第45話 間章 喪失の連鎖

 俺には秘密がある。



 誰にも話せない契約がある。



 その契約が結ばれたのは一年前のあの日、先輩を失った戦いが終わった後のこと。




 戦いの後、僕を含め傷ついた新入生たちは同じ医療施設に搬送されていた。




 魔女との戦いでボロボロになった僕たちは医療施設内の治療ポッドで処置を受けることになり、その中で静かに眠っていた。



 あの時、白き夢の中で先輩と会話したのを最後に、僕の戦いは終わった。



 『わたしを殺して』



 先輩との約束は一年後だ。



 そのために僕は強くならなければいけない。



 1年という時間は長いようで短い。



 その中で強くなるというのならば、なおのこと僕に残された時間は少ない。



 成長のために費やす全ての行動を効率的に、最短で身につけていく必要がある。



 僕は自分のやるべきことを意識する。



 ゆったりとした微睡は自分の目的を意識したことで吹き飛んでいた。



 覚醒した意識の中でカラータグを立ち上げると、丸1日分の時間が経過していることがわかる。



 そしてどうやらこの場所が学園区画内の医療施設で、妹の入院している施設と同じ場所だと気づいた。



 「透架……大丈夫かな。昨日はお見舞いに行けなかったけど……」



 妹のことが気になった僕は治療もそこそこに医療ポッドから飛び出して、着の身着のままその足で妹の病室へと向かった。



 ボロボロになった体の処置で1日中まともに動けなかった僕は、この日初めて、いままで欠かさずに毎日通っていた妹の病室を丸1日訪れなかったことになる。



 僕は妹のことが心配で気が急いて、その足は自然と早歩きになっていた。



 幸いなことに入院している場所が同じ病院だったため、病院着で歩き回ることを周りの人間から咎められることはなかった。



 今の状態で外に行くことは許可されないだろうし、何よりこの格好は外で目立つ。



 どうにかここを脱出できてもすぐに連れ戻されるのがオチだろう。



 ただ僕の焦りようは周りから見れば不審に思われるレベルなのだろう。



 先ほどから周りの人間が僕にチラチラと視線を送っている。だが今の僕にはそんなことを気にしている余裕がなかった。



 僕が毎日見舞いにやってくるのを楽しみにしている透架、その姿が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。



