第43話 2章 全てが混ざり合い、溶け合った

 「御園―! 無事かー!?」

 


 声が聞こえる。



 その声を呼水にして意識が浮上する。



 そして繋ぎ直されたように五感から情報が流れ込み始めた。



 不鮮明な視界はピントを合わせるようにして、少しずつ明瞭になっていく。



 「――っ! はっ、あ、はぁ……はぁ……」



 意識を取り戻した僕は辺りを見回す。



 水に浸された地面、倒れた木、そしてそこに寄りかかるように倒れる自分がいた。



 この場所が魔女から離れているということは、どうやら僕は下から現れた水龍に吹き飛ばされて意識を失っていたらしい。



 どのような飛ばされ方をしたのかわからないが、とりあえず僕は生きている。



 まずは片桐くんに無事だということを、ずっと握ったままの拳から親指を立ててサムズアップのサインで伝えてから、僕は思考を巡らせる。



 僕はそのサムズアップした自分の手を見て気づく。



 血塗れでボロボロになったはずの手には傷一つ見当たらない。



 それはおかしい。



 僕の拳は魔女の水の鎧を殴り続けて血塗れになっていたはずだ。



 あの痛みと、感じた無力感は本物だった。



 あれが夢などということはあり得ない。



 では、この傷ひとつないこの手は。



 いや、この傷ひとつない体はなんだ。



 水龍の纏う黒き雷に打たれた箇所が、水の鎧を殴り続けて血濡れになった拳が、水龍に吹き飛ばされ木に激突した僕の体に傷ひとつ残ってないのはおかしい。



 そこで僕は、先ほどの白昼夢のような体験を思い出す。



 ――もしかすると、本当に神様が力を貸してくれたのかもしれない。



 水龍に吹き飛ばされて無傷などころか完全に傷が癒えているのだから、これは神が起こした奇跡の御技しか言いようがないだろう。



 そして強く握りしめていた拳を開けば手の中のぬくもりが――先輩のソウルコアが教えてくれる。



 キミは生きていると、まだ終わっていないと。




 キミは立ち上がれると――僕に勇気をくれる。




 僕が先輩を助けるんだ。



 まだ終わっていない。




 だからここで諦めるなんて、あり得ない!!!




