第28話 2章 『み・そ・の・く・ん・こ・ろ・し・て』

 「うぅ、あぁ……はぁ、はぁ……。ごめん、ごめんよ……委員長。ごめん、ごめん……助けてあげられなくて。僕が、僕が弱いから、汚くて醜いから、。ごめんなさい……ごめんなさい……」



 胸が苦しかった。



 自分の弱さと醜さを呪った。



 こんな世界も、自分も、間違っている。



 「なんなんだよ! こんなことが現実にあっていいわけねぇだろ!」



 片桐くんは隣で憤り、拳を地面に叩きつけていた。



 僕の目の前では何事もなかったかのように、そこには誰もいなかったというように、怪物の肉片は世界に溶けて消失していた。



 後には何も残らない。



 「きみたちが委員長って呼んでいた子は死んだよ――いま私が殺した」



 先輩が槍を一振りすると、槍に付着していた怪物の粘液が地面に叩きつけられる。



 その鋭利な槍は、ほんの数分前に、委員長を貫いた武器――殺した武器だった。



 「しん、だ……委員長が、死んだ……」



 起きたことを言葉にしてもまったく現実味がない。



 緑川が先輩にCEMを叩きつけて。


 先輩が両断したCEMが委員長に入っていって。


 委員長が青い大きな蜂になって。


 先輩が串刺しに……して。



 僕は何もできなくて。



 僕は何も変えられなくて。



 僕は何が起きたのか知っている、わかっている――目の前で起きたことだから。



 でも、理解することと受け入れることは違った。



 視界に映る情報が。


 先輩の言葉が。


 僕の中の思考が。



 それら全てが委員長の死を認識していても、僕の心だけは現実を拒絶していた。



 「カラースライムは脅威ランク1とCEMの中では最低ランクだけど、自分と波長の合う相手を見つけると結合して新たな姿へと変化する。あの子は運悪く適合してしまった」



 先輩が委員長に起きたことに理屈を加える。



 涙が溢れた。



 委員長の死、何もできない自分。



 取り返しのつかない現実、自分の弱さ。



 怪物が膨張して破裂する直前、僕の目に入ったのは怪物の腹部に浮かぶ委員長の顔、その口元だった。



 なにか、口が。



 動いていて。



 それ、は。



 何か、言葉を。



 紡いで、いた。




 ――委員長は。




 『み・そ・の・く・ん・こ・ろ・し・て』




 そう言っていた。




 「ごめん委員長……ごめん、ごめん……」



 委員長は運が悪かった?


 だから怪物になってしまった?



 違う、そうじゃない。



 僕が、僕が止めていれば。



 緑川たちを連れ戻せていれば



 勇気を出して行動していれば。



 この最悪な現実を防げたはずなんだ。



 委員長を助けられたはずなんだ!



 「普通科の生徒には教室での待機指示が出ていたはずだけど、これはどういうことかな」



 先輩が真偽を問う言葉を投げた。



 特に合図するでもなく、僕らの視線は緑川に集まっていた。



 「俺は俺のためにこの禁止区域まで来た。委員長を呼んだ覚えはない。それにこの場所が危険だって理解しているなら、自分の命くらいかけてこの場所にいるはずだろ……なぁおまえら!」



 緑川は先輩の言葉に返答するも、その声は震えていた。



 あの光景を見た後だ。



 怪物がどのようなものかその身で知ったのだ。



 実際に体験することで認識が変わるのも無理はない。



 教室にいた時と今では、僕らのCEMに対する認識は変わっていた。



 緑川は視線は下に落としたままで、悔しそうに後ずさる。



 彼の言葉にさきほどまでの威勢は欠片もない。



 「「「「「…………」」」」」「緑川サン……」



 緑川の言葉に取り巻きたちは返事をしなかった。



 いや、できなかったのだ。



 彼らは目の前で起きたことに思考が追いつかず、ただそこに茫然と立ち尽くしているだけだった。



 ただその中で雪谷だけが緑川を気遣う視線を向けていた。



 「きみも、きみの仲間たちも、これでわかったでしょう。ここは運が悪いというだけで人が死ぬ世界なの。覚悟のない人間は――普通科は教室に戻りなさい」



 先輩は冷たい声で、現実という名の言葉を僕たちに浴びせる。



 「今日は死ななくていい人間が死んだ――この死を胸に刻みなさい。君たちの軽率な行動は人1人の人生を潰してしまった。きみたちはこれから先も生きていくけれど、彼女の一生はここで終わった。彼女のやりたかったことも、未来でやれたかもしれないことも、できないまま彼女の一生は終わった。それを噛み締めて生きなさい。彼女の分まで生きること、それが生き残ったきみたちにできる唯一のことだよ」



