃の目的はその後だった。

「おやおや、ダメじゃないか。ちゃんと止血して冷やさないと」

 いつの間にか、顔を歪め左肩を抑える彼方の隣に移動していた瑠璃が火傷で赤くなったところに手を伸ばす。

 瑠璃への警戒をいたわけでも、何かに気を取られたわけでもない。

 それ以上に瑠璃の移動速度が速く、目で追えなかったのだ。

 有銘と田所が一瞬驚きを見せるが、すぐに彼方と瑠璃の方に向かおうとする。

「お嬢様方」

「それ以上は動かない方がいいと思うがね」

 有銘の首にナイフを当てる男と田所の頭に拳銃を突き付ける老婆が言う。

 瑠璃といいこの二人といい、相手は気配を完全に消すすべけていた。

「……っく! 彼方君、動け!」

 有銘が叫ぶが、いまだ痛みにもだえる彼方にそんな余裕はない。

 瑠璃が彼方のしたたる血液を指に乗せる。

 そして、それをゆっくりめる。

 その瞬間、彼方の心臓が大きく悲鳴を上げる。

――――バクンッ、バクンッ、バクンッ、バクンッ…………。

 次に気が飛びそうなくらい激しい頭痛が襲う。

――――ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ…………。

 脈拍を早め体温を上げることで彼方の体の変化に適応しようとするが、痛みがやわらぐことはなかった。

「あ、ああ、ああああああああ‼」

 彼方が頭をかかうずくまる。

 想像を絶する痛みに意識を保つのがやっとである。

 特に頭の上前方辺りに溶けるように広がるどろどろとした熱が彼方の痛みと気持ち悪さを増長ぞうちょうさせる。

 それは血液を媒介ばいかいに肺に到達し、酸素供給を阻害そがいする。

 誰かに首をめられているかのごとき苦しさに彼方の綺麗な紅玉こうぎょくが暗くなる。

「彼方君!」

 有銘が叫びながら男の腹に肘を入れ拘束を解くと、痛む彼方の元にけ寄る。

「おい、彼方君! しっかりしろ! 彼方君!」

「……有銘、さん」

 有銘の声が朦朧もうろうとする彼方の意識を何とかつなぎ止める。

 あんなに辛かった痛みはいつの間にか引いており倦怠感けんたいかんが体中に残っているだけだった。

「大丈夫か?」

「……はい。もう大丈夫です」

「それならよかった」

 有銘がひとまず安堵あんどする。

 しかし、彼方の左肩を見て驚愕きょうがくする。

「か、彼方君……左肩、痛くないか?」

「左肩ですか? 言われてみれば、少し痛みが残っていますが……どうしました?」

「そう。じゃあ……最悪の事態かもしれないな」

 そう言う有銘のひたいには大粒の冷や汗が浮かんでいた。

 表情自体は大きく変わらないが、体は正直に反応していた。

 そう言われ彼方は、はっ、とする。

――僕の体質であればこのくらいの傷、一瞬で治ってしまう。しかし、待っても待っても左肩の痛みは消えることがなく、それどころか傷口に空気が触れる度にまるで刃物で刺されているかのような痛みが襲うではないか……。

 彼方が瑠璃を見る。

 瑠璃は自分の体を確認するようにあちこちを触ってはえつに入っていた。

「良かったね、不死身君。ああ、もう不死身君じゃないのか。何て呼べばいいかな……うーん、凡人君? 凡人君でいいか。これで晴れて君も一般人の仲間入りだよ」

 笑みを浮かべたまま拍手をする様は、手の届かないところから高みの見物を決め込むどこぞの会長そのものだった。

――不死身の体質を奪われてしまった。……一番恐れていたことを、やられてしまった。

 彼方の顔が絶望にまる。

 どんな体質を手に入れているか分からないため、相手の手のうちを探りながらその場で対応と対策を練らなくてはいけない。

 それ故、瑠璃の寿命が尽きるまで時間稼ぎをする以外に瑠璃を止める方法は考えつかなかった。

 しかし、不死身の体質を得た今。

 それは叶わない夢だった。

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