 「おいっ、こっち向け!」


 「俺を無視してんじゃねぇよ。この化け物が!」



 片桐くんと緑川は瓦礫を拾って魔女に投げつけていた。



 破壊し尽くされた地面のおかげか投げるものには困らないようで、次々と投げ込まれる瓦礫が魔女を襲っている。



 しかし投擲された瓦礫は水の鎧を打ち抜くことはできず、その衝撃は水面を揺らすだけだ。



 だがそれ行為によって、僕には魔女の集中が乱れているように見えた。



 「カトウ、セイブツGAAAAAAAA!!!」



 僕の所感を形にするように魔女は怒りをあらわにして、コエを――水龍を放つ。



 水龍の攻撃は瓦礫を投げる2人に向いていて、僕が意識を取り戻したことは魔女に気づかれていないようだった。



 「深海悪夢龍」



 水龍は飛来する瓦礫の全てを飲み込みながら、投擲を続ける2人へと突進する。



 「今だっ」



 僕は魔女の行動を観察しながら自分の立てた作戦を検討しつつ、タイミングを見計らって行動を開始した。



 寝転んだ姿勢からなるべく音を殺すように起き上がり、低姿勢を維持しながら移動する。



 そして魔女の死角に入り込むため、迂回しながらその背後を目指す。



 後方から2人分の悲鳴が聞こえるが、僕は心を鬼にして歩みを止めない。



 そのおかげか魔女の攻撃の隙に水龍を迂回することに成功していた。



 僕は魔女に気取られぬまま背後へと回り込む。



 まずは心の中で囮になってくれた2人に感謝と謝罪を済ませ、僕が今やるべきことに集中する。



 僕が魔女を倒すために最初に考え、確認すべきだと思ったこと。



 それは魔女の背後には水の鎧が張られていないかもしれないという可能性。



 そのような淡い期待が通用する相手ではないことはわかっている。



 現に水の鎧は魔女の全身を覆う壁となって先輩と僕の間に線を引いていた。



 「たどり着いたぞ、魔女! お前の敵はここだ!」



 僕は水の鎧の可能性に賭けた奇襲が失敗に終わったことで即座に思考を切り替え、堂々と魔女に自分の存在を宣言する。



 「マダ生きテいたか、人間! いいかげんにキエロ」



 再度の対峙に魔女は苛立ちを見せ、そのまま僕を消し去ろうとコエを紡ぎ始める。



 「先輩を取り戻すまで僕は諦めない。はああああああああ!」



 僕は輝きを増す先輩のソウルコアを握りしめ、水の鎧を殴りつけた。




 しかし水の鎧は壊れない。




 僕の拳程度では水の鎧を突破できないことはわかっていた。



 先輩のソウルコアの輝きに頼るだけでは突破できないことはわかっていた。



 でも、それでも僕には確信があった。



 だからひたすらに水の鎧を殴って、魔女の攻撃を待つ。



 僕に対して、僕ら人間に対して苛立ちを募らせる魔女は、これで終わりだと再び水龍を出現させる。



 ――僕はこの瞬間を待っていた。



 この瞬間のために僕は行動していた。



 「ここだ――!!!」



 僕は再び魔女へと拳を突き込む。



 その場所はさきほど僕が殴った場所で、水の鎧が張られていた場所だ。



 よってもたらされる結果もさきほどと同じ、無駄の一言で片付けられるものになるはずだった。



 そのはず、だった。



 「届いた、やっと届いた……!」




 僕の拳は魔女――先輩の体にぶつかる。



 魔女を守っているはずの強固な水の鎧は消失しており、その役割を果たしていなかった。



 「な、ニ」



 これは意識を失う前に目の当たりにした光景が鍵だった。



 僕が気を失う前に見た、水龍の出現した時に魔女の纏う水の鎧が消えていたこと、それは先ほど2人に向けて水龍を放つ際にも重ねて確認し、検証済みだった。




 そこから僕が得た答え。



 ――魔女は水の鎧と水龍を同時に使えない。




 そして僕はいま、水の鎧を超えて先輩の体に拳を押し付けている。



 先輩の体の胸部に押し付けた拳の中で、先輩のソウルコアがその輝きを増す。



 これは自分の体だと主張する。



 「クソ、ニンゲンゴトキ、ゴミガ!」



 水の鎧は消えた。



 無防備で華奢な先輩の体は僕のように虚弱な男でも簡単に取り付くことができる。



 水の鎧を再度展開する魔女だが、もう遅い。



 僕は先輩に密着している。



 僕は先輩から離れない。



 先輩の体に抱きついて、訴えかける。



 「先輩……元に戻ってください! 一方的にお別れなんて、僕は嫌です!」



 たとえ出会ったのが今日のことで、初めてだとしても。



 でも、それでも。



 僕が伝える言葉に、自分の気持ちに嘘偽りはない!