 別に毎日の見舞いに何か特別なことがあるわけじゃない。



 妹は誰かに狙われている高貴な身分とか、そんなことは決してない。



 それでも当たり前の毎日を過ごすこと、普通に生きるということがどれだけ尊いことで、強者の作り上げた世界で成り立つことなのかを僕は知った。



 僕がここまで焦っているのは、先日の体験のせいで間違いない



 あの日、怪物が彩る青き世界で僕が思い知ったのは。



 自分の無力さ、現実の残酷さ、そして何より――人間という存在の儚さだった。




 人間は弱い。自分のことを弱いと知らない人間は死ぬ。


 人間は脆い。世界という暴力は容易く人間を壊す。




 だから僕は自分の家族を心配する。



 たった一人のかけがえのない家族のことを心配する。



 守るべき存在が自分の手から零れ落ちてしまうのではないのかと呼吸を乱し、身体中を駆け巡る痛みで顔を顰めながら、ただひたすらに家族の元へと急ぐ。



 「透架ッ!」



 僕はゆっくりと開く自動扉の開閉が焦ったくて、その広がっていく隙間に体を滑り込ませる。



 病室の扉の先で僕の視界に広がるもの、それは。



 「あ、兄サん! やっときテくれた〜透架寂シかったよ〜」



 明るい声。向けられる笑顔。


 こちらに向かって駆け出す妹の姿。



 「え、あ」



 その全てがおかしかった。


 間違っていた。あり得なかった。



 僕はいま夢を見ているのだろうか。



 普段通りであれば、透架は治療ポッドで眠っているはずだ。



 でも、眼前の透架は医療ポッドから抜け出している。



 読みかけの本のデータを宙に浮かせたまま、僕の胸に飛び込んできたのだ。



 おかしい。


 こんなことはありえない。



 透架はいま、自発的に本を読むことができないのだから。



 「ちょっト兄さん? キいてるの?」



 妹は僕の体に顔を埋め、上目遣いで僕を見る。



 言葉が出てこなかった。


 妹の病気は簡単に治るものではない。



 今日明日の調子で回復するものではないはずだ。



 以前うちの高校を受験するという妹の言葉を否定しなかったのは、完治の見込みが薄いとしても未来に希望を持ってほしかったからだ。



 草壁さんから読書会をやろうと提案されたときも、そんな未来を実現したいと、妹は絶対に喜ぶと確信したから断らなかった。



 全ては妹の病が治ることを信じて。



 いつになるかわからない先の未来のための行動だった。



 僕は妹の瞳をじっと見て、震える声で言った。



 「おまえは……っ。誰だ」



 僕の言葉に一瞬だけキョトンとした表情を見せてから、ソレは妹の顔で悪辣な笑みを浮かべた。



 途端、僕に抱きついた華奢な体から甘い芳香が漂い始める。



 「兄サん怖いよ。どウしたの?」



 そこに少女が見せるあどけなさはない。



 相手を誘惑する艶を帯びた声音で僕を拐かそうとするソレは、いまだ僕の妹の演技を続けるようだった。



 そのやり取りを不快に感じた僕は、決定的な証拠を突きつける。



 「僕の妹はな。僕のことをお兄ちゃんと呼ぶんだ」



 「うふッ、あはハはははは。せーイかい! ピんポンピンポーん、よくワかったねぇ。流石ハお兄ちゃん♪ コの子の体を乗っ取っているのがバレちゃったぁ〜、アははっ」



 妹のフリをするソレはお腹を抱えて笑い、嫌味を込めた可愛らしくもいやらしい言い方でその呼び方を使った。



 自分が妹ではないことがバレたところで痛くも痒くもないというような表情、その顔はこちらを試すかのように僕を見ていた。



 頭の天辺から足のつま先に至るまでを検分するように、舐めるように見ていた。



 「その表情と呼び方をやめてくれ。おまえはなんだ? おまえの目的はなんなんだ? 僕の妹に何がしたい? 僕を騙して何がしたいんだ?」



 カラカラに渇いた喉から必死に言葉を絞り出す。



 いまこの場で有利なのは相手のほうだ。冷静になれ。



 妹の体を使うことに何らかの目的があるはずだ、相手を探れ。



 「えーせっかチだな〜。まァいいや。ダマすなんて、エヘヘ。そうだネ、うふふ。私ト家族になっテほしいの」



 「なんだって?」



 予想外の内容に思わず聞き返してしまう。



 命を要求されると思っていた僕は肩透かしをくらった気分になっていた。



 家族になってほしい……僕の聞き間違いじゃないよな。



 「ソういえば自己紹介を忘れていタね。ワたしは透明の魔女スケルティア。得意なことは遮断ト隠蔽で〜演技は勉強中かなァ。あははッ。私は世界を救イたい。ダから家族になってほしいの」



 自分のことを魔女だと名乗った存在はペラペラと自己紹介を始めた。



 だがその全てを冷静に聞き取ることはできない。



 魔女という単語。



 そのせいで僕は気が狂いそうになっていた。



 わけがわからない。



 目の前で妹の体を乗っ取っているのが魔女。



 つまりはCEMということだ。



 先輩の体を乗っ取ったのと同じ存在。



 いま僕の目の前にいるのは人類の敵で、妹の体を乗っ取っている。



 「悪い……冗談にしては、悪趣味すぎる、だろ」



 先輩の体を魔女が乗っ取ったことから、僕は魔女が人間の体を乗っ取れることを知っている。



 だが、妹のフリをしている存在が魔女だと看破できるほど僕は冷静ではない。



 それでも、再び僕の目の前に怪物の最強種が現れるなんて誰が想像できる?


 魔女という存在は希少な存在ではなかったのか?



 僕は青き魔女が起こした暴虐の数々を思い起こして身を震わせた。



 あの戦いが僕の中で終わっていないように、世界は僕を苦しめ続ける。



 「ドウしたの、オ兄ちゃん。苦しそう……」



 先輩に続いて透架がその体を魔女に乗っ取られた。



 目の前の魔女があの青き魔女と同質の存在だとして、今のところ殺意は感じられない。



 僕を殺そうとするどころか、優しく抱擁している。



 「なぁ……これは悪い夢かなにかだろう。あの体験が見せるフラッシュバックみたいなものなんだろ。もう……これ以上奪わないでくれ……」



 「可哀想なお兄ちゃん。よしよしシテあげる。私はあナたをきずつけたりしナい。私を家族にスれば全てが上手くいク。さァ私を受け入レて――お兄ちゃん♪」



 魔女は笑う。



 妹の顔で、妹の声で、笑っている。



 妹が本について語る声で、僕がお見舞いにきたときに見せる顔で、笑っている。



 魔女は僕を傷つけることはなく、甘い香りを漂わせながら、僕を愛撫する。



 僕は先輩を失って、妹を失って。



 失って、失って。



 僕には何が残っているんだ。



 いっそ、このまま。



 「あぁ……心地いい。もう、このまま――――ッ」



 僕が全てを諦め、快楽に身を任せようとしたとき、自分の中で黒が瞬いた。



 それを皮切りにして、あの日に救えなかった命が、先輩の顔が頭に浮かんでは消えるを繰り返す。



 あの日、僕は俺になった。



 先輩を救うために強くなると決意した。



 それは魔女に勝つことを決めたのと同義だ。



 でも現実はどうだ?



 魔女に全てを委ねようとしているのは誰だ?



 弱い僕から強い俺に変わるんだろ。



 目の前の魔女に拐かされている場合じゃない。



 先輩を助ける。妹を助ける。



 どちらも俺にとってかけがえのない存在だ。



 だからまずは現実を直視して、向き合うのだ。



 「オ兄ちゃん?」



 快楽に溺れかけた僕は停止した。



 それを不審に思ったのか魔女は上目遣いで俺の様子を窺う。



 そんな魔女について俺は冷静に考える。



 彼女は家族になってほしいという。



 前提として、家族になるとはどういうことか。



 大和に戸籍を登録すれば家族になれる、というか妹の体を乗っ取っているのだから、外面的には家族になったも同然と言っていいはずだ。



 魔女は俺の承認を得ようとしている。



 つまり精神的な部分で自分を家族と認めてほしいということか。



 もしくは魔女という存在にとって家族という言葉が、人間の使う家族とは別の意味を持つという可能性も考えられる。



 まずはその真意を探らなくては話にならない。



 「まず――家族になりたいっていうのはどういう意味なんだ。人間と魔女は敵同士のはずだ。キミは怪物を率いて大和を襲った青い魔女とは違うのか?」



 魔女は笑った。


 至極真っ当な質問ダ、と前置きして語り出す。



 「あー、モしかしてアビスと比較しているのかナ。あの子と比べられるノには不満があるんだけど、お兄ちゃんが知っている魔女はアビスだけダもんねぇ。ふふっ、まぁ私は人間に対して敵意なんてこレっぽちもないからさー。魔女と人間とか小さいことは気にしないデ」



 俺が全然小さくないだろと抗議の声を上げる前に、魔女はそれを表情から読み取ったのか、邪悪な笑みで微笑む。



 まぁまぁと俺を宥めながら、おもむろに俺の肌を舐めた。

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