第46話 間章 イモウトの望み

 肌を舐めた。



 肌を……舐め、た?



 妹の小さな舌が、ちろちろと僕の肌を這う。



 まだ治りかけの傷の上を優しく撫でる。



 魔女の意図はわからない。



 だが魔女に乗っ取られているとはいえ妹に体を舐められているのは事実は、背徳感という名の電流となって俺の体を駆け巡った。



 「異文化交流クらい人間もヤってるじゃない。抱擁しテ、相手を舐め回シて、愛情を表現すルの」



 こいつ……人間の異文化交流を何か別の行為と勘違いしてないか?



 まずは人間のコミュニケーションから身につけさせて……。



 うん?



 なぜ、俺は。



 ――こいつと一緒に暮らすことを前向きに検討しているんだ。



 違う。この思考は違う。



 俺のものじゃない。



 俺の考えじゃない。



 「くっ……」



 依然魔女に体を拘束された状態の俺は、心だけは抗おうと必死に抵抗を試みる。



 そんな俺を見た魔女はやれやれとため息をついた。



 「お兄チゃんはカラーへの耐性が高くて面倒だなぁ。同じ魔女のアビスに対してならともかく普通の人間ならこれでイチコロのはずなんだけど。マぁともかく、私と家族になレば特典がイっぱい。妹の病気が治るし、透明のカラーの使い方を教エてあげられルしー、ソウルコアの使イ方も――」



 魔女は矢継ぎ早に家族になることのメリットを指折り数えて並べ始めた。



 それは人間と魔女が家族になることを、その関係性のハードルを小さいことだと言い切ってしまえる彼女なりに考えて発言だろうか。



 「おいまて、待ってくれ。いま何かしたんだよな? カラー耐性がどうとか言ったよな???」



 魔女は素知らぬ顔で下手くそな口笛を吹いている。こいつ……。



 「あの青い魔女の名前がアビスなのはなんとなくわかったけど、君には敵意がないということ、妹の病気が治るってのは本当なのか?」



 世の中、うまい話は転がってこない。



 昨日、あれほど現実の残酷さに打ちのめされた後なんだ。


 これは警戒すべき、何か裏があると考えるべきだ。



 僕は魔女が列挙した特典の内容――カラーの使い方という言葉に惹かれる部分がありながらも、彼女に敵意がないこと、そしてなにより妹の病気が治ることの確証を得たかった。



 そして確証を得た上で見極めなくてはならない。



 妹の体を乗っ取った魔女――スケルティアの真意を。



 「――――本当だよ。私の再生能力で妹の病気を治してあげる。まぁこの、君たちが病気と呼んでいるものの正体がわからないうちは、この子の病は一生治ることはないだろうけど。人間は病気という言葉を便利に使いすぎているワケだ。ふふっ。人間ってオロカ〜」



 これだけフレンドリーに接しているのに〜と言って舌を出す魔女の口を無理矢理に閉じる。



 しかし目下の問題は妹の病気についてだ。



 魔女の言うことを鵜呑みにするならば、このまま治療を続けたところで妹の病気が完治することはない。



 ただこの言葉の真偽を検証することができないのもまた事実だ。



 俺には魔女が嘘をついている可能性を否定できない。



 「ほらホら〜魔女の私が救いの手を差シ伸べてあげてルんだから〜お兄ちゃんはラッキーナんだよ?」



 ダメだ。冷静になろうと自分に言い聞かせているのに、僕の中からは沸々と怒りが込み上げてくる。



 魔女の軽い態度が、人の命の重さを軽んじる態度が、俺は許せない。



 俺の大切な人を奪ったのはこの魔女ではないのに、魔女に奪われたという事実が俺の理性を蝕んで犯していく。



 先輩との約束を守るため、妹を病から救うため、俺が魔女と協力することで得られるメリットは大きい。



 デメリットは魔女という人類にとっての爆弾のような存在と家族になることくらいか。



 メリットとデメリットを天秤にかけるなら協力すべきだと俺は思う。



 だが俺の意識は魔女に協力するすることを拒んでいた。



 それは目の前で先輩を奪われた光景が、脳裏に焼き付いてしまっているから。



 「……つい先日、魔女に大事な人を奪われた俺にそれを言うのか。今目の前で大事な妹を人質にしてそれを言うのか。お前たちは自由気ままに振る舞って奪うくせに、与えるから協力しろと言うのか!!!」



