第12話

 「えーっと……保健室には行ったんだよね?」



 「そうですね。あとは職員室も手続きのために行ったので大丈夫です」



 「となると次は――――――うん。決めた! ついてきて!」



 急にテンションを上げた先輩は弾かれるように走り出して廊下を進み、その先の階段を駆け上がっていった。




 ここで僕は自分の体力のなさを改めて自覚させられていた。


 先輩が一瞬で走り切った長い廊下を、不恰好な女の子走りで踏破して階段にたどり着き、やっとのことで登り始める。


 僕は階段を登り始める時点で、へとへとの状態になっていた。


 息も絶え絶えというのはこのような場合に使うのだろう。




 そして先輩はすでに階段を登り切ったのか、階段の先にその背中は見えなかった。


 途中で学園内に設置されている短距離転移装置を使えばよかったのではと気づくも、すでに階段を二階分ほど登っている。


 あの装置を使ったことがないので恐怖から使用しなかったことは否めない。


 だって転移といっても自分が分解されて目的地に送られ再構成されるのだ。


 これに恐怖を抱かないほうがおかしいと僕は思う。


 モルモットを使って大丈夫だったからといって心理的なハードルが消えることはなかった。


 しかし大和ではこの装置を使うことが日常になっている人たちがいるという話もある。




 であれば僕は時代に置いていかれる古い人間なのだろうか。


 社会に迎合できない人間なのだろうか。




 いや、そもそも今この時に限っては、自分だけ楽をするのは間違いだと、僕は自分の考えを否定する。



 先輩が転移装置を使わなかった。


 なら僕も使わない。


 僕はこれが正解だと思った。



 「こんなに階段を登るのが早いなんて先輩の体力はすごいな。先輩の手を握ったときも思ったけど、何かスポーツでもやってるんだろうな……というか僕の体力がなさすぎる……はぁ」




 僕は先輩の凄さを改めて認識しながら、一人学園内の階段を登っていく。


 この階段には大階段のような重圧はない。


 だからこんな僕でも、一人で進むことができたのだった。





 「ちょ――先輩、はやすぎ、ます、って。はぁ、はぁ……先輩?」



 僕は5階分の階段を上がったところで、ようやく先輩の後ろ姿を発見することができた。



 こちらの言葉に反応がないと思えば、先輩は誰かと話している最中のようだった。



 あれだけ早く移動したというのに、先輩からは微かな息の乱れすら感じない。



 「先輩はすごいな。というかここは」



 そこはこぢんまりとした小スペースで、上を見上げれば売店の2文字がでかでかと書かれていることから、ここは文字通り売店のスペースで間違いないのだろう。



 その小さなスペースの壁一面に取り付けられたフックには大量の小物がかけられ、ガラス張りのショーケースの中には多くの商品が陳列されているようだった。



 先輩と会話している女性が店員なのだろうが、その若さは同年代と言っても差し支えないもので、学生バイトのようなものだろうかと僕は予想する。



 確か学生にも大和ポイントを稼ぐために仕事を斡旋してくれる紹介所があったはずだ。僕もポイントが心もとないところはあるし、アルバイトを検討してみるのもいいかもしれない。


 「しゃーせー」


 先輩と店員の話に聞き耳を立ててみれば、『凪沙さん変わったっすねー』『これが本当の私なの。それはいいから、あれ入った?』『もちろん仕入れてるっすよ〜』というような会話がきこえてくる。



 その後、先輩は一度奥に引っ込んだ店員から何かを受け取っていた。



 「ほら、透くん隠れてるのバレバレだよ、待たせたのは悪かったって。はいっ――どーぞ」



 眩しい笑顔で小さな物体を僕に放る先輩。


 どうやら死角で聞き耳を立てていたのはバレていたらしい。


 恐るべし先輩の認識能力。



 「……え、なんでバレて――うわっ、とっと」



 気づかれていたことに動揺していた僕は、飛来する物体を冷静にキャッチできず胸で受け止める。

 


 「お、落としてない……よかった……」



 僕は自分の腕と胸の間にできた空間に挟まる小さなそれを手に取ってみた。



 「ほわいとさんだー」



 包装紙には『白き雷神ホワイトサンダー』と書かれ、白き女性の神様が白色の雷を放つ古めかしいイラストが描かれている。



 そんな仰々しいイラストが描かれたパッケージになっているが、裏面の表示を確認してみたところ、どうやら棒状のチョコ菓子のようだった。


 

 「ホワイトサンダーはね〜私の大好きなお菓子でね〜、疲れたとき、眠いとき、楽しいとき、嬉しいとき、苦しいとき、悲しいときに食べるんだ〜」



 「それだともう日常のほとんどのシーンで食べれるじゃないですか……」



 五割増しくらいのテンションで語り出した先輩の顔がものすごく近い。



 お互いの鼻が触れ合いそうな距離まで急接近された僕は、体を仰け反るようにして先輩から離れようとする。



 ツッコミをいれつつ顔を遠ざける僕だが、その分だけ先輩は距離を詰めてくる。



 近い、あまりにも近すぎる……。



 僕はこの超至近距離でまともに会話できない自信があるし、それ以前に恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。



