第42話 有銘のいない日々

 有銘あるめの目が開かないまま一週間が経過した。

 瑠璃るりと老婆が死に、田所たどころと有銘が重症を負った一件は不慮ふりょの事故として処理された。

 おそらく獅堂しどうの力によるところが大きいのだろう。

 表に出せないことが多く、仕方のないことであると言えばそれまでなのだろうが、どこか釈然しゃくぜんとしない気持ちが彼方かなたの中にはあった。

――有銘さんは文字通り命を懸けて瑠璃と戦った。それは大袈裟おおげさでも何でもなく、この世界を救ったことと同義である。しかし、その結末がこれでは……。

 人工呼吸器の繋がれた有銘の顔を見る。

 意識がなくなる最後に見せたあの時の柔らかい表情そのままに眠っている。

 それこそ何もかもから解放され自由になったかのような表情である。

 心臓は動いており呼吸もしている。

 しかし、目を覚ますことはない。

 担当医師いわく〝脳死〟〝植物状態〟であるという。

 回復の見込みは限りなくゼロに近く、それこそ奇跡でも起きない限り、目を覚ますことはないだろう、とのことである。

 それを知らされた時、彼方と笠倉かさくらは言葉を失い、涙を流していた。

 彼方は自分の中で泣いているという感覚は皆無であり、ただ頭を置き去りに心が先走ってしまった結果と言えよう。

 それから気持ちの整理をつけることが出来ないまま三日が過ぎてしまった。

 受け止めきれない現実とそれでも流れていく生活に彼方は体も心も心底しんそこ疲労していた。

「……彼方君」

 いつの間にか横にいた田所が彼方に声をかける。

 洗脳された彼方と戦った後、意識を失った田所は有銘同様、病院に運ばれ治療を受けた。打撲や骨折はあったものの、幸いにも軽症であり少しの入院とリハビリをすれば日常生活に戻れるという。

 車椅子に乗り足をギプスで固められたその姿はとても痛々しいが、本人は、念のため固定してあるだけで大丈夫、と言う。

「あーめの様子は、どうかしら?」

「……変わりません」

 張りのない声で答える。

「……そう」

 田所が有銘の顔をのぞき込む。

「それにしても、自分がこんな状況だっていうのに……ほんと満足そうな顔で寝てるわね」

「……そうですね」

 彼方が今にもこぼれそうな涙をぐっとこらえながら相槌あいずちを打ち、有銘の顔を見る。

 言われないと分からないほど柔らかい表情をしている。体を揺すったら今すぐに起きて、しーちゃん、お腹空いたぞ、何か作ってくれ、と言ってきそうなほど普段と変わらなかった。

 田所が彼方の横顔を見る。

 この一週間、有銘のそばを離れなかった彼方の頬は見るからにこけ、目の下には薄っすらとくまが出来ていた。ろくな食事をとっていなければ風呂にも入っていないため、髪はぼさぼさになり無精髭ぶしょうひげが濃くなっている。

 このままの状態が続けば倒れてしまうことは目に見えていた。

「彼方君、大丈夫?」

「大丈夫です。絶対に有銘さんは目を覚ましてくれますよ。信じてますから」

 その言葉に田所があきれたように息を吐く。

「違うわ。あなたのことを言っているのよ」

 彼方が一度宙に視線をやり、ああ、と言葉を発し続ける。

「ああ、僕のことですか。大丈夫ですよ」

 彼方が気丈きじょうにも笑顔を作るが、その顔に力はなくむしろ疲労を強調させているかのようだった。

――一時でも離れたくない気持ちは分かるわ。分かるけど……。

 田所がそう考え、彼方に言う。

「あーめは私が見ておくから、彼方君は一度、家に帰りなさい」

「いや、でも」

「あーめが起きた時、あなたがそんな顔してたらあーめが悲しむでしょ? だから、とりあえず今日は帰って休みなさい。何かあったら連絡するから。いいわね?」

 彼方が唇を噛みしめ一度逡巡しゅんじゅんするが、有無を言わせぬ田所の口調に渋々首を縦に振る。

「…………はい。分かりました。ありがとうございます」

 リュックサックを手に持ち、彼方が病室を後にする。

 扉が閉まったことを確認し、田所が深い溜息ためいきを吐く。

「……あーめ、あんた、早く起きなさいよ。じゃないと、あなたの大好きな彼方君…………私が奪っちゃうわよ。それでもいいの?」

 田所はそう言い、有銘の手を握る。

 有銘からの返事はない。

 零れる涙が田所の病衣びょういすそに落ちる。

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