 ついに言ってしまった。



 理性で抑えきれなくなった感情を爆発させてしまった。



 これが俺の偽りない本心だとしても、俺はいま助けられる命を優先して自分を律するべきだった。



 俺は自らの失言に後悔する。



 1度口から出た言葉は世界を変える。



 それはなかったことにはできない。



 発言を撤回することはできても、その発言をした事実はなくならない。



 その発言を受け取った者に生まれた感情が消えることはない。



 俺はいま、自らの手で妹が助かる道を壊してしまった。



 もう、言葉を吐き出す前の過去には戻れない。



 「ンン? といウか、何か勘違いをしているようだネ。訂正しておコう」



 そんな前置きを置いた魔女の体から濃厚な甘い香りが漂い始めた。



 最初の香りとは濃度が違う。



 「う、うぁ……」



 香りは情報となって嗅覚を通して脳に伝わり、俺の魂すら揺さぶった。



 目の前にいるのは魔女だとしても、その体は妹のものだ。



 あのアビスですら先輩の体を乗っ取ってから全力を出せていないように見えた。



 だというのに、目の前にあるはずの妹の体は、完全にその焦がれるような甘さを体内に溶け込ませて、魔女として完成している。



 魔女が怪物としての側面を、その存在を俺に叩きつける。



 魔女は、その完全に魔に染まった妹の声で、囁いた。



 「私はお兄ちゃんと交渉するつモりでここにキたわけじゃなイ。こレはお兄ちゃんが一方的に私の要求を飲むだけナの。アなたの魂を支配するのが難しそうだったから、特典の話をしタだけ。お兄ちゃんが万が一にも自殺という選択をシないための、フォローだよ。お兄ちゃんは可愛い妹のタめなら命をかけられルでしょ? 先輩のために全てヲ投げ出せなくても、ネ」



 魔女は妹の顔をして、俺を奥底から壊していく。



 俺は魔女に自分の存在を弄ばれながらも、妹を、先輩を救うために、自分の人生をベットする。



 「確かに俺は、妹のため、なら――」



 最後に魔女はふふっと笑ってから、それとね、と言葉を付け足した。



 「お兄ちゃんは自分の価値に気づイていない。いヤ、目を逸らしていルというのが正しいかナ〜本当にオロカ〜」



 僕を抱きしめていた魔女は、その耳を僕の胸に当てて、決定的な言葉を放つ。




 「お兄ちゃんの魂、中身は人間のものじゃないでしょ」



 そして付け加える。




 ――バ・ケ・モ・ノ♪




 「な、にを」



 魔女は何を言っているのだろう。


 意味がわからない。



 俺の体に耳を当て鼓動を愛おしく聴き取る彼女の顔は恍惚に満ちていた。



 「お兄ちゃんは実の妹を人質に取られているノに、まとモな反応ができている時点でおかしいよネ。マァここは私も魔女なりの考察を話してあげル。お兄ちゃんの透明なカラーは世界が時代の流れ、あるイは変革の中で忘レてしまったものダ。透明は希少なカラーなんだよネ。それでどこかの国が透明を作ろうとしたこともあったとカ。出来上がったのは心のない怪物だったらしいけどネー。それから怪物は死んじゃってタけど、その透明の怪物は他のカラーの認識がよくできていたんだっケ。お兄ちゃんの目も他人のカラーを正確に認識しすぎているヨネ。それはもう機械の如く。あははっ、ふふっ、あはははははははははっ」



 言葉が掠れて出てこない。



 「ちが」



 否定したいのに。



 俺は人間のはずなのに。



 自分が異常であるということに思い当たることが多くて。



 自分がまともであることに自信がない。



 「お兄ちゃんはこの世界が不満なんダ。だから自分のスペックを下げルことで無知な人間として生きヨうとした。魂の形までそっくり変エて、自分といウ存在を生まれ変わらせた」



 こいつは何を言っている?



 こいつは誰の話をしている?



