第17話 彼方の調査

 彼方かなたは今、銀座駅に来ていた。

 勿論もちろん、担当となった事件を調査するために来ており、ある人物と待ち合わせをしているのだが、もうかれこれ二〇分は待っているのにその人物は一向いっこうに現れない。

 時刻は一二時三〇分を少し回ったところ。

 慣れない場所で待ち合わせ場所を間違えてしまったのかもしれない、と彼方は辺りを見回し確認するが、間違ってはいなかった。

 ひとつ息をき、あらためて駅を歩く人達を見る。

 彼方はこの体質のため人とあまり関わらないようにしていた。しかし、人という種の生き物がどう考え行動しているのか、という行動心理を推測するのは好きだった。それゆえ、よく都会など人の多いところに来た時は無意識のうちにひとりひとりを観察していた。

――緊張した面持おももちで歩くあそこの人はスーツを着慣きなれていないし、これから面接なのかな。あそこの背中にギターを背負った人はずっと時計を気にする素振そぶりを見せてるけど、表情は意外と落ち着いてるな。あそこのお婆さんは初めてなのかな。……あっ、目が合った。こっちに近づいてくる。

「そこのお若いの?」

「僕ですか?」

「そうじゃ。ちょっといてもいいかの?」

 腰が九〇度に曲がったそのお婆さんはれた声で訊く。

「は、はい。何でしょう?」

 彼方は若干の戸惑とまどいを感じながら答えると、お婆さんは手に持っている一枚のメモ用紙を見せてきた。

「この名前のホテルに行きたいんじゃが、どっちに行けばいいのかの?」

 それは最近できたばかりのホテルだった。何でも〝おどろきが人を感動させる〟がコンセプトのホテルらしく、来た客を驚かせることに特化とっかしたホテルだとか。そんなうたい文句に彼方は心底しんそこ胡散臭うさんくささを感じていたが、彼方の思いとは裏腹うらはら連日れんじつ大盛況だいせいきょうらしく、予約を取るのにも一年か二年くらい待たなくてはいけないという。

「ああ、そのホテルだったら――」

 そう言って彼方がお婆さんに丁寧ていねいに道を説明する。

「そうなんじゃな。ありがとうよ」

「いえいえ」

「これはお礼じゃ。取っておき」

 お婆さんが手に持っていた巾着きんちゃくからお守りを取り出し彼方に手渡す。

「いやいや、もらえませんよ。道を教えただけですし」

「それが嬉しかったんじゃよ。わしのためと思って、貰っといてくれんかね?」

 お婆さんが笑みを浮かべお守りを差し出す。

 彼方はひとつ息を吐き、それを受け取る。

「では、ありがとうございます」

「それはこっちのセリフじゃよ」

 お婆さんが手を振り去っていく。

 その後ろ姿を見ながら、彼方は一抹いちまつの喜びを感じていた。

――人に感謝されるということがこんなにも嬉しいことだとは。

 お守りを背負っていたかばんの中に入れようとした時。

「あの……坂田彼方さん、ですか?」

 頭上からふと声をかけられる。

「はい」

「遅れてすみません。改めまして、私、一條真美いちじょうまみと申します」

「あなたが一條さんですか?」

「はい。何かありましたか?」

「……いえ、事件の当事者と聞いていたので……まさかこんな若い方だとは思わなかったものですから」

 そう言って彼方は失礼とは思うも、顔をまじまじと見る。

 一條真美は彼方の言う通り、二〇代、もしくはどう上に見積もっても三〇代前半くらいの相貌そうぼうで、とても当時の事件を生で見た当事者とうじしゃであるとは思えなかったのだ。

「あら、まあ、ありがとうございます。でも、安心して下さい。私これでもあなたより四回りくらいは上ですので」

 そう言い一條が手を口に当て、ふふふ、と笑う。

 一條の言葉に彼方は愕然がくぜんとする。

――僕よりも四回りも上⁉ まるで祖母と孫じゃないか⁉ 姉弟と言われても遜色そんしょくないというのに……女性、怖い……。

 そして、その顔もさることながら、手の肌も肌理きめが細かい。指の一本一本がしなやかに動き、がさつなところは全くない。まるでどこかの貴族か皇族の生まれであるかのようである。それくらい上品なのだが、嫌味なところは少しもない。上から見下ろすような態度もない。柔らかく微笑ほほえむ様子はまさに天使のそれだった。

――有銘さんにつめあかせんじて飲ませたいほどだ。……しかし……。

 彼方にはそんな一條に一筋ひとすじ亀裂きれつを覚えずにはいられなかった。

 一條の瞳がうつろだったのだ。

 眼球に彼方の姿を映しているのにもかかわらず、その実、眼前に広がるものを見ているのではなく、どこかはるか遠くを見ているかのような印象を彼方は感じた。

――これが杞憂きゆうであればいいのだが、用心深くなるに越したことはないか。

 彼方はそう考える。

「話をうかがう前に本人確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい。構いませんが……何でしょう?」

 一條がいずかしむように彼方を見る。

 彼方は鞄の中にお守りを入れ、代わりに手帳を取り出す。

 そして、そこに書いてある内容を見ながら矢継やつばやに質問していく。

「生年月日は?」

「二一××年、一二月五日」

「血液型は?」

「AB型」

「ご主人の名前は?」

一條悟いちじょうさとる

「好きな小説家は?」

三島由紀夫みしまゆきお

「好きな人の好きな体の部位は?」

「……あの……これは何かのアンケートですか?」

「おかまいなく、本人確認の一環いっかんです」

「そ、そうなんですか……」

 そう言って、少しずかしげに一條が答える。

「……み、耳です」

「好きな人の好きな仕草は?」

「……本を読んでいる時、あごに手を当てて足を組むことです」

「好きな人との好きな体位は?」

「そ、そんなの言えるわけないじゃないですか!」

 一條が顔を真っ赤にさせさけぶ。

 それを見て彼方が深々ふかぶかと頭を下げる。

「誠に失礼いたしました。あなたは正真正銘、一條真美さん、ご本人様と判断されました」

「そ、そうですか。それは良かったです。それじゃあ、近くの喫茶店にでも入りましょうか」

「はい」

 彼方は鞄の中に手帳を仕舞しまい一條とともに歩く。

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