 「ふっふっふーこのお菓子の素晴らしさに恐れ慄くがいい〜それそれ〜」



 好きな物の話をする姿や距離感がやたらと子供っぽい先輩には、会話の相手が異性だという意識はないのだろうな……という感想を抱いてしまい、僕は若干ヘコんで冷静になる。



 このような理由で冷静になったことを喜ぶべきなのかわからないが、凹むということは少なからず先輩のことを意識しているということなのかもしれない。



 「いっただっきま〜す!」



 先輩はハイテンションを維持したまま包みの封を開けてお菓子を食べ始めた。約束された勝利の味を噛み締める先輩の表情にはなんとも子供じみた愛らしさがある。



 これを先ほどの草壁さんと比較するわけではないが、こちらは普段とのギャップも相まって可愛さが増しているような気がした。



 「う〜ん♡ 最高♡」



 先輩は甘味を口にしてご満悦の様子だ。



 その姿を横目に僕も一口齧ってみる。


 ホワイトチョコの甘みが口いっぱいに広がり、中のアーモンドが程よい塩気をくれる。甘みと塩気の相乗効果が生み出す快楽は、走って疲れた体に染みるようだった。



 「あっ、アーモンドの塩気とホワイトチョコの甘さがいい塩梅に混ざって美味しいですね。チョコレートの甘さが体に染みます」



 「でしょ〜白き雷神は伊達じゃないんだから。このお菓子ね。いつもは売店に置いてないんだけど、私は売店の店員さんと仲がいいから個人的に仕入れてもらっているんだ〜」



 売店の店員との癒着を語る先輩。


 それは許される行為なのだろうか……。



 そういえば白き雷神ってなんだろうと考えようとしたところで――僕はいい機会だと思い付いたことがあった。



 それはこの機会に先輩の嗜好に関する質問をしようと思ったのだ。




 今後、先輩と一緒に過ごす時間を想像して――僕は何を考えているのだろうか。




 一瞬冷静になりながらも、先輩のことが知りたい僕は質問を口にする。



 「えっと……先輩はチョコ菓子が好きなんですか? それとも甘い物全般? 何かプレゼントする機会が……もしかしたら、もしかしたらあるかもしれないので教えてもらえませんか……?」



 これはもしかしたらという仮定の質問、我ながら体のいい逃げ道を作ったなと呆れてしまう。



 「はぁ〜何を言ってるの透くん。甘い物が嫌いな女の子なんていないからね。女の子は甘い物で出来ているっていうでしょ?」



 「あ……すいません。野暮な質問でしたかね……あはは」



 女子の世界は複雑怪奇で難解だと僕は思った。



 しかし時折、先輩から誘うような甘い匂いがするのは、女の子は甘い物が好きだから、そういうことなのだろうか。



 僕は女性特有の香りについて考える。



 しかし他に話す女子が妹くらいしかいないので、僕には比較する対象がなく確かめようがないのが現実だった。



 「なーんてね。私の好みは〜甘いだけじゃなくて塩気もある方が好きかな〜」



 「あっ、ありがとうございます、参考にします!」



 僕の気持ちを汲み取ってくれたのか、先輩は自分の趣向を教えてくれる。


 とても嬉しい。



 「っとと、食べるだけじゃなくて場所の説明をしなきゃ。ここは看板に書いてあるとおり売店で、日用品からお菓子まで幅広く販売しているの。流石に携帯食糧まで置くのはどうかと思うけど、店員さんと仲良くなれば特別な仕入もしてくれるから、透くんも頑張ることだね!」



 カラータグにインストールされた生徒手帳には売店の項目がある。



 その項目を開くと商品のリストが表示され、商品を選択することで購入することができる。カラータグ上から大和ポイントを使用し、売店で直接受け取るシステムのようだ。短距離転移装置を利用すれば指定の場所に届けてもらうことも可能らしい。



 店員さんと仲良くなるのに一体何を頑張ればいいのかは謎のままだが、僕は先輩からの説明で今食べているお菓子がポイントを使用して購入されたものだと気づく。



 「学園内で買い物をするなら売店というわけですね。そういえばさっきのお菓子の分払いますよ。何ポイントですか?」



 「あーいいっていいって。これは私の奢りだから、そんなの気にしなくていいよ――あっ」



 「それはちょっと、男として格好が――」





 僕が男としての体裁を気にした矢先、何かに気づいた先輩がスカートのポケットからハンカチを取り出して僕の口を拭った。





 目の前で起きたことは文字にしてみれば簡単な内容だけど、僕の思考をフリーズさせるには充分なものだった。



 「!?!?!?」



 「透くんは男のプライドを気にする前に、子供っぽいところを隠せるようにならないと、ね。人はさ、頭がいいとか顔がいいとか、後は家の生まれがいいとか色々な要素を持っているけど、結局は容量のいい人が生き残るんだよ。結局のところ完璧な人間なんていない。完璧だと思っている人はきっと、完璧な面だけを見ている、もしくは見せられているんだ。だからさ、どんなに力がなくても、どんなに運がなくても、自分の中にあるものを総動員して、フル活用して、戦うしかないんだよ。そして自分の中にあるものを上手く使うんだ。私は一年前にそれを教わった。覚えておいて、透くん」



 唐突な出来事と悪戯っぽい笑みに硬直してしまう僕がいた。



 それはそれとして先輩が何か大事なことを言っている気がするけど、最初の心に刺さる言葉が二重に突き刺さり、クリーンヒットした僕はがっくりと床に膝をつく。



 その言葉は色んな意味でダメージが大きかった。



 僕は子供っぽいし、それを隠せてもいないということなのだから。



 「あぁもうそんな真剣に落ち込まないの。今言ったことは大事なことだけど、人間は変わろうと思えばいつだって変われるんだから。気にはしてほしいけど、今はほら、次の場所行くよー!」



 「あっ先輩――ちょっと、待っ――」



 「待たないよ〜あははっ」



 笑顔で手を振りながら僕の先を行く先輩。


 僕は急いで立ち上がって先輩の後を追った。




 そしてその後ろ姿に思いを馳せる。




 ――いまは先輩の背中を追いかけることしかできないけれど、いつか先輩に追いかけてもらえるような男になれたらいいな……なんて。



 そんな訪れるかもわからない――不確定ないつかを夢想しながら。



 この一瞬しかない『今』を駆けていくのだった。

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