第5章

第26話 笠倉由美の過去

 彼女は孤児だった。

 産まれた時から親の名前はおろか、顔さえ知らずに育った。

 そのせいか、彼女は人を愛することも人に愛されることも知らなかった。

 そんな彼女の思考が一八〇度変わったのは小波有銘さざなみあるめと出会ってからだった。

 彼女がまだ中学一年生の時の話。

 いつも通り漫画喫茶でオンラインゲームゲームに興じている時だった。

「へえー、そんな動かし方も出来るんだね」

 小声で声をかけられ、彼女は初めて横に人がいることに気がついた。

「…………!」

 根が暗く内向的ないこうてきな彼女は驚きのあまり声を上げることさえできなかった。

 その時の状況はまさしく満員電車で痴漢をされる女子高生の心境に近い。

 しかし、違ったのはそこにいるのが中年親父ではなく、金髪碧眼きんぱつへきがんの美少女であるということだった。

「突然ごめんね。そこからちらっと見えちゃってさ」

 美少女が扉の小窓こまどを指差す。

 ここの漫画喫茶は完全個室ではあるものの、小窓から中の様子をのぞける仕様になっていた。

「少し話、大丈夫?」

「…………」

「君、上手いね。どうやったらこんなに上手くなれるの?」

「…………」

 彼女は何かの反応を示すことはなかったが、美少女の目は純粋だった。

 まるで自らが太陽のように光を放っているかのような輝きを彼女は感じた。

 彼女は手元のメモ用紙に字を書きそれを見せる。

――――これしかやることがありませんから。

 彼女が美少女の方を見ることはなかったが、警戒レベルは一段階下がっていた。

「ふーん、そうなんだ……あっ、私、小波有銘っていうの。あなたは?」

「…………」

――――笠倉由美かさくらゆみ

「ゆみちゃんね。よろしく」

 その日をきっかけに笠倉は有銘と食事をしたり、ゲームをしたり、遊びに行ったりするようになった。

――こんな私でも有銘さんみたいに気持ち良いくらいかっこよく生きることが出来るのかな……そうであるなら、私もそうなりたいな。

 暗鬱あんうつと考えていた彼女の未来に一筋ひとすじの光が差し始めたのはそう思うようになってからだった。

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