不死身の彼方

@yojirosato

第1章

第1話 出会い

 坂田彼方さかたかなたは極々一般的な男子大学生である。

 身長一七〇センチ、体重六三キロ、中肉中背、艶のない黒髪に洒落っ気のない黒縁眼鏡をかけており、服装は常に大手アパレルショップの汎用品。何の特徴もなければ特質すべき特技もない。よく見なければ埋もれてしまうほど影の薄い極々一般的な男子学生である。

 朝九時から講義を受け、昼一二時三〇分に手作り弁当を食べ、午後一時三〇分から再度授業を受ける。午後四時まで講義を受けた後、午後一〇時までコンビニのアルバイトをし、家に戻る。そんな生活を続けている。

 六畳一間、風呂トイレ共同、壁は薄く隣に住む人の夜の営みさえもはっきり聞こえてしまう月二万五〇〇〇円のボロアパートに住んでいる。部屋は北向きで夏は暑く、冬は寒い。部屋の中は常にじめじめとしており、本来であれば三ヶ月近くはもつ乾燥ポッドが一ヶ月かからないくらいで一杯になる部屋に住んでいる。

 しかし、坂田彼方は何の不満も感じていなかった。それどころか、この環境下、状況下において得も言われぬ充実感を得ていた。大学を卒業し、どこかの会社に就職しても、この生活が続けばいいな、と思っていた。

 坂田彼方は物心ついた時から独りだった。

 保育園では砂場で一人壮大な城を建築し、学生の時分は休み時間になるや否や耳にイヤホンを着け周りをシャットダウンし、小説を読み耽る。課題で仕方なく話しかける人はいたが、プライベートで遊んだり食事をしたり一晩を共にしたりする友人や恋人はいなかった。

 大事なことだからもう一度言おう。

 坂田彼方は極々一般的な男子学生であり、今の生活に何ら不満を感じていない。

 そんな彼方に転機が訪れたのは、大学二年生の春だった。

 


 二一××年、四月某日。

 それは桜が散り始め、少しずつ木々が青々としてきた季節だった。

 彼方がいつも通り手作りの弁当を食べ、午後の講義を受けるため準備をしている時だった。

――――バーン!

 物凄い音ともに教室の扉が開けられた。

 彼方を含め数十人の人たちが扉に目をやる。

 そこにいたのは一人の少女だった。

 耳にかかるくらいの長さで揃えられた綺麗な金髪、吸い込まれそうなほど純粋な碧眼へきがん、筋の通った鼻梁びりょう、ぷっくりと張りのある唇。顔は整っており、まるで異国の人形であるかのような顔立ちに現実感は薄れ、神々しささえ感じてしまう。また身長がおよそ一三〇センチ程度しかないところや胸が乏しいところはややもするとコンプレックスになってしまいがちだが、不思議とその少女になくてはならない特徴の一つであり、どれか一つが欠けたとしても少女が少女足りえない。そのくらい絶妙なバランスが取れていた。

――へえー、この大学にこんな可愛らしい子もいたんだな。

 彼方はそう思いながらすぐに鞄から次の講義に使う教科書を取り出す。

 そして、いつも通りイヤホンを耳に着け、読みかけの小説を開く。

 綺麗だとか可愛いだとか、そういう一般的な感覚はある。しかし、端から人という種に全く興味のない彼方にとってそれは美術館に飾られている絵画や彫刻などの芸術品に向けるそれと何ら変わりはなく、またそこにそれ以上の感情は一切なかった。

「……んー、えーっと、ここにいるはずなんだけど……どれだろう……」

 少女は目を細めながら教室中をぐるりと見回す。

「……おい、あれ、まさか……」

「……嘘⁉ まさか、本物⁉」

「超綺麗! テレビと全然変わらない!」

 少女が誰かを探しているのは一目瞭然だったが、誰一人声をかける人はいなかった。いや、その現実離れした存在とこんなところにいるはずのない人物の登場に目を奪われ声をかけられなかったといった方が適切だろう。

「……あ、いた!」

 少女がそう声をあげ、軽い足取りで階段を上る。

 そのいちいちの所作が他の人の目を釘付けにしていることを少女は知っていた。 しかし、それを歯牙しがにかける様子は微塵みじんもなかった。少女の綺麗な碧眼に映っているのは一人の男だけだったのだ。

 少女が男の傍に行き声をかける。

「きみ、坂田彼方君だろう?」

 声をかけられたのは、お察しの通り、この教室で一等影の薄い坂田彼方だった。

 彼方は何を言われているのか、全く分からなかったが、近くに人が来たという気配を確実に感じ取っていた。

 しかし、彼方が少女の方を向くことはない。

――近くに来たのは僕に話しかけるためではなく、何か他の用事があって仕方なく僕の近くに来たのだろう。そうだ。そうに違いない。

 以前近くに来た人に、何か用ですか、って返事をしたら、えっと、ごめん、きみじゃないや、って言われ恥をかいた経験がある。それ以来彼方は、近くに来たからといって無闇矢鱈みゃみやたらと反応してはいけない、相手にも気まずい思いをさせてしまうんだ、という半ば言い訳染みた思いから安易に反応しないことに決めていたのだ。

