第10話 有銘の願い
「何があったかは……うん、そうね。あえて
髪を派手な赤色に染めた看護師が包帯を巻きながら
「あっ、私のこと知ってるのか?」
「
看護師が
「あの……このことは」
「分かってるわ。誰にも言わないわよ。病院の人にも言っておくから安心して」
「ありがとう」
「……よし、終わり。ないに越したことはないけど、もしまた何かあったらすぐ来なさいね。この時間だったら大体いるから」
「はい」
「それと、あそこに座っているのは、あなたの彼氏?」
そう言って看護師が
その言葉に有銘が
「い、いや! 違う! ……まだ、だが……」
「……ふーん。そうなんだ」
看護師と有銘に見られた彼方が椅子から立ち、軽く
「ちょっと頼りなさそうだけど、優しそうな彼じゃない。いい?
「は、はい!」
いきなりの圧に有銘は戸惑いながらも返事をする。
そして、今一度深くお辞儀をし、彼方の元に向かう。
「なんか、ごめんな。こんなことになっちゃって」
待合室で待っていた彼方に有銘がばつが悪そうに言う。
「いえ、構いませんよ。それより、傷は大丈夫なんですか?」
「うん。意外と平気」
そう言って有銘は笑いピースを送るが、巻かれた包帯は痛々しい。
彼方と有銘が病院を出て最寄り駅までの道を歩く。
日中は感じないが、夜になると外灯は
風が吹くたびに鳴る
人がいないこともそれを
しかし、今、彼方はそれとは別の高揚感を感じていた。
少し歩いた後、彼方が口を開く。
「でも、あの人は一体誰なんですか? いきなりあんなことをしてくるなんて」
有銘が悲しそうな顔を浮かべ答える。
「ああ、あいつな……あいつは、私の血の繋がった弟……いや、弟だった奴なんだ」
そして、そこから有銘が
「あいつがまだ自分の体質に気づく前……自分で言うのもあれなんだが、本当に仲の良い姉弟だった。どこに行くにも一緒だったし、歳が少し離れていたこともあって〝大きくなったらお姉ちゃんと結婚する〟なんて言ったりもしてたんだよ。でも、あいつが自分の体質を自覚してからというもの、変わってしまった」
そう言って有銘は腕に着けられたミサンガを触る。
「あいつの体質は他の人の体質を奪い、自分のものにするというもの。だから、あいつは誰も自分に逆らえないように少しでも多くのDNAを取り入れようとしている。たとえ人が傷つき立ち直れなくなったとしても……。君のDNAを欲しがったのもそのためだ」
「……そうなんですね」
彼方が感情を乗せず
ここで何か気の利いた言葉をかけられるようであれば有銘の気持ちを軽くすることが出来るのだろうが、彼方はそれをしなかった。
そのことを彼方は身をもって知っていたのだ。
「そして、ついにあいつはそれを止めようとした両親までも手にかけた」
有銘が奥歯を
ぎりぎり、と鳴る歯の悲鳴が静かな道に響く。
「あいつはこの体質で世界を変えようとしている。自分の思う通りに動かせる世界に。それを許せば、また悲しむ人が出てくる。その前にあの怪物を止めないと……私の手で……」
まるで自分にこうするんだ、と言い聞かせるかのように言葉を出し、それを心の中で
『それ、君の本心じゃないだろう』
――以前彼方にそう話していた有銘自身が自身の本心を
彼方はそう感じた。
同時にそんな有銘にある種のシンパシーを感じていた。
『昔の私もそうだったから、今の君と同じだったから……』
その言葉の意味がようやく分かった。
仲の良かった弟を失い、それを止めようとした両親も失った。
その悲しみは計り知れないが、体質を自覚した瞬間、同じように両親を失った彼方には理解できた。
その原因の全てが突如として出現したこの体質。
この体質が出現しなければ幸せな家庭が壊れることも、化け物と
――この少女は弟を憎んでいる。それは間違いない。しかし、それ以上に弟を狂わせた異常体質そのものを心の底から憎んでいるのだ。
彼方は
自分が幼い頃に受けた
親や友人の人生まで狂わしてしまったという罪悪感。
自分が関わるとその人を不幸にしてしまうのではないか、という恐怖。
幼く脆かった当時の彼方少年にそんな
そして、それと同時に快感情も封印した。
どんな出来事にも動くことがないように。
どんな事が起こっても周りに迷惑をかけることがないように。
自分だけがじっと我慢していれば周りに害が及ぶこともない。
そうして坂田彼方は生きてきたのだ。
この体質が彼方にもたらした苦しみと悲しみ。
その苦しみや悲しみが消えることはない。
思い出そうと思えば昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来る。
それを続けるうちに彼方はこう考えるようになっていた。
――自分はいらない存在なんだ。誰からも必要とされない存在なんだ。かといって死ぬことは叶わない。それならば誰にも気づかれないようにひっそりと生きていこう。そう思っていたのだが……。
「私はな、この体質を持ったことで辛い思いをした人を救って笑顔で日々を送れるような世界にしたいんだ。そして、今後、この体質で狂わされることがないような世界にしたい」
有銘が優しく語り掛ける。
「坂田彼方君、勿論、君もその中の一人だ。これからの人生を明るく生きて欲しいと思っている。だから、完全にこっちの都合で厚かましいお願いなんだが……私は君に協力して欲しいと考えている。何度も言ってしつこいと思うかもしれないし、だから何度でも言う」
有銘が歩みを止め彼方の方を向く。
「この世界を救うために君が必要なんだ! 私に力を貸して欲しい!」
最終的に一ヶ月間、何度もかけられたその言葉が決定的だった。
しかし、彼方はそんな有銘の背後に
まるで瑠璃に向けられていた怒りが嘘か幻であるかのように優しく、大きく、温かい。
この人形みたく顔の整った怪力少女が聖母マリアの如く、
そう感じ、思った瞬間。
彼方の瞳から大粒の涙が
心を手の平で優しく包まれているかのような安心が彼方の感情を溶かす。
「……あ、あれ、おかしいな……これは、その、そんなはずじゃ……」
彼方自身にもこの感情がどんな感情なのか、自覚できていなかった。
服の袖で必死に
そして、彼方は
鼻水を垂らし
母親の胸で泣く
人と違うと自覚してから一五年間。
いくら自分が努力を重ねても人は認めてくれなかったし、必要としてくれなかった。
いつ何時も坂田彼方という存在は排除の対象だった。
しかし、それをこの少女は
必要だ、と言ってくれた。
力を貸して欲しい、と言ってくれた。
それが何よりも嬉しかったのだ。
抑え込んできた感情が爆発した瞬間だった。
「よしよし……」
有銘が頭を
彼方にとってそれは子守歌のように心地よく心落ち着けるものだった。
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