第44話 2章 否定されたハッピーエンド

 僕は見つける。



 その姿を見つける。



 僕の腕の中には先輩がいた。



 瞳を閉じていても、そこにあるぬくもりは本物だった。



 先輩は青く染められていない。



 そこにあるのは僕が出会った時の姿で、紛れもない先輩の姿だった。



 奇跡が、起きた。



 ――これは夢ではない。夢ではない、んだ。



 「あ、あれ、透くん……? 私……もう死んだんじゃ。そっか、ずっと夢を見ているようなふわふわした光景は全て現実だったんだ」



 腕の中の先輩が一人納得したように頷く。



 僕に先輩の見た光景のことはわからない。



 でも先輩のソウルコアは僕を温めて励ましてくれた。



 それが夢見心地にやっていたことだとしても、僕は嬉しかった。



 心の底から嬉しかった。



 「はい、御園透です。これは夢じゃないですよ、僕は先輩を助けにきたのですから。結局は先輩に助けられてばかりになってしまいましたけど、ようやくここまでくることができました」



 僕と先輩は真っ白な空間を二人きりで漂っていた。



 「これでもう大丈夫です。先輩は助かったんですよ!」



 僕は先輩の体を確かめるように、暖めるように、離さないように抱きしめる。



 全てが解決したと、僕らはついにハッピーエンドに辿りついたのだと。



 残酷な現実を乗り越えることができたと、そう伝えたかった。



 「透くん……」



 なのに。


 

 僕に抱きしめられた先輩は悲しそうな、困ったような、辛そうな顔をした。



 全てを諦めるように、ハッピーエンドを否定するように。



 先輩は悲しい顔で首を横に振る。



 「透くんありがとう。君が助けにきてくれたことはすごく嬉しいよ。君がどれだけ辛い思いをして、どれだけの苦難を乗り越えてここまできたのかも、朧げながら見てきたつもり。でもね、私はもう助からない。私は死んだも同然の状態だ。君には悪いことをしたと思ってる。全部私が悪いんだ。私にできるのはやり残したことをやり遂げるくらいなの。だからこれは、悪い私があなたにしてあげる最後の意地悪(きせき)なんだよ」



 先輩は自分が助かる未来を否定する。



 僕にはその意味がわからない。



 先輩は目の前にいる、触れ合えている、意思が通じている。



 それなのに。



 先輩が助からないなんて。



 これが最後だなんて



 そんなことあるはずない。



 だけど先輩が嘘をつく理由なんてない。



 だからきっと本当のことを言っている。



 でも、僕は諦めたくなかった。



 これが自分の身勝手な考えだとしても、事実として奇跡は起こるのだから、世の中の常識なんて吹き飛ばして、幸せなハッピーエンドがほしかった。



 「先輩、奇跡が起きたんですよ。まだ何か、何か方法があるはずです……」



 先輩は再び、ゆっくりと首を横に振った。



 僕を諫めるように、優しく子供をあやすように。



 「ううん、そんな奇跡はないってわかるんだ。自分の体だから……かな。私自身、これが悪いことをした罰だから、死ぬことを受け入れちゃってるのかも。私には生きる資格がない、真っ当な幸せを手に入れていい人間じゃないんだよ」



 先輩は全てを諦めた顔で、吹っ切れたように話す。



 「で、でも……先輩。僕は、先輩を助けにきたんです。先輩を助けるために、ここまできたんです、よ」



 だからなんだと言うのか。



 無意味な言葉はむなしく世界に溶けるだけだ。



 僕は先輩に助けてくれとお願いされたわけではない。



 それが実現できるかどうかに関わらず、先輩は助けられることを望んでいない。



 「魔女になった私は死ななくてはならないの。魔女は――世界の敵だから」



 「違います! 先輩は人間です! 僕を救ってくれた優しい人だ! 真面目に見えて少し不良で、人のことばかり考えて、まっすぐなその瞳が――」



 先輩は笑う。



 ありがとうと言うだけで、最後まで僕の話をきこうとしてくれない。



 そんな笑顔はずるいじゃないか。



 そんな笑顔で死を選ぶのはずるいじゃないか。



 「透くん、褒め殺しだね。これで一生分褒めてもらったかも。ほら、涙を拭いて。君は笑っていたほうがずっと似合うんだから、ね……」



 先輩は決意が鈍っちゃうよと言って笑う。



 だがその瞳に宿る意志はすでに覚悟を決めていた。



 そこに僕の我儘が受け入れられる余地はない。



 そう、感じた。



 「透くん、そろそろお別れみたい。私の中の魔女が言うんだ……目の前の人間、御園を殺せって、君のことを御園って認識できるほどに、魔女は私の中に入ってきて人間(わたし)を理解している。おかしいよね。私は透くんのことを御園なんて呼び捨てにしないのにさ。私の上部だけを掬い上げて私になりきった気でいるんだよ。こんなのは私じゃないって透くんならわかるでしょ。でも、この殺すっていう衝動を、私は止められない。魔女の命令に逆らえないんだ――だから」




 世界は色を取り戻しつつあった。




 白き極光、透明が起こした奇跡は終わりを告げる。




 先輩の体は青さを増して、人間ではない存在へと変わっていく、戻っていく。




 「透くん。お願いがあるの」




 優しい笑み。




 終わりを告げる、言葉。




 人間の先輩が僕に伝えたいこと。




 おそらくこれが最後になる。




 止まらない涙に顔を濡らして。




 「聞きたくありません……う……くっ……」




 次の言葉――それは。




 きっと、決定的なものだと思ったから。




 僕はこの奇跡を少しでも引き伸ばしたくて、駄駄を捏ねる。




 「ほら、男の子でしょ。わがまま言わないで……」




 僕の涙を先輩が拭う。




 「はい、先輩……」




 暖かな涙が流れていた。




 僕に別れの言葉を受け止める覚悟なんてない。


 


 この覚悟は先輩を助けるためのものだ。




 さっき駄駄を捏ねたのは、先輩の言葉が予想できてしまったから。




 先輩が最後の言葉を口にする。




 僕には何の準備も出来ていないのに。




 先輩は先へ先へと進んでしまう。




 思えば、先輩は出会ったときからそうだった。




 いつも僕を引っ張って、それでいて新たな世界を見せてくれた。




 その終着点がここなのか。




 僕は悔しい。


 僕は無力だ。




 そんな僕に先輩は告げる。




 私のソウルコアは君に託すから、と。


 後のことは君に任せるね、と。


 違うな、君にしか任せられない。




 そう訂正してから。




 先輩の最後の言葉は。




 「透くん。私を――――――殺して」






 結局、弱い俺は先輩を殺すことができなかった。



 だから、オレが改めてここに誓う。





 「ボクが、いや――――オレが必ず、先輩を殺してみせる」





 「待ってるよ。一年後に、また会おうね」

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