第22話 有銘と総理大臣

 三人は国立中央図書館、受付の前にいた。

 平日の午前中ということもあり人はまばらであった。いるのは隠居いんきょし暇を持て余した老人や卒業論文の執筆のため山と積まれた研究論文を読みあさっている大学生、それに何をしているのか分からない奇抜なファッションでくつろぐ若者くらいであった。

 読書スペースは閑散かんさんとしていたが、受付は意外にもにぎやかであり、人の笑い声やコピーが出来上がったことを知らせるアナウンスの声、空調や革靴で歩く音が前後左右に加え、上の階からも響いていた。

 彼方かなたがイメージする図書館とは大分異なるこの場所に二回目とは言え驚きを隠せない。

「誰に言えばいいんですかね?」

「さあ、誰でもいいんじゃないか」

「いいわけないでしょ、バカ」

「あー、バカって言った! バカって言う方がバカなんだぞ! バカ!」

 そんないつも通りのやり取りをここに来ても続けていると一人の人が近づいてきた。

「何かお困りですか?」

 柔らかな笑顔で話しかける男性は不自然なほど顔が整っており、無駄な肉が一切ない体躯たいくをしていた。道で歩いていれば確実に目を引くであろうその容姿は現にコピーを待つマダムの目をとりこにしていた。

「いえ、あの……」

 彼方がどうするべきか言いよどんでいると、有銘あるめがその迷いをつように言う。

「これを持ってるから、あそこにある奥の部屋に入れて欲しいんだが」

 そう言って男性の目の前に右手でしわくちゃの紙を突き付け、左手で奥の部屋を指差す。

 男性はその紙を受け取り確認すると、一度目を細め彼方達ひとりひとりを審査する。

「…………なるほど。了解しました。ご案内いたしますので、少々お待ちください」

 審査に通ったのか、男性はそう言い、受付の後ろの方に下がっていく。

「あの人で本当に大丈夫かしら?」

 田所たどころが心配そうに見るが、有銘はそんなことなど歯牙しがにもかけない。

「大丈夫だ。あの人、しっかりしてそうだったから」

「ただかっこよかっただけでしょ」

「…………まあ、それも一理ある」

「それしかないでしょ」

 女性がイケメンに弱いのはどんな世の中でも変わらないらしい。

 数分後。

 男性が落ち着いた様子で戻ってきた。

「お待たせしました。こちらにどうぞ」

 男性に連れられて通された部屋は目的である受付の奥の部屋ではなかったが、よく海外の映画か何かで出てくるような格調高く途轍とてつもなく広い部屋だった。

 壁紙は歴史の教科書で見たような色合いと柄、随所ずいしょに飾られている絵画や花、真正面に大きなモニターがかけられており、真ん中に陣取ったテーブルと椅子は見たことのないような装飾がほどこされている。さらにフローリングは自分の顔が映るくらい磨かれておりちり一つ落ちていない。

 明らかに場違いな場所に彼方と田所は驚きと戸惑いを隠せないが、有銘は、ふふん、と鼻歌を歌っている。非常に上機嫌だ。

「こちらにどうぞ」

 男性が手際良く椅子を引く。

 有銘が嬉々として座り、その向かい側におそおそる彼方と田所が座る。

 右と左で正と負、陽と陰。

 何かしらの悪いことをしないと大富豪にはなれないという都市伝説を信じている彼方にとって、この部屋は不気味のなにものでもなかった。男が去ってから物音ひとつしない空間で不安だけがふくれ上がる。

「これから何が始まるんですかね?」

「変なデスゲームとかに参加させられないわよね?」

「そんな無茶苦茶なことは」

 彼方はそう口にして気づく。

――……今の今までがだいぶ無茶苦茶だったではないか。今更無茶苦茶なことが起きないと言い切れるだろうか……。

「…………ないですよね?」

「まあ、そうなったらそれはそれで面白いよな」

 一貫してわくわくしている有銘が言う。

「今だけはあんたのメンタルを少し分けて欲しいわ」

 静寂せいじゃくが支配する空間が突如とつじょ暗くなり、正面のモニターに映像が映し出される。

 そこに映っていたのは現内閣総理大臣、獅堂剛彦しどうたけひこそのものだった。

「こんにちは。モニター越しの無礼ぶれいを許してくれ」

 そう言って画面越しに頭を下げる。

「全然いいぞ」

 それを軽く有銘がいなす。

「ふっ、有銘君は昔と全然変わらないな」

「うそ、昔より綺麗になっただろう」

「いや、変わらんよ。今も昔も綺麗だ」

「そう? もう、照れちゃうな」

「がっはっはっはっ」

「がっはっはっはっ」

 獅堂と有銘が同じような笑い声を上げる。

 テレビでしか見たことのない人物とリアルタイムで会話をしていることが彼方は信じられなかったが、それ以上に総理大臣と有銘がまるで旧知きゅうちの仲であるかのような関係であることがもっと信じられなかった。

「――ちょ、ちょっと、あーめ、ねえ、あーめ!」

 田所が豪快に笑う有銘を小声で呼ぶ。

「ん? 何だ?」

「あんた、獅堂総理大臣とどういう関係なのよ⁉」

「どういう関係って……こういう関係だけど、なあ?」

 有銘が獅堂の方を向くと、獅堂もそれに対し笑顔で答える。

「うむ。こういう関係だな」

「がっはっはっはっ」

「がっはっはっはっ」

 再び高らかに笑い合う。

 二人にしか見えない糸のようなものがそこにはつながっていた。

「と、まあ、冗談はさておき、有銘君はめいなんだよ」

「「…………姪⁉」」

 彼方と田所が同時に声を上げる。

 有銘は、うんうん、と深く頷く。

「もう亡くなってしまったが、私の弟が有銘君の父親でね。だから、有銘君をおぶったことだってあるし、何ならおしめだって替えたことがあるんだよ」

 彼方と田所は開いた口がふさがらない。

 総理大臣と直接話をすること自体日常ではないことなのに、その身内がこんなにも近くにいたとは普通思いもしない。

「なんでそんな大事なことを隠してたのよ!」

「隠してなんかないぞ。かれなかっただけだ」

 有銘が胸を張る。

「……っく……私としたことが、不覚!」

 田所が心底しんそこくやしそうに奥歯をみしめる。

 獅堂が、こほん、とひとつ咳払せきばらいをして口を開く。

「えー、改めて、内閣総理大臣獅堂剛彦だ。そっちの悔しそうに顔を赤くしてるのが田所静江たどころしずえ君で頭をフリーズさせて固まっているのが坂田彼方さかたかなた君かな? いつも有銘君と仲良くしてもらってるみたいだね。親代わりの身として礼を言わせてもらおう。ありがとう」

「いえいえ、そんなことは滅相めっそうもございません。私の方こそ、いつも有銘さんとは仲良くしてもらって、もう助けてもらってばかりです。有銘さんがいなければ今の私はいないくらい。感謝してもしきれないですよ。ほんと、おほほほほ……」

 上品に口を抑えながらつつましく笑う田所の態度がいつもと違うことは誰の目で見ても明らかだった。

「……そんなこと絶対思ってないくせに……」

「あーめ、しっ!」

 田所が口に人差し指を当て、有銘をにらむ。

 それを外から微笑ほほえましく獅堂がながめる。

 この部屋に彼方達を案内したイケメンはいつの間にか獅堂の後ろに控えている。

 そんな光景に小さく溜息ためいきを吐き、彼方が本題にかじを取りなおす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る