 先輩の言葉は正しい。



 でも、正しすぎて、僕は簡単に受け入れられなかった。



 それは終わったことにしてほしくなかったからだ。



 だってそれを受け入れてしまったら委員長の死が出来事になってしまう、過去になってしまうから。



 今を生きる僕は、委員長を過去にしたくはなかった。



 それがわがままなのは理解している。



 わがままを通したところで現実は何も変わらないことも理解している。



 委員長を助けれなかった僕がそんなことを思う資格はない。



 それでも。



 それでも心の中では、委員長が生きていて。


 あの美しい青髪を翻していて。


 あの強さでクラスを引っ張り続けて欲しかったのだ。



 そんな未来を心の中にだけは描きたかった。



 そんな理想を壊さないで欲しかった。



 傲慢で、身勝手な、僕の理想。



 そんなものはあるはずがないのに。



 人は勝手に夢想する。



 自分の理想を。



 その夢を。



 「きゃああああああああ」



 黄金さんが叫んだ――その視線の先では、数十匹を優に超えるカラースライムの大群がこちらに迫っていた。



 悪夢は、いや――この狂った現実は終わらないのか。



 「緑川サン! ここにいるのはもう無理ですよ! はやく学園に戻りましょう! 俺は死にたくない、化け物になるなんてごめんだ!!!」



 理不尽な現実を前に柏木が叫ぶ。



 硬直していた緑川の取り巻きたちも、恐怖に突き動かされて我に帰る。



 「お、おい……おまえたち緑川さんの指示を……」



 柏木の声を皮切りにして、緑川の取り巻き全員がCEMから距離をとろうと動き出した。



 雪谷が静止しようと声をかけるも、恐怖に駆られた集団に理性は存在していない。



 皆が恐怖に駆られて動き出す中、僕は動けなかった。



 恐怖のせいで動けないのではない。



 僕は委員長の死に引っ張られて生きるという意識が欠如していたのか、CEMの大群が迫っているという事実に危機感を抱けなかったのかもしれない。



 ただそれよりも明確なことがあった。



 僕は委員長がまだ、この場所にいるような気がしたから。



 そんな幻想を抱いていた。



 僕の視界にはまだ、美しく翻る青髪が、委員長の色が見える。



 青い燐光に包まれた委員長が僕に笑いかけている。



 「ああ、委員長。そこにいるんだね」



 僕は青を纏う委員長に手を伸ばす。



 その手が委員長に触れようとして――



 「なにぼうっとしているの――馬鹿ッ!」



 立ち尽くす僕の頬に痛みが走った。


 ――先輩に叩かれたのだと遅れて気づく。



 「死んだ人のことを考えるのはいつだってできる。生きているならさっさと逃げなさい。生きている人間が生を諦めちゃいけないッ! 生きる意味を探すことをやめちゃいけない!!!」



 その言葉には多くの感情が込められている気がした。



 その言葉を発する先輩の表情はとても苦しそうで、辛そうだった。



 それでも伝えなければと搾り出された言葉のように感じられた。



 「先、輩……」



 CEMは群をなしてこちらに迫ってきている。

 