 先輩のソウルコアが脈打つように色を放ち、それが魔女――先輩の体に纏わりついていく。



 先輩の体はソウルコアを受け入れ始め、僕の拳が胸の中の虚空に沈み始める。



 「ハナセ! コンナ、ヒンジャク、タマシイゴトキ!」



 その時、魔女の纏う黒と青が、先輩のソウルコアの侵入を阻む。



 僕の拳は弾かれるように胸部の虚空から抜け出す。



 そして魔女は自分が巻き込まれることを恐れて水龍を動かさないものの、その身に黒き雷を纏うことで僕を攻撃する。



 「ぐああああああああああ! う、あ……う」



 迸る黒き雷に視界がチカチカと明滅し、身体に力が入らない。



 水龍を回避していた時は掠っただけで僕の体に大きなダメージを与えていた。



 今の僕は先輩の体に密着しているため、その攻撃をモロに受けることになる。



 黒き雷の直撃、その威力は想像を絶するものだった。



 僕は魔女の圧倒的な力の前に、為す術もなく先輩の体を解放する。



 魔女の力は残酷なほどに強かった。



 僕は最初からその圧倒的な差を理解していたはずだ。



 それなのに僕は、この狂った青き世界のせいなのか自分が戦えると思い違いをした。



 やはり人間は魔女に勝てない。



 これをどうにかするなんて無謀無茶無意味と諦めの言葉が頭を埋めていく。



 僕の体は限界を超えている。



 感じ取れるのは拳に握られた先輩のぬくもりだけ。



 あともう少しなんだ。



 もう少しで希望へと手が届くはずなんだ。



 このソウルコアさえ返すことができれば、きっと。



 だから待ってくれ。



 まだ倒れないでくれ。



 ……まだ先輩を助けていないから。



 ……もう少しで先輩を助けられるから。



 黒き雷を纏う先輩(希望)に手を伸ばすも、僕の視界は斜めに傾いていく。



 「うっ、――っっっ!」



 よろめき、崩れ落ちる僕の体を誰かが引っ張り上げた。



 それは魔女、あるいは先輩だった。



 彼女は片手で僕の首を掴んで、軽々と持ち上げている。



 その力は圧倒的で僕は抵抗できない。



 動けない僕を2色の瞳が見つめている。




 その瞳には暗く深い青と――――が広がっていた。




 「オマエ、コロシテオク」



 魔女の手が黒き雷を纏った槍となって、僕の体を貫こうとしている。



 魔女に持ち上げられているせいで避けることができない。



 いや、避けることなんて最初から考えていなかった。



 それは魔女の、先輩の。



 暗い瞳の中に小さな暖かい色が見えたから。



 「先輩、がはっ……いま、だずげま、ず……がら……」



 血を吐いた。


 体は麻痺して動かない。



 意識は今にも飛んでしまいそうだ。



 でも、そんな擦り切れる寸前ぼ頭の中は先輩のことでいっぱいだった。



 先輩はまだいる、そこにいる、消えていない。



 その暖かな色を僕は知っているから。



 そして瞳の中の暖かな色と共鳴するかのように、僕の手に握られた先輩のソウルコアは黄色と黒色の輝きを増していく。



 この黒色はなぜか、最初に感じていた不快感がなかった。



 違う。



 その黒の中から黄色が姿を現した。



 新たな、いやずっとあった黄色が僕を包む。



 ぬくもりが僕の体を包み込んでくれる。



 その現象は僕の中の希望の火に確信の薪をくべていた。



 「ナゼ? カラー、ガ?」



 手刀を突き刺した魔女は困惑を隠せない。



 魔女の手刀は確かに僕の胸に刺さり、傷口からは血が溢れて魔女の腕を伝って流れている。



 だが同時に、僕の傷口から透明な色が生まれていた。



 それは流れる血の色を透明にして、魔女のカラーの全てを包み込んでいく。



 「う、あ……先、パイ……」



 僕は感覚の麻痺した体をイメージで動かす。



 僕は家族の魔法を使うように、頭の中のイメージを現実に出力するようにして体を動かした。



 僕は透明に包まれた血濡れの手で、青黒く染まった先輩の腕を掴む。



 そしてもう片方の手に握られた先輩のソウルコアを魔女の――先輩の胸へと近づけていく。




 「ハナセ、ニンゲン。ナンダコレハ、ナンダコノカラーハ! ハナセッ!」




 魔女は僕を振り払うために突き刺した手を引き抜こうとする。




 しかし、透明は全てを包んで離さない。




 「先、輩――いま、助けマす、かラ……」




 これが自分だけの意思でやれているかはわからない。




 でも、細かいことはどうでもよかった。



 

 先輩を助けられるなら、どうでもいいのだ。




 僕は頭の中に描いたイメージの通りに、ソウルコアを先輩の胸に押し込んだ。




 瞬間、色が広がった。



 ――黄色が青き先輩の体に溢れていく。




 侵食する黒を透明が遮断して、青色と黄色がせめぎ合う。




 それから白き極彩色が透明の中から溢れ出して全てを包み込んでいった。




 「ヤメロオオオオオオオオ!!!」




 僕、先輩、魔女、全てが透明に塗り潰される。




 世界を侵食する青色、黒き雷、水龍、彩られることで生まれた全ては透明に包まれて消えていく。




 何もかもが透明の中で混ざり合って――全ては白き極彩色の元に還る。




 敵と味方。


 魔女と人間。


 先輩と僕。


 全てが混ざり合い、溶け合った。




 僕は、先輩は、魔女は、世界は。


 ――白き極彩色の中で一つになった。

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