 「なんの根拠があってそんなことを――うっ」



 僕の言葉は止まった。



 魔女が僕の胸に腕を突き込んでいたからだ。



 「じゃあその証拠を見せて、あ・げ・る♪」



 それは石土さんが先輩のソウルコアを取り出したときのように。


 僕が先輩にソウルコアを返そうとしたときのように。


 胸に空いた虚空に腕が突き込まれて、僕の深いところに触れていた。



 妹(魔女)の手が俺の大切な部分を撫で回す。



 俺の全てをほぐして解き明かすように、うんうんと相槌をうちながら、口の中に入れたものを舌で転がすようにして吟味する。



 「は〜い、残念。魔女の私は誤魔化されません。周りの人間は騙せても、カラーを司る魔女を騙そうなんテ無理なの。魔女の中でも透明を司る私はカラーに詳しいんだかラ。あはっ☆」



 「俺が、周りを、騙している、だっ――ぐ」



 魔女は俺の大切な部分を弄びながらも、その視線を魂から離すことはなく、瞬きすら行わない。



 魔女の透明な瞳が俺の中を暴くように見つめている。



 「大好きな先輩を助けることで、あなたの新しい人生がスタートするところだったのに。お兄ちゃんはつくづく運が悪いよ。いやぁ――これがお兄ちゃんの魂が背負った運命なのかもねぇ。お兄ちゃんの魂は穢れきっていて、その汚れはどれだけ洗っても魂の奥底まで染み付いていて取れやしない。ねぇ、新しいお兄ちゃん――根拠とか言っているけど、そんなに震えてどうしたのかな。これは――――何かなぁ?」



 「ぐうっ」



 魔女が僕の胸から腕を引き抜く。

 


 引き抜かれたその腕は黒く汚れていた。



 その黒は歪で醜く、どこまでも汚れていた。



 この世の穢れを煮詰めたような――色、だった。



 魔女はその穢れを俺に見せつけるように、指と指の間で糸を引かせた。



 「これは。あっ、はっ、あ」



 それが自分の中から取り出されたものだという事実に、僕は崩れ落ちてしまいそうになる。



 これが俺の正体なのか。



 こんなにも醜い存在が僕の本性だというのか。



 理解できない。



 受け入れられない。



 でも、俺はあの極限の戦場の中で委員長や怪物の姿を美しいと感じていた。



 自分が嫌悪していた感情こそが、自分の本性だったのかもしれない。



 ああ、そんな。



 こんなことって。



 なんで。



 どうして。



 明かされた事実、目の前に突きつけられた現実が俺の心を壊していく。



 僕から俺になったはずの仮面が崩れ落ちていく。



 「デもね、お兄ちゃんはそれでいいノ。私がお兄ちゃんを肯定してあげる。私がお兄ちゃんを赦してあげる。私を本当の妹だと思っていいんだよ。さぁ、お兄ちゃんが真に望むものを教えて。それがどんなに汚れきった願いで、倫理を疑う内容で、私利私欲に満ちていても。私が隣で支えてあげる。私もその汚泥に塗れてあげる。だからもっと、お兄ちゃんの中を、その奥底にあるものを私に見せて。ふふふ、きゃはははは、あははははははは」



 魔女はけたけたと笑う。



 僕の中から取り出した色を舌で掬い取り、舌の上で転がす。



 妹の綺麗なピンク色の舌は蜂蜜のような匂いを纏っており、その上では俺の汚れが存在を主張していた。



 「な、あ、うあ」



 魔女はそのまま俺の汚れを味わって、飲み込んだ。



 ごくり、と魔女の喉が鳴る。



 「全部出しテ、全部晒して。醜い人間以下のお兄ちゃん。そんな醜さは同じ人間では受け止められない。私が魔女だから受け入れてあげられる。この世でお兄ちゃんの汚れを理解してあげられるのは私だけなの。だからその穢れの全てを解放するの、うふふ」



 ああ、誰にも言わないはずだったのに。



 心の奥底に、魂の奥底に秘めて蓋をしていたはずの、どろどろしたものがこみ上げてきて気持ち悪い。



 きっと先日の出来事の全てが、俺の中に封じていたものを呼び起こした。



 俺がオレだったから。



 みんな失った。



 ああ、そんな。



 知らないままがよかった。


 気づかないままでよかった。




 俺じゃないオレが広がっていく。


 魂の奥底から溢れた色が僕と混ざる。




 これは憎しみ?


 これは怒り?


 これは――?




 ドロドロした色めく感情の中から読み取れるのは、世界への憎しみと怒り。



 でもその中には、キラキラと輝く部分もあって。



 「出てキて――私が望む、色ノ破壊者。世界を統べるにふさわしイ力の権化、世界を変革する圧倒的な暴力、その本性を私に見せテ。私があなたの願いを叶えテあげる」




 「俺――オレの、のぞみは」

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