 カラースライムの1度の飛距離は1メートルほどだが、もたもたしていれば一気に距離を詰められる速度だった。



 「先輩! 先輩はどうするんですか!」



 まともに思考するだけの正気を、幻想ではなく現実を見るだけの正気を取り戻した僕は先輩のことを考える。



 僕が逃げたとして先輩はこれからどうするのか、と。



 「あの大群を何とかするに決まっているでしょ。私は決めたの。結果はどうあれ君を守るってね。大事なものを履き違えないって」



 僕にそう告げた先輩は、槍を携えてカラースライムの群れに飛び込んでいった。



 カラースライムが1体、また1体と槍に突かれ、雷に焼かれて世界に溶けていく。





 「緑川さん、逃げましょう!」



 「俺は手柄をあげなきゃいけねぇんだ。認められなきゃいけないんだ。やってやる、やってやる、やってやる……」



 雪谷から声をかけられたことにさえ気づかない緑川は、木の棒を握りしめて自分に言い聞かせるようにぶつぶつと何かを呟いていた。



 そんな彼の表情は追い詰められているように見えた。



 何かに葛藤して、戦っているように見えた。



 「俺はやってやるんだ。やらないと変われないんだ。やらなきゃ先に進めないんだ!」



 緑川が叫ぶ。


 彼は変わりたいと叫ぶ。



 じゃあ僕はどうだ。


 僕には何ができるのだろう。



 それは考えるまでもなく、先輩の邪魔にならないようにこの場から離れることだ。



 でも、心に引っかかった疑問は僕の足を地面に縫い付けていた。



 先輩の達観した表情とかけられた言葉に覚えた違和感――その言葉の意味。



 なおも続く頭の痛み、僕の中に広がる黒い何か、わからないことが多すぎて僕はひたすらに考える、思考を続ける。



 僕はそのせいでその場から動けずにいた。



 「大ちゃんはもう逃げちゃったか。雪ちゃんは逃げないの?」



 「僕は緑川さんを置いては帰れません。黄金音さんは先に戻ってください」



 「うわぉ。雪ちゃんかっこいいこというね〜。じゃあ任せたっ」


 彼らの集団は緑川を除けば雪谷と黄金さんだけが残っていて、迫る恐怖を前に他の人のことを考えられる思考を保てているのがその二人だけだったということなのかもしれない。



 そして黄金さんが何かやり取りをして、手を振りながら駆けていった。



 その場には緑川と雪谷が残される。



 リーダーの緑川が残っているのにと思うところもあるが、恐怖を前にして周囲のことを考えられるのはすごいことだ。



 基本的に人間は自分のことが大事なのだから。



 そして僕は自分がいま考えるべきことに集中しようとする。



 それはもちろん先輩のことだ



 「おい御園、肩貸すぜ。悔しいが俺たちにできることはねぇみたいだ」



 先ほどまで悔しさで地面に拳を叩きつけていた片桐くんが、無力さを滲ませた顔で僕に声をかけてくれていた。



 彼も辛いはずなのに、僕のことを気遣ってくれる。



 やはり彼は尊敬に値する人物だと思った。



 「でも、先輩が」



 「バカ、さっき先輩が言ってただろ。俺たちにできるのは生きることだ。あいつのためにもな」



 「うん……わかった」



 僕は片桐くんが肩を貸してくれたおかげで、言葉をかけてくれたおかげで、ようやく動き出すことができた。



 後ろ髪を引かれる思いがありつつも、それは幻影だと、幻想なのだと必死に思い込ませた。



 そして彼に体重を預けるようにして、ようやくこの場から離れる。





 『ホントウニ――ソレデイイノ?』


 シロイヒカリガボクヲテラシテ。


 マブシイ、コナイデ。コッチニコナイデ。




 一瞬、頭に走った白いノイズ――これは、色? コエ?



 それは黒い何かと似て非なる白色だった。



 僕はハッとして我に返り背後を確認するも、振り返った先にあるのは槍を振るう先輩の姿と、迫りくるカラースライムの大群だけ。



 コエの正体に繋がるものは何もない。



 「御園、振り返ってんのは先輩のことが気になるのか? そういやさっき話してたよな。あの先輩と知り合いだったんだな」



 「それはそうなんだけど――いや、ごめん。後ろから何かきこえた気がしてさ。片桐くんは何かきこえなかった?」



 僕と先輩の関係を説明するのは少し面倒なので、それを避ける意味も含めて違和感について彼に確認してみる。



 「御園がそう言うってことは嘘じゃねぇんだろうけどよ。今はそんなことを気にしてる場合じゃねぇだろ。早くこの場所から離れねぇとヤバイぜ。それにあんな怪物がいるくらいの非常時なんだし、何が聞こえてもおかしくねぇよ」