「――おーい、坂田君だよな? 聞こえてる? ねぇ、ねぇってば」

 少女は彼方と小説の間に手を入れて彼方の注意をこちらに向けようとする。

 それでも彼方が向くことはない。

 少女は彼方の肩を激しく揺する。

 頭を左右に揺さぶられ気持ち悪さを感じはするが、彼方は動じない。

――近くに来たのは僕に……以下略。

 一度こうすると決めた彼方はたとえ宇宙人が襲来して来ようとも、隕石が落ちてこようとも、天変地異てんぺんちいが起きようともそれをやり通す男だった。よく言えば一途、 悪く言えば融通ゆうづうの全く利かない堅物かたぶつで、その上にくそがつくほどであった。

 何をしても顔を向けようとしない彼方に少女は可愛らしく頬を膨らませる。

 彼方にその気はない。しかし、その光景は誰がどう見ても、必死に話しかける美少女を一人の男が頑なに無視をしている画だった。

「ねぇ、ねぇってば、さーかーたーかーなーたーくーん……」

 頭が取れそうなほど思い切り体を揺さぶられるが、彼方はそちらを向くこともしなければ小説を読む手を止めることもなかった。

「……はぁー、もう、じゃあ、仕方ない。ちょっと痛いけど我慢してな」

 少女が呆れたような表情で不穏な言葉をひとつ吐き、右の拳に力を込める。

 そして、その拳を振り上げ躊躇ちゅうちょなく彼方の頭に降り降ろす。

――――ドカンッ! バンッ!

 風船が破裂するような乾いた音が教室中に鳴り響き、先程の喧騒けんそうが嘘であるかのように静まり返る。

 物凄い音と信じられない光景に全員が目を見開き、驚きのあまり開いた口が塞がらない。

 時間が止まってしまったかのように誰も動かない。

 呼吸をすることも忘れてしまったかのような静けさが周囲を支配する。

 これは決して比喩ではない。

 文字通りの状態である。

 彼方の顔が机を突き破り地面にめり込んでいる。

 眼鏡のレンズは粉々に壊れ、曲がったフレームだけが横に転がっている。

 体をぴくりとも動かさず、突っ伏している様は息絶えてしまったのかと錯覚するほどである。

「先に言っておくけど、私は謝らないからな。坂田君がいけないんだから」

 そう言って、少女がふんと鼻を鳴らし、再度頬を膨らませる。


 


 これだけ聞けば主語と目的語が逆なのかな、それかハンマーみたいな道具を使ったのかな、と想像してしまうが、実際はそんな可愛いものではなかった。

 机は原形を留めていないほど粉々になっており、教室にいて他の机との比較で、あっ、これ机だったんだ、と分かる程度。破片だけでは全く分からない。拳ひとつでここまで破壊することが出来るのは波動拳の使い手か背中に鬼を宿すオーガと呼ばれる男くらいのものであろう。


 

 


 大学の教室という場所において明らかにこの一角だけが異質だった。いや、大学とか、教室とかはもはや関係なく、この状況自体が異質なのかもしれない。

 教室中の視線を一点に集めながら美少女が彼方の首根っこを掴む。

 めり込んでいた机とその周辺に飛び散った血から相当な怪我を負っていることは明白だった。ややもすると即死していてもおかしくないほどの惨状である。

 だらりと項垂れるうなだれる彼方の頭部から流れ落ちる血液が少女の手を赤く染める。

 手だけではなく、服や顔にまでところどころ血が飛んでいる。

 ホラー映画のワンシーン。

まさに狂気の沙汰であった。

「起きた?」

 その言葉に今の今までぴくりとも動かなかった彼方が顔を上げる。

「…………殺す気ですか?」

「まさか。それに、きみ、これくらいじゃ死なないだろう」

 がっはっはっ、と笑い声をあげる金髪碧眼の少女をただただ無表情で見つめる彼方は思う。

――裕福じゃなくたっていい。僕は今の普通でいて変わらない日常がずっと続けばいいと思っているだけなのに。それすらも叶わないのか…………ごろごろごろごろごろ…………。

 階段を転げるように落ちていく音が彼方の耳に鳴り響き止まない。

 膨れ上がる不安が彼方の心臓を圧迫し脈を早くする。

 これが坂田彼方と少女、小波有銘さざなみあるめとの出会いであった。

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