 「う、うん……そう、だよね」



 肩を貸してくれている片桐くんが僕を引っ張っていく速度を少し早めた。



 後ろ髪を引かれる思いで振り返った視線の先では、いまも先輩が戦っている。



 先輩は槍を振るい、雷を放ち、迫りくるカラースライムを消滅させ続けていた。



 「くっ、こいつら……いくらなんでも数が多すぎる。でも、まだ。まだまだ、終わってない。私が彼らの命を繋いでみせる、諦めるかあああああああ!」



 先輩の孤軍奮闘は続いていた。



 槍から放射上に放たれた雷は飛び跳ねて移動するカラースライムを的確に焼き落としていく。



 しかしCEMには仲間意識というものが存在しないようで、後続の個体は仲間が消滅するのを気にも止めず、ひたすらに前進し、僕らに向かって歩みを進める。



 その姿は僕らが最初に見た時と変わらないはずなのに、その凶暴性は異常なまでに増していた。



 そして先輩の奮戦によって多くの個体が消失したその先で――ついに怪物の1体が先輩の攻撃を掻い潜ってしまった。



 放たれた雷撃は2体のカラースライムが衝突したことによって狙いを外れ、地面に着弾する。



 統率のとれていない軍団は我先にと前進を続けるせいで衝突して、明後日の方向に飛ぶことがあった。



 それを先輩が先読みして攻撃を放つにしても限界がある。



 これはついにその限界が訪れてしまった。



 一人の人間にできることには限界がある。



 それだけの話で。



 あまりにも単純な話だった。



 「しまっ――逃げてぇぇぇぇぇぇ!」



 今もなお次々と迫り来る怪物の集団に、抜かれた個体を処理する暇は先輩にはなかった。



 切迫した先輩の声が、戦場に響く。



 「緑川さん!!!」



 ドンっと、雪谷が棒立ちの緑川の体を押した。



 「は――雪、谷?」



 まるで静止したかのように緑川は困惑の表情を浮かべていて、雪谷は笑っていた。



 雪谷の背後、そこには先輩の攻撃を抜けてきたカラースライムがいて、今にも雪谷に襲い掛かろうとしていた。



 緑川の表情は凍りつき、自分を突き飛ばした雪谷へと手を伸ばす。



 「ああっ――うわあああああああ」



 「雪谷ぃぃぃぃぃぃぃ!!!」



 しかし緑川の手は空を切った。



 雪谷に押された緑川がその距離を縮めることない。



 僕らが表情を凍り付かせる中で、少し寂しそうに笑う雪谷がカラースライムに取り込まれる。



 その位置は、緑川が先ほどまで立っていた位置だった。



 「ぐるしっ、あがっ、だ、だずげ……」



 粘液に包まれた雪谷のもがき苦しむ姿は、委員長と重なった。



 悪夢は――繰り返される。



 「助けられなくてごめんね。私が弱いから――恨むなら私を恨んで良い。いま、楽にしてあげる」



 雪谷の悲鳴が響いた時には、先輩がすでに駆け出していた。



 「まて、おいまて! 雪谷は、まだ生きて――」



 優しくも冷たい声とともに突き出された槍は、発色して雷を発生させる。



 雷光は瞬く間に生徒の体を貫き、粘液を蒸発させた。



 雷はそこにあった命を――生命活動を停止させる。



 緑川が雪谷へと手を伸ばしつつ放った言葉は、その一連の先輩の行動に影響を与えなかった。



 先輩は迷うことなく、雪谷を殺したのだ。



 「雪谷? おい嘘だろ……なぁ」



 完全に変態する前に息の根を止められた彼は、それ以上姿を変えることなく人のカタチのまま動かなくなった。



 雪谷は怪物にならなかったせいか、世界に溶けて消えることはない。



 2人目の犠牲者が――出た。



 出てしまった。



 「…………」



 緑川はもう動くことのない雪谷の前で呆然と立ち尽くしていた。



 命の輝きを失った物言わぬ瞳は、そこに彼の姿を映しているのだろうか。



 「なんだよ、何か文句があるなら口に出して言えよ。言いたいんだろ! おまえのせいだって、おまえが悪いって! おまえのせいで死んだって……くそおおおおおおおおお! なんで俺は上手くやれない、俺が弱いから、こんな俺だから、ああ、ああああああああああああああ!!!」



 叫ぶ緑川は当たり散らすように、でも、それを飲み込むように。



 昏く青い空に向かって